(コラム)DEEP PURPLEとイングヴェイ.マルムスティーンの共通点と相違点を抉り、この両者の行方を占う!

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DEEP PURPLEイングヴェイ.マルムスティーのドッキング…これは、80年代様式美、あるいはネオクラシカルといった音楽をこよなく愛してきたHRファンにはたまらない企画だっただろう。

これが2009年、日本で実現したのだ。 この宣伝をテレビで見た。

私が住む東京での公演は、東京国際フォーラムで2日間だった。

しかし、思ったのは、その動員数はDEEP PURPLEの全盛期の8分の1程度だということだ。

このバンドは周知のように76年に一度解散し、84年に再結成した。

そして日本へも来て来日公演も行い、日本武道館4日間である。

そのバンドが、日本でもかなりビッグなアーティストであるイングヴェイマルムスティーを前座にしても、この規模でしかできなくなってしまていたとは、と興味を覚えたのだ。

やはり、その全盛期に音楽に夢中になっていたファンたちは、もう興味がないのだろうか?

あるいは興味があっても、行く気がしないのだろうか?

その両方だろう。

しかし、寂しい気がする。

かくいう私もこのライヴにはいかなかった。

このブログで、イングヴェイの素晴らしさについてたびたび書いてきたが、1999年ALCHEMY以降、全くイングヴェイのアルバムには興味が持てなくなってしまっていたがゆえにである。

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イングヴェイ.マルムスティー


そしてDEEP PURPLEだが、ハードロックを聴く人間にとっては教養とさえいえるバンドというような触れ込みを何度か雑誌で読んでいたし、このバンドにはリッチー.ブラックモアという「世界一のギタリスト」といわれる人を擁していたということもあり、アルバイトをしてお金に余裕ができたら、DEEP PURPLERAINBOWといったバンドのモノは買うように努めてきた。

そして聴いたが、どれも感動を覚えるものはなかった。

それが正直なところである。

まず演奏のレベルが低いし、完成度も低い。

加えて、印象に残るフレーズもなければメロディもないのだ。

1回だけ聴いてよくなかった、というだけで断定するのはアーティストに失礼ということで、何度か聴いた。

最低でも3回は聴いたのだ。

RAINBOWの方がリリースされた時期が、当時に近いということもあり、こちらの方を買った。

やはり昔であればあるほど、自分の好みと遠ざかるということを経験的に知っていたからだ。

しかし、RAINBOWを中古で全部買って聴いたところ、どれも感動できないので徐々に中古盤屋に売りに出したのだ。

結局、手元に残ったのはRISINGだけである。

これだけは、ドラマ性を秘めていて感動できる出来だからだ。 この音楽性を踏襲していたら、私のRAINBOWへのスタンスは変わったかもしれない。


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リッチー.ブラックモア


やはり、HRを聴き始めたのは80年代の後半であった私は、BON JOVIRATTDOKKEN、NIGHT RANGERといった技巧派ギタリストを擁していたバンドを多く聴いていたので、あまりにリッチー.ブラックモアのレベルの低いプレイに感動できずにいたのだ。

そして無意識のうちに聴かなくなっていたのだ。

いや技巧派などといわれていないバンドのギタリストでも、リッチーよりも巧いギタリストは無数にいたのだ。

それなのになぜ、リッチーがあれほど崇められていたのか、そして今でも崇められているのか意味が不明なのだ。

そして同時期にイングヴェイも知ったのだ。

その驚異的なギタープレイに私の耳はくぎ付けになったのだ。

そして、彼の出ている雑誌は可能な限り集めたのだ。

その雑誌で知ったことであるが、イングヴェイリッチーを師匠と崇めていたということである。

あんな驚異的なギタリストでさえも師匠と崇めるのなら、何か素晴らしい要素を持っているのだろう、それを発見したいという気持ちもありDEEP PURPLEのCDも集めた。


machine head


しかし結果は同じだった。

ライヴCDや、ベスト盤も集めたがやはりだめだ。
いずれも売りに出した。

RISINGからの名曲も入っているRAINBOWベスト盤も買って聴いたが、2回くらいだけ聴いて棚にしまいっぱなし。

そして最近メルカリで出したが売れた。

10年間、使用しなかったものは捨てるか、売る方がいい。

それが風水的にいいということである。

それを実行したのだ。

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  DEEP PURPLE


私のこうしたリッチーへの不満のみならず、このバンドはインプロヴィゼーションによって主に作曲をするので、どうしても1人のプレイヤーが独走していることはできないのだ。

やはり遊びの部分を出して、いい手加減して演奏をしていかなくてはならないのだ。

それゆえにかどうか、完全なる理由はわからないが、このバンドの演奏のレベルは低い。

80年代に活躍していたバンドのどれよりも演奏のレベルが低い(笑)。

事実だからしょうがないのだ。

しかし、こういった下手さが人気を誇るには必要な部分ともいえるのだ。

こういう音楽を好きになった人は、やはり自分でも演奏してみたいという欲求が出る。

そのコピーしたいバンドがあまりに上手すぎていては、コピーができない。

しかし、DEEP PURPLEのように簡単に誰でもできるようなものであれば、すぐにコピーできてしまう。

するとまた他の曲をコピーしたくなり、またコピーをする。

するとアーティストとの親近感が芽生えて、そのアーティストとの距離が近くなり自分になくてはならなくなるものだ。


こういった部分が、DEEP PURPLEの人気の秘密だろう。

smoke on the


それ故にか、このバンドはこれまでにアルバムとシングル合わせて世界で1億枚以上を売ったのだ。

しかし、そういう面だけで私は評価はしたくない。

売れてきたから素晴らしい…それはたわけているのだ(笑)。

演奏は上手くない、印象に残るメロもリフもない…これでは聴いていて楽しくないし興奮もしない。

ゆえにこのバンドは好きになれないし、アルバムも買わないし、ライヴにもいかないのだ。

しかし、同じ様式美を音楽性に取り入れたイングヴェイは違った。

この人を最初に知った時から次のアルバムであるECLIPSEから買って聴いたが、やはり出来のレベルがDEEP PURPLEとは全然違うのだ。

速弾きだけでなく、全体的な演奏のレベルも格段に高いし、いつまでも耳朶に残るリフやメロディもアルバム全体に溢れている。

アップテンポもよければ、ミドルテンポもいい、バラードも超感動的となれば、この人の音楽にぞっこんにならないわけがないだろう。

ぞっこんになった私は、中古盤ながらイングヴェイのアルバムはすべて集めた。


marching


そして聴いた。

すべてのアルバムが良かった。

このような技巧派に加えて、他のいろんな速弾きを難なくこなすギタリストを擁するバンドに触れてきて、いずれも感動してきた私にとって、DEEP PURPLEは関心の蚊帳外になって当然だろう。

しかし、このようなイングヴェイへの懇親的な態度は永続すると思われたが実際はそうではなかった。

95年に出たMAGNUM OPUSは佳曲が少なくなり、聴く回数がそれまでのアルバムよりはかなり減ってしまったのだ。

そして次のFACING THE ANIMALで回復したが、次のALCHEMYから先は、佳曲がなくなってしまったのだった。

彼特有のフレーズは健在だが、それを生かした曲に完成されることができなくなってしまったのだ。

それ以降、駄作が続き、1回か2回聴いただけで棚にしまったまま放置しておき、また聴くも感動できず、ヤフオクへ出して売るというパターンになってしまった。

またこのようないやな経験をしたくないということで、最新アルバムであるPARABELLUMは買っていないし買う気も起きない。

DEEP PURPLEはもともと音楽性が好みでない上に、演奏のレベルも低い。

イングヴェイは、ソロデビューから10年間はこの上なく素晴らしいアルバムを出してきたが、それ以降は全く感動できなくなってしまったがゆえに、アルバムを買わなくなっていた。

しかし、イレギュラー的なライヴアルバムもあったのだ。

それはオーケストラとの共演だ。

イングヴェイ2002年に日本で実現させ、それがライヴビデオにもなり、CDにもなっている。





これは、かなり聴きこんだ作品だ。

やはり癒しのメロディは何にも代えがたい憩いの場に転じるからだ。

もともとバッハなどのクラシカルミュージックに傾倒して、そのメロディを自分の音楽にも取りいれていたイングヴェイだけに、このような試みを実行に移すのは自然な成り行きだっただろう。

この2年前のアルバムから情熱を持てなくなっていたが、この作品で心機一転…と思っていたが、それは不可能だった。

DEEP PURPLEも同じく、そのような傾向はあったのだ。

それ故にか、イングヴェイに先立つこと3年前にオーケストラとの共演を果たし、それもCDやビデオで出ている。

これまでこのバンドに情熱を持てなかった私だが、これをみたらこのバンドへのスタンスも変わるかもしれない、と一抹の期待を抱いて買い、そして聴いてみるもののやはり感動はない。

演奏のレベルは低いし、メロディも私の好みではない。





しかもイアン.ギランは年齢のせいか、高音を出すのがつらいのが見ていてわかる。

間違った喉の使い方をしているからだとジェイムズ.ラブリエ(DREAM THEATER)が言っていたのを思い出した。

同じDEEP PURPLEのシンガーだったデヴィッド.カヴァーデール(WHITESNAKE)とは大違いだ。

今でもデヴィッドは高音を難なくだしているし、ライヴパフォーマンスも素晴らしい!

そんなつらそうな表情をライヴで見せられていてはたまったものではない(笑)

しかし、ギランの擁護をさせてもらえれば、彼がBLACK SABBATHに加入して作ったBORN AGAINというアルバムは心底素晴らしいと思えるのだ。


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BORN AGAIN


今もあのアルバムは愛聴盤だ。

しかし、不思議だ。

BLACK SABBATHに加入したシンガーは、このバンドのギタリストのトニー.アイオミと共演することでその魅力を大幅に増すのだ。


アイオミ
  トニー.アイオミ


ジー.オズボーンのソロはどれも気に入ったアルバムは1枚もないが、彼がBLACK SABBATHに戻ってライヴをやったりするとその映像は何度もみてしまうのだ。

ロニー.ディオもそうだ。

彼のソロで気にいったものは2枚しかないが、アイオミと一緒になって出したライヴモノは何度も集中してみてしまうのだ。

違うギタリストと組むだけでこうも変わるか?と不思議になってしまう。

それと同じように、イアンアイオミと一緒になって作ったアルバムはとてつもなく気に入るのだ。

もし、彼が再びDEEP PURPLEに加入せずに、BLACK SABBATHに加入したままだったら、イアンの私の評価は大幅に変わっていた可能性が大である。

それに加えて、リッチー.ブラックモアの後釜として入ったギタリストのティーヴ.モーズであるが、この人は特筆すべきテクも、魅力的なメロを作りだす能力もないようだ。

このオーケストラとの共演のライヴDVDをみて、初めて彼のプレイをみることになったわけだが、このようなことになって残念だ。

このような理由ゆえに、DEEP PURPLEイングヴェイ.マルムスティーのドッキングツアーにも足をはこばなかったのだ。




それだけではない。

このドッキングの当時、イングヴェイティム.オウエンズをシンガーに迎え入れていたのだ。

そこで出したアルバムがPERPETUAL FLAMEである。

これを私も聴いたが、感動できなかった。

やはり1999年から始まった更年期障害を克服できていない感じなのだ。

このティムは言わずと知れたJUDAS PRIESTのシンガーだった人物だ。

しかし、JUDAS PRIESTロブ.ハルフォードが戻ることで抜けざるを得なかったのだ。

しかしJUDAS PRIESTで見せた彼の歌いは驚異的そのものだったのだ。

その時出したJAGULATORDEMOLITIONは素晴らしいの一言に尽きる。

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ティム.オウエンズ


しかし、何故かこの2つのアルバムは、それほど感動して聴いた思い出がない。

これまで書いてきたことであるが、シンガーが歌詞を書かないバンドの曲は、いくら出来が良くても感動できないのだ。

やはり歌詞は書いた人の心を映し出すものだから、書いた人とは違う人が歌っても感情移入ができないゆえに、私は感動できないということを書いてきたのだ。

ゆえにアイドル歌手はファンになることはないし、歌詞を書かないシンガーのバンドのアルバムはいつしか疎遠になり、ライナーを見ると、作詞のクレジットにシンガーの名がないことに気づいたということを何度も経験してきたのだ。

ゆえにJUDAS PRIESTでのティムのキャリアは評価できないのだ。

1997年の来日公演にはいき、それなりに感動はしたが…。

彼は、その前のWINTERSBANEや、JUDAS PRIESTの後のICED EARTHでのアルバムでも一切歌詞を書かなかったのみならず、作曲もしていなかったのだ。

それでは、いくらイングヴェイという驚異的なギタリストと驚異的なシンガーとの組み合わせでも感動できるはずはなかったのだ。

しかも、90年代半ばまでは、イングヴェイは加入したシンガーにはそれなりに歌詞を書いてもらっていたが、歳月を経るごとに自分ですべてをこなさないことには満足できなくなってしまったのだ。

後年のアルバムはほとんどクレジットはイングヴェイばかりなのだ。


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その結果いいものができればよかったのだが、そうではないから質が悪い(笑)

こういったことを総合的に考えると、やはりあのドッキングにはいかなくて正解だったと思う。 しかし、DEEP PURPLEの偉業は認めなくてはならないだろう。

これまで、いろんなフェスにおいてこのバンドはヘッドライナーを務めてきた。

2013年のドイツでおこなわれたWACKEN OPEN AIRでもヘッドライナーを務め、その時の映像がオフィシャル盤になっている。

そして、今年のフランスで行われるHELLFESTでもヘッドライナーを務める予定だ。

しかし興味深いのは同じ土壌だったWHITESNAKEもこのフェスに日は違えど参加する予定なのだ。



   『HELLFEST


その日のトリSCORPIONSだが、これまでの売り上げ実績ではSCORPIONSの方が断然上だから仕方ないが、今年でWHITESNAKEフェアウェルツアーなのだから、そこを考慮してトリにならせては、と思うが実力主義だから仕方ない。

しかしDEEP PURPLEWHITESNAKEは一緒にギグなどはできないのだろうか?

同じブリティッシュハードロックバンドゆえに、ドッキングすれば、ファンは盛り上がることは間違いない。

これまでそういうことはないのかと思い調べてみるもそういう形跡はないのだ。 あったらこれほど興味あることはないだろう。

日本に来たら絶対に私は行くだろうが、その時は恐らくDEEP PURPLEの方が後順だろう。

断然このバンドの方が売れているのだから。

85年DEEP PURPLEが来日公演をおこなったときには、東京は日本武道館(14000人キャパ)で4回やった。

88年WHITESNAKEもきたがその時は代々木第一体育館(15000人キャパ)で4日間だった。


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  WHITESNAKE


これが、この2バンドの最盛期の総動員数だった。

それから残念ながら両者とも観客動員数は落ちている。

DEEP PURPLEWHITESNAKEのドッキングが実現したら面白いが、これに似た例は過去にある。

94年のブラジルで行われたMONSTERS OF ROCKにおいてトップバッターはアンドレ.マトス率いるANGRAで、次がVIPERだった。

アンドレVIPERを抜けてANGRAを結成したのだ。

その抜けたバンドの前で演奏するとは、と気まずくなかっただろうか?

そして87年のドイツで行われたMONSTERS OF ROCKである、これではトリはリッチー擁するDEEP PURPLEで、セカンドビルはロニー率いるDIOだった。

リッチーとロニーはRAINBOWで一緒だったが、2人は喧嘩別れで決別した。

この2人は、控室でも顔を合わさなかったようだ。

やはり気まずかったのだろう。

いずれの例とは違い、デヴィッドDEEP PURPLEはわだかまりなどないのだ。

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それを考慮すると何なくできるはずであるし、あってもおかしくはないのだが、このバンドがドッキングすることはないのだ。

そしてイングヴェイであるが、彼の作品に感動できなくなって20年がたつが、90年代半ばまでに出したアルバムやライヴモノは感動モノ以外何物でもない。

最近のが良くないからといって、彼のことを全否定するほど無慈悲な人間ではない私は。

過去の良いアルバムについてよい面があったら書いて、その良さを披露したいとは思う。

しかし、彼のウィキペディアをみると、アルバムやシングル、映像モノも散見することができるが、改めて見てその数に驚いた。

バンドスコア27冊、教則ビデオの類は20本以上である。

やはりギターキッズに魅了されていることがその裏付けであろう。

しかし、それでも彼のコピー、しかも完コピができている人はどれだけいるのだろうかといぶかしげに思うのだ。

やはり彼のプレイは難しすぎる。


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それ故に完コピができずに、ギターキッズは彼から疎遠になる。

ゆえに、アルバムも売れないという結果になってしまっているのだ。

作曲能力が高く演奏力が高い、ゆえに売れるということは音楽業界ではありえないのだ。

DEEP PURPLEにしろこれまで1億枚ものアルバムやシングルを世界中で売ってきたのは、その演奏の簡易さにあるのだ。

あまりに難しすぎるプレイは敬遠されてしまうのだ。

もちろんその面だけでなく感動するメロやリフといった面もあるだろうが、そういう面も見逃せないのだ。

全世界で2億枚以上を売ったAC/DCにしろ、1億4000万枚以上を売ったAEROSMITHにしろ、いずれも速弾きソロなどない簡易的なプレイしかしないのだ。


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それも人気の秘密なのだ。

しかし、そういった簡易的なプレイでは私は感動しないし、イングヴェイのような速弾きをこなして感動的なメロディがあるソロでなくては私は好きになれないのだ。

しかし、最近は曲自体が佳曲に仕上がってないから感動できないのだ。

ミュージシャンがキャリアを重ねると、曲が良くなくなっていく。

シンガーが歌詞を書いていない。

演奏がうまくない。

速弾きがない。

やはりこういったくすぶった不満や疑問点が、歳月を経るごとに浮き彫りになるのだ。

それによってアルバムも買わなくなり、ライヴに足を運ばなくなるのだ。

そういった欠点からまぬかれているバンドこそが、自分のフェイバリットなアーティストになるのだ。

来日公演の告知が出るのをみると即座に行くと決めるのだ。

そのようなアーティストに再びイングヴェイがなるかどうかはわからない。

虚心坦懐になっていこうと思う。

以下、彼の作品で感動した最後の例としてオーケストラとの共演のモノを紹介したい。


●以下よりどうぞ!
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