ウォーレン.デマルティーニ
イングヴェイ.マルムスティーン
ウォーレン.デマルティーニとイングヴェイ.マルムスティーン。
この2人は共通点がある。
2人とも1963年生まれであり、ともにギタリストで、ともにメインソングライターであり、ともに魅力的なギターソロを展開できるということである。
私が生まれて初めて観た海外アーティストのコンサートは、BON JOVI、RATT、KINGDOM COME,BRITNY FOXが出演した東京ドームでの『SANYO HEAT BEAT LIVE』だった。
その模様がテレビでも放映され、それをビデオテープに録画して、それを何十回も観た。
そこで演奏されているウォーレン.デマルティーニのプレイにも何度も鳥肌を立てながら観て、そして「俺も将来はこういうギタリストになる!」と奮起したものだ。
もちろんそれまでに聴いたRATTのアルバムやその後に買ったアルバムをそれこそ何百回と聴いてぞっこんになったのである。
そしてイングヴェイ.マルムスティーンのプレイもCDやレコードで何百回も聴いて、同じようなことを思ったものだ。
しかし、ある時、日本人のメタルバンドの髪を長く伸ばし金髪にしているギタリストの姿を見てあまりに合わないいでたちに、自分もバンドをやって髪を長くして染色したらこのようにミスマッチなルックスになるんだろうと絶望し、その思いは捨てた(笑)

そのことに後悔は一切していない。
ロックは、音楽もさることながら、ルックスも大事なのだ。
東洋人とミスマッチなルックスをすることは忌避しなくてはならないのだ。
しかし、彼らへのあこがれの思いは一切薄れなかったのだ。
この2人だけでなく、リッチー.サンボラ(BON JOVI)やブラッド.ギルス(NIGHT RANGER)やC.C デヴィル(POISON)やジョン.ノーラム(EUROPE)、ジョン.サイクス(WHITESNAKE)、ミック.マーズ(MOTLEY CRUE)、ブルース.キューリック(KISS)といった巧みな速弾きを悠然とこなすギタリストにも憧れの思いを抱いていたことは間違いない。

ブルース.キューリック
このようなギタリストに惚れていた私は、敢然と速弾きができるギタリストでなければ、全然興奮しないし、ロックの殿堂入りしたバンドのギタリストでも速弾きできなければ全然興味がわかないのだ。
その条件を満たしている2人であるからには、この2人がグラビアなどで登場してきたら必然的に興奮するのだ。
出てきただけで、その記事を読みたくなる。
これは好みゆえに、どうしても変えることはできないのだ。
私は、このようなハードロックにのめりこむきっかけは中学校時代に同級生に勧められたTHE BEATLESがきっかけで、それからそのバンドのメンバーだったポール.マッカートニーやジョージ.ハリスンのソロアルバムや、同時代に生きたビリー.ジョエルなども聴き、耽溺していった。

ビリー.ジョエル
しかし、私にとって魅力の比重は速弾きをこなすハードロックアーティストの方だったので、これらの普通のロックアーテイストはそんなに聴く回数は多くなかった。
しかし、これらのアーティストは今も好きだし、聴くこともままあるが、そんなに聴くわけではない。
これから以下、ウォーレン.デマルティーニとイングヴェイ.マルムスティーンの両者の共通点を書いていきたいが、まずは非常に巧みなソロを展開するということだ。
速弾きがHR/HMには大事と思っているが、単なる速弾きではだめなのだ。
やはり聴き手を感動させるものが含まれていないことには、やっても意味がないのだ。
聴いていて漫然と過ぎてしまうソロならば感動はしない。
しかし、この両者の作りだすソロは、聴き手をうならせるものがあるのだ。
曲に合っているという面もあるし、興奮させるという面もある。
非常に抽象的だが、そういう面がなくては音楽の意味がないのだ。
リズムに合わせた妙も大事だし、長さもちょうどいいというのも大事だし、ハンマリングやスクラッチングなどテクの組み合わせも大事だ。
こういった組み合わせの配合が上手いのだ。

そういうギタリストであれば、喜んで何度も聴きたいものだ。
そして両者に共通する点は、スポットを自分に多く照らせたいという欲求が他の人よりも高い、ということだ(笑)
ウォーレンは、ライヴでは必ずギターソロの時間を設けるし、イングヴェイも同様だが、イングヴェイの場合は、もっと長く、もっと場面が多い。
こういうパーソナリティは、幼児期に学校であまり目立たなかったゆえに、それが成人後に爆発的に行動にかられる、ということを心理学の本で読んだことがあるが、まさしく2人ともそういう幼児期を過ごしたようだ(笑)
“Dance” 『DANCING UNDERCOVER』収録
RATTにおいては、ウォーレンは幸運にというべきか、彼が作曲を手掛けた曲がもう1人のギタリストであったロビン.クロスビーよりも多くシングルカットされた。
作曲に関わった人間がその曲のソロを担当するということがこのバンドの暗黙の了解だったようだ。
バンドデビューの初期は、シングルカットされていない曲も多数ライヴで演奏されていたゆえに、ロビンのソロでの出番は多くあった。

ロビン.クロスビー(右)
しかし、アルバムを重ねるごとに、初期のアルバムから演奏される曲は必然的にシングルカットされた曲が中心になる。
するとどんどんロビンのソロを演奏する曲は少なくなっていく。
そんな状態も、バンドの魅力を活かす曲もどんどん少なくなっていく状態に情熱を持てなくなってしまったロビンは91年の日本公演の直後に脱退してしまう。
ウォーレン.デマルティーニとイングヴェイ.マルムスティーンの2人に共通するのは、2人ともバンドの後期に自分のやりたいようにしすぎて、バンドの魅力を削がす結果になったということである。
このロビン脱退の悲劇の主要な原因はバンドが行くべき方向とは別の方向にいっていたことだったようだ。
デビュー作の『OUT OF THE CELLAR』から4枚目の『REACH FOR THE SKY』までは、すべて全米プラチナ以上を獲得してきた。
しかし、デビュー作が一番出来のいい作品であり、一番売れたアルバムだった。
それ以降は、売り上げが落ちるばかり。
その栄光をもう一度というニュアンスで、5枚目のアルバムである『DETONATOR』の名は起爆剤という意味であった。

『DETONATOR』
しかし、バンドの作曲はウォーレンが中心になってしまい、ほぼそれに依拠した。
それがバンドにとって災いし、そのアルバムはバンドの魅力を大幅に削いだ結果になったのだ。
ミドルテンポの曲が多いしブルーズっぽい曲も多い。
そうではなく、もっと速い曲を作り、演奏した方がこのバンドの魅力を出すにはいいのだ。
しかし、実際はそうではなかったのだ。
このアルバムは、日本では発売前にいろんな雑誌で話題作的なニュアンスでとらえられていて、発売と同時に一気にオリコンチャートを駆け巡り、HR/HMチャートでは1位を獲得した。
しかし、その後すぐに急降下した(笑)
その現象をみて、私は「このアルバムなら致し方ない」と思ったのだ。
このアルバム初のバラードもそれほど成功したとは思えない。
それでも全米ゴールドにまで行ったが、バンド初のプラチナに届かなかった作品となった。

それでも、それまでの作品が大好きだった私としては、91年の来日公演にはいった。
それなりに良かったし、のちにこの年の大阪公演もブートレッグビデオが発売されるが、それは結構愛観盤になっている。
その後ロビン脱退を受けて、バンドはギタリストを1人だけで続行する決断を下す。
その後、アメリカンツアーを行うが、その時セカンドギタリストとしてマイケル.シェンカーが参加することもあったようだ。
その前座にL.A GUNSを従えたが、そんなに盛況はあったようには見えなかった。
その後、バンド内で意見の正常な消化ができなくなり、92年にバンドは解散した。
そして97年に再結成した。
その時、それまでの未発表曲やアウトテイクの曲を集めた『COLLAGE』を発表してツアーが行われ日本にも来た。

『COLLAGE』
しかし、長い沈黙の後に、こういった正規でないそれまでのアルバムから漏れた曲を集めたアルバムを出しても売れるはずもなく、ほとんど売れずに終わった。
その時に召集されたメンバーはオリジナルメンバーのうち3人だけであり、その上このアルバムの出来では注目性は薄いに決まっていた。
東京公演はクラブチッタで2日間だけであった。
同時期にオリジナルメンバーで再結成して来日公演をおこなったNIGHT RANGERの赤坂ブリッツ3連夜とは大違いだった。
RATTの方が断然アルバムを売ってきたにもかかわらずである。
その後、正規のアルバムである『RATT』を作るが、これもRATTらしさを欠いたアルバムだった。
私はこのアルバムをまるで聴いていないのだ。
これは20数年前に買ったアルバムであるが3回くらいしか聴いていないので、まるで新品のようないでたちをしている。
先の『DETONATOR』を初めて聴いたときに、RATTらしさを欠いたアルバムだと思ったことを書いたが、今聴いてみると「ちゃんとメタルしてるじゃん!」と正直に思えるが、そんなメタルをしている風もこのアルバムではないのだ。
おちゃらけたただのロックアルバムといった感じだ。
先の『COLLAGE』にしろ、この『RATT』にしろメタル然とした感じはまるでないのだ。
『COLLAGE』発表後の来日公演を『BURRN!』でリポートされたが、そこには「かつて武道館でやったバンドが、この規模の会場で?!しかしここは時代が悪いと決めて、ライヴに臨むことにした」というリポーターの言葉が書いてあったが、時代が悪いのではない。
バンドが自分の魅力を活かすアルバムを作っていないからだ。
ゆえに次作に期待したが、それもダメだった。
その後、日本に来ることが決定したが、愕然とした。 前回の動員数を更に下回る渋谷クアトロで2日間が告知された。
「そりゃそうだろう、あのアルバムの出来では…」と悲嘆に暮れていたところに、スティーヴン.パーシー(Vo)の脱退が理由により、来日が取りやめになるのだった。

スティーヴン.パーシー
そしてバンドは元LOVE/HATEのジジー.パールをシンガーに迎えてライヴをおこなう。
その後バンドは休止状態になり、その間隙にウォーレンがDIOに加入することが報道された。
この報道がされたときに私はやったと思った。
『DETONATOR』にしろ、その後の2枚のアルバムにしろ、アルバム制作の主導権を握っていたのは間違いなくウォーレンだ。
それ故にバンドが、よからぬ方向へ行ってしまったのだ。
なら、その彼が違うバンドにいってくれればいいと思ったのだ。
しかしすぐに彼はDIOを脱退した。
「RAINBOWやBLACK SABBATHや初期のDIOの曲には興味が持てたが、それ以降のバンドの曲にはまるで興味持てなかった。」ということらしい。
ロニー.ディオもそんなウォーレンのふてくされた態度に失望していたらしい。

ロニー.ディオ
私は、その劇を見て、嬉しいのか哀しいのかわからない感慨になった。
そしてこのバンドの復活は2010年にまで先延ばしになることになる。
かたやイングヴェイ.マルムスティーンは84年にALCATRAZZを脱退してソロキャリアを形成することになる。
ソロといっても、きちんとシンガーやベース、ドラム、キーボードといったメンバーはつけてのソロだからかなり特異だ。
普通ギタリストのソロといえば、全曲ギターだけのアルバムを出すのが普通だが、イングヴェイのソロはかなりレアだ。
それを不問にして聴いても、やはり84年からのアルバムはかなり秀逸だ。
アメリカンなハードロックを基調としつつ、ブルーズやクラシカルミュージックの要素を取り入れて融和させた。
そして、かなりの速いギターソロまで展開されるから凄い。
そのソロの技もさることながら、その作り出すソロのメロディの良さに耽溺していったのだ。
そういった技だけでなく、基本の曲自体が聴き手に良いと思わせるものでなければ、人を魅了することはできない。
やはりその基本の曲自体がいいのだ。
じわりじわりとファンを獲得していき、88年についに日本武道館での公演が実現する。
それは手放しで喜べる事態だった。
それから98年までの『FACING THE ANIMAL』までの5作は順調だった。
しかし99年の『ALCHEMY』から駄作が続いている。
誰もがスランプに陥ることはあるし、いつしかいいアルバムを出してくれるだろうと期待しているのだが、一向にその傑作は出ないままなのだ。
ゆえに、2009年にDEEP PURPLEとのドッキングライヴが敢行されると聞いても私はいかなかったのだ。
99年のアルバムから実に20年以上…長すぎる!(笑)
99年以降のアルバムを聴いてみるも、彼独特のフレーズや技は健在だしヘヴィさも維持している。
しかし、興奮する曲構成もなければ、フレーズもないので聴いていて漫然と時間が過ぎていく感じで、時間の無駄を感じていたのだ。
思い直して、また彼のアルバムを聴いてみるも、やはり興奮を覚えない。
ゆえに、ヤフオクで99年以降のモノはすべて売ってしまったのだ。
そこで発想するのは、ALCATRAZZの再結成だろう。
その話を元メンバーに打診されたが、彼は断ったという。

私は、その劇を見て、嬉しいのか哀しいのかわからない感慨になった。
そしてこのバンドの復活は2010年にまで先延ばしになることになる。
かたやイングヴェイ.マルムスティーンは84年にALCATRAZZを脱退してソロキャリアを形成することになる。
ソロといっても、きちんとシンガーやベース、ドラム、キーボードといったメンバーはつけてのソロだからかなり特異だ。
普通ギタリストのソロといえば、全曲ギターだけのアルバムを出すのが普通だが、イングヴェイのソロはかなりレアだ。
それを不問にして聴いても、やはり84年からのアルバムはかなり秀逸だ。
アメリカンなハードロックを基調としつつ、ブルーズやクラシカルミュージックの要素を取り入れて融和させた。
そして、かなりの速いギターソロまで展開されるから凄い。
そのソロの技もさることながら、その作り出すソロのメロディの良さに耽溺していったのだ。
そういった技だけでなく、基本の曲自体が聴き手に良いと思わせるものでなければ、人を魅了することはできない。
やはりその基本の曲自体がいいのだ。
じわりじわりとファンを獲得していき、88年についに日本武道館での公演が実現する。

それは手放しで喜べる事態だった。
それから98年までの『FACING THE ANIMAL』までの5作は順調だった。
しかし99年の『ALCHEMY』から駄作が続いている。
誰もがスランプに陥ることはあるし、いつしかいいアルバムを出してくれるだろうと期待しているのだが、一向にその傑作は出ないままなのだ。
ゆえに、2009年にDEEP PURPLEとのドッキングライヴが敢行されると聞いても私はいかなかったのだ。

99年のアルバムから実に20年以上…長すぎる!(笑)
99年以降のアルバムを聴いてみるも、彼独特のフレーズや技は健在だしヘヴィさも維持している。
しかし、興奮する曲構成もなければ、フレーズもないので聴いていて漫然と時間が過ぎていく感じで、時間の無駄を感じていたのだ。
思い直して、また彼のアルバムを聴いてみるも、やはり興奮を覚えない。
ゆえに、ヤフオクで99年以降のモノはすべて売ってしまったのだ。
そこで発想するのは、ALCATRAZZの再結成だろう。
その話を元メンバーに打診されたが、彼は断ったという。

これまでソロで生活してこれた経験から、今更したくないことをする気にならないのだろう。
やはり自分の音楽は自分ですべてコントロールしたい欲求が強いのだろう。
ソロ初期のような成功を収めていなくても、当時のアルバムの良さが語られて、入手可能でそれが売れ続ければ、印税が入ってくる。
彼の書いた曲が、カラオケで歌われれば、また印税がはいってくるのだ。
それでやりたくないことを今更しないのだろう。
その欲求は年々高まっているようだ。
初期から90年代中盤あたりであれば、シンガーに作詞を手伝ってもらっていたが、今では作詞すらもイングヴェイがすべて手掛けている。
歌う人が作詞したものであれば、その歌詞に込められた感情や思いが伝わるが、他人の書いたものであればそうではなくなる。
ゆえに私は感動できないし、聴かないから疎遠になる。
事実、私は彼の最高傑作といわれてもいいくらいの名盤である『TRILOGY』をほとんど聴いていない。

『TRILOGY』
歌唱力も素晴らしいし楽器の演奏の完成度もかなり高い。
しかし、歌詞はシンガーは全く書いていないので、それほど感動できないから聴かずに棚にしまったまま。
しかし、ジョー.リン.ターナーが作詞を全曲手掛けた『ODDYSEY』は何十回も聴いた思い出がある。 そういった意味でも、歌詞まで全曲イングヴェイが手掛けるというスタンスは私にとって魅力ないものとなっているのだ。
ミュージシャンはどうしても、自分のやりたいようにすることで、それまで生きてこれた経験から、そのやり方を変えようとしないのだ。
それでも、印税が入ってきて生活することができるので、変えなくてもいいのだ。
2003年にWHITESNAKEが復活し、94年にこのバンドのツアーに参加したウォーレンにも声がかかったようだが、その際にウォーレンが言った言葉が印象に残っている。

WHITESNAKE 94
「すでにダグ.アルドリッチがリードギタリストとして決まっていて、加入したとしたら自分はステージの左側に立つことになる。 94年の時にも左側に立ったが、それまで右側に立っていた自分は、左側に立ったら、右足の靴を左の足に履いているようで嫌だった。」
…そんなことで拒否したの? とサラリーマンの人には信じれない言葉だったろう。
そんな些細なことで、ミュージシャンは拒否をするのだ。
94年には、WHITESNAKEは1つのアルバムだけで800万枚以上売ったバンドゆえに、どこも広い会場だったことは間違いないし、事実この年の東京では、代々木オリンピックプール(15000人)で2回だった。
これだけ大きな会場をでやるのはウォーレン自身、久しぶりだっただろう、などと私は考えながらステージをみていた。
こんなこと考えながら観ている人はどれだけいたろうか?(笑)
しかし、ミュージシャンはそういうことにあまり無関心なようで、それよりも自分のやりたいことをやりたいようにするのが最優先というのがたいていのパターンのようだ。
それができるならば、収入が減っても構わないのだ。
全世界でミリオン単位で売れてきたゆえに、永久的に印税が入ってくるのだから、やりたくないことを無理やりすることはないと考えているのがミュージシャンのようだ。

しかし日本のZIGGYにしろHOUDND DOGにしろ、メンバーは50代を超えている。
それぞれのバンドは再結成を試みたが、いずれもシンガーだけしかオリジナルメンバーはいない。
やはり確執があったのだろう。
それは活動継続中には我慢していたが、それが解散後どうしても再結成できないレベルにまで達していたのだろう。
私は10代のころに草野球をしていたが、どうしても一緒にしたくないメンバーが2人いるがゆえに、また召集されても私は絶対にしないだろう(笑)。
ゆえにZIGGYやHOUDND DOGのオリジナルメンバーの気持ちはよくわかるのだ。
そしてウォーレン.デマルティーニとイングヴェイ.マルムスティーンの共通する点はまだある。
この場合はRATTだが、RATTは89年の日本武道館公演を最後に、イングヴェイは95年の日本武道館公演を最後に、日本での単独来日公演はアリーナでの公演ができていないということだ。
それが、2010年に行われたメタルフェスである『LOUD PARK』にRATTが参加したことで久々にアリーナでの公演が実現したのだ。
ここはさいたまスーパーアリーナだ。

『LOUD PARK 2010』
実に21年ぶりだ。
そして、2013年にイングヴェイが、『LOUD PARK』にトリとして参戦したことでアリーナ公演が実現した。
実に18年ぶりだ。
しかし、あんなに巧みで魅力的な楽曲を出してきたアーティストがアリーナ公演を実現できるほどの人気の維持ができないのだろうか、といぶかしげに思うのだ。
テクニカル=人気が高い、ということではないのが長年研究していればわかる事実だ。
そしてあまりテクニカルでない方が、人気を博すことに重要である、ということだ。
あまりにテクニカルであるアーティストは、忌避されやすいということである。
“Bedroom Eyes” 『ECLIPSE』収録
音楽を聴いていくと誰もがアーティストにあこがれて真似をして楽器を演奏したくなるのだ。
その楽曲が、簡単ですぐコピーできるものであれば、何曲もコピーできる。
しかし、あまりに難解なプレイでは、コピーがなかなかできず、コピーする気が起きなくなる。
その結果、簡単なバンドはどんどん身近な存在になり、アルバムを買い続け、ライヴにも行き続ける。 しかし難解なバンドは、どんどん疎遠になり、アルバムも聴く気がなくなり、ライヴにも足を運ばなくなる。
そんなメカニズムで人気は出来上がる面があるということである。
アルバムとシングル合わせて全世界で2億枚以上売ったAC/DCにしろ、1億4000万枚を売ったAEROSMITHにしろ難解なプレイはまずないし、誰でもコピーできる簡易なプレイだ。

しかし、RATTにしろイングヴェイ.マルムスティーンにしろコピーがかなり難しい。
それが1つのアルバムでミリオンセールのヒットをできなかった理由の1つでもある。
そしてまた、RATTとイングヴェイ.マルムスティーンの共通点であるが、両者とも日本武道館公演をしてきたということである。
RATTは87年に2回、89年に1回の計3回実現した。
イングヴェイ.マルムスティーンは、88年に1回、92年に1回、94年に1回、95年に1回の計4回の実現したのだ。
これだけの人気を誇ったイングヴェイだが、スウェーデンや日本での人気に比べて、アメリカやイギリスでの人気はいまいちだった。
アメリカでイングヴェイはゴールド以上の記録はしていないのだ。
イングヴェイと同時期に活動してきたドイツのACCEPTは1枚だけアメリカでゴールドを獲得したのだが…。
しかしアメリカやイギリスでの人気は、RATTは高い。
全米で、デビューからして300万枚を売った。
次に200万枚、その次は100万枚となって傾斜していったがアメリカでの人気は誇るべきだろう。
しかし、ヨーロッパでの人気はいまいちなのだ。
やはり古来からのモノを固守するヨーロッパ人にとってRATTのようなハリウッドタイプのR&Rはあまり受けいられない傾向がある。
それは、同じタイプのMOTLEY CRUEの人気はアメリカでの絶大さに比べればいまいちなのだ。

MOTLEY CRUE
ともに日本では人気のあったRATT,イングヴェイ両者であるが、あまりに自己満足な音楽に傾斜していったがために、人気の維持ができなくなっていったことを指摘した。
確かに自分の内なるものを自分の好きなように表現したい欲求があるからミュージシャンを目指し、それがかなうとその欲求がさらに高まるのだ。
しかし、それだけでいいわけはないのだ。
聴き手の欲求があるからこそ、その生活が維持できるのだということも言える。
しかし、初期のころの人気が維持できなくなって、そのころのファンが離れたことで収入がゼロになる、ということではないから、難しいのだ。
アーティストへの不満があっても、このように陰で愚痴ることしかできないのだ。
しかし、音楽を魅力あるものにするためには演る側と、鑑賞する側の双方の好みが一致していないことには適うことではないのだ。
それをアーティスト側にわかってもらうには、やはり謙虚にアーティストが人の意見を汲み取れる器があればいいのだが、それもかなり難しいし、運に任せるしかないのだろうか?
97年、99年とRATTのアルバムには失望させられたが、奇跡が起きた。
2010年に発売されたRATTのアルバムである『INFESTATION』は、80年代に出したRATTの再来を果たしたアルバムになったのだ。

『INFESTATION』
80年代のRATTの良い部分を良いとこどりで作ったような観があるアルバムだ。
「これこそがRATT!」と素晴らしいアルバムを出してくれたのだ。
実に20年ぶりなのだ。
しかし、またもこのバンドは分解してしまうのだ。
2つのバンドに分かれてしまい、そのどちらにもウォーレンは属さず、今は何をしているか不明なままだ。
かたやイングヴェイは精力的にアルバムを出すも、平々凡々な出来のアルバムで終始している。
いずれのアルバムもヤフオク!で売ったことは先に書いた通りだ。
この両者がこれからどうなるかは私にはわからない。
90年に比べて、アーティストの数が無数にあり数えきれないほどゆえに、活動を休止したり、あまりにアルバムを出さなすぎでいると、ファンから認識されずに埋もれてしまうことも多々あるのだし、歴史に埋もれてしまうのだ。
そうならないように願うばかりだ。
80年代から90年代に、あれだけ私を魅了してくれた両アーティストゆえに、その気持ちは大きいのは言うまでもないのだ。
●以下、RATT、イングヴェイ両方の集大作のアルバムセットを紹介したい。
いずれも往年のアルバムを集めたものであり、駄作はない。
RATT
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。