今、自分にとってイタリアのLACUNA COILは注目に一番熱い感じだ。 プログレッシヴメタルは、1曲の時間が普通よりも長いのが特徴だ。
やはりドラマ性を含んでいるのだ。
しかし、それはかなりの技量がいるし、作曲能力に天才的な能力を持っているアーティストでなければ無理な話しだ。
今は、一概にこのバンドは〇〇メタルだ、というカテゴライズは難しいほど、いろんな要素をいろんなバンドが有するようになっているのだ。
ゆえにいろんなバンドがプログレッシヴメタル的な要素を持っているのだ。
ことLACUNA COILもだ。
LACUNA COIL
そういうバンドは、作曲能力も高いし、演奏のレベルも高い。
しかしそれだけでいいかというとそうでもないのだ。
心底夢中になるほど感動できるプログレッシヴという要素を持っているバンドで感動できるのは少ない。
その要因を探ると、やはりシンガーが歌詞を書かない、ということが挙げれる。
それゆえに、心底感動できることが少ないのだ。
これまで、いくら音楽が秀逸でも、シンガーが歌詞を書かない場合は私は感動できないということをここで書いてきた。
やはり他人が書いた歌詞は、書いた人の思いや主張、主義などが盛り込まれているがゆえに、他人が歌ってもそこに感情を100%込めることなど不可能なのだ。
それ故に、私は他人が書いた歌詞を歌うシンガーのバンドは感動できず、いつしか疎遠になり、中古盤屋に売るということを繰り返してきたのだ。
その最たる例がROYAL HUNTだ。
ROYAL HUNT
このバンドは、キーボーディストであるアンドレ.アンダーセンがバンドのイニシアティブを握り、どのアルバムでも全部作詞作曲を担当してきたのだ。
この人の音楽的な能力は天才的だ。 作曲能力にしろ、演奏力にしろ。
アンドレ.アンダーセン
その才能の云々をしているとかなりの字数になるので詳細は書かないが、そのドラマティックで、壮大な世界観にはこのバンドを知った当初は圧倒されまくりだった。
しかし、私はいつしか疎遠になってしまっていた。
そんな天才的な音楽を作り、それに加えて天才的なシンガーであるDC. クーパーという天才的なシンガーが歌えば、鬼に金棒といった観を呈するのだが、何度も聴いたが感動のレベルがそれほど上がらず、ライヴに足を運ぼうという気を持つまでにはならなかった。
そのDC以外にも、このバンドにはジョン.ウェストやマーク.ボールズといったHR/HMをかじったことのある人ならだれでも知っているほど有名かつ強力なシンガーが在籍していた時期もあったのだ。
それらの時期にも同様にそれほどの感動は呼び起こさなかった。
それはのちに明らかになった。
某バンドのアルバムを何度も聴くが、集中できないし、ゆえにも感動もできない。
それで、何気なくそのアルバムのライナーを見ると、そのシンガーが歌詞を書いていない。
ゆえに、感動できないということがわかったのだ。
歌詞を書いていないシンガーのバンドは、いくら音楽がよくとも感動できない。
シンガーが歌詞を書いているか書いていないか、歌を聴けばわかる。
ちっぽけだが、そういう能力が私にはあるようだ。 それで、いろんな、音楽性は素晴らしいが、疎遠になってしまったバンドを洗いざらいしてみると、やはりシンガーが歌詞を書いていないことが判明したのだ。
MOTLEY CRUE、DANGER DANGER、SKID ROW、THUNDER、LIONVILLE、FAIR WARNING、DREAM THEATER,NIGHTWISH、リッパー在籍時のJUDAS PRIEST、そしてROYAL HUNTはシンガーが歌詞を書く能力がない、あるいはバンド内の事情で書けないゆえに感動できない、ということがわかったのだ。
いくら音楽が秀逸でも、シンガーが歌詞を書かない場合は感動はできないのだ。
スピーディかつヘヴィ、そしてドラマティック…こういった要素を持ったバンドほど私の食指を動かすものはない。
しかし、そんな素晴らしい音楽性をもっていても、シンガーが歌詞を書かない、あるいは書けない場合は、やはり感動できないのだ。
ゆえにROYAL HUNTのあの超名作である『PARADOX』でさえも、私は心底感動できずじまいだったのだ。
『PARADOX』
やはりプログレッシヴなメタルの要素を擁するバンドは、大抵がギタリストやキーボーディストが作曲をしている。
そのプログレッシヴな曲の構成を脳内でしているのだから、当然そのプレイヤーが歌詞も書くのだ。
その結果、そのバンドのシンガーがその歌詞を歌うことになるが、自分で書いた歌詞ではないために、感情がそれほどこめられず、結果、それを聴いている私は感動できずじまいということになっていたのだ。
その曲を構成している人と、歌詞を書く人の脳内構成が一致することはまずないので必然といえば必然であるが、それでは感動はできないのが当然だろう。
しかし、ことLACUNA COILは、その脳内構成がメンバーがほとんど一緒なので、作曲をするのも歌詞を書くのもメンバーが全員でするのだ。
その結果、聴き手である私が感動するということになっているのだ。
こういうバンドはかなり稀有であるがゆえに、離したくはないバンドであることは間違いない。
プログレッシブという要素は、やはりだれしも興味深いものだ。
やはりドラマティックな曲を聴くことで冒険心を駆られるデジャヴが味わえるからだ。
そして日常生活では味わえない未知の世界へ自分を誘ってくれるのだ。
それによって心が高揚することは間違いない。
しかし大抵のプログレッシヴなメタルバンドは、作曲者である楽器プレイヤーが作詞までになってしまうがゆえに、私はほとんど感動できずじまいだったのだ。
実に嘆かわしいことであった。
しかし、その瑕疵を見事に取り払って素晴らしいプログレッシヴな要素をふんだんに盛り込んだメタルを展開してくれたバンドがほかならぬLACUNA COILだったのだ。
このバンドの作品は、『KARMA CODE』や『BLACK ANIMA』をこの場で紹介したが、今回紹介するのは8枚目の『DELIRIUM』だ。
初めから耳をそばだてざるを得ない出来だ。
1曲目の“House Of Shame”は、2人いるシンガーのうちの1人であるアンドレア.フェロによるブラックメタルばりのシャウトで始まる。
あまりに嗚咽な観が強いので、一瞬引くかもしれないが、そういったサプライズこそがHR/HMの醍醐味のはずだ。
曲が進むごとに、ベースの躍動感が目立ち、それが聴き手にどうしても高揚感をもたらす。
前に紹介した『BLACK ANIMA』でも気づいたが、このバンドはこのベースのメロディが、曲をけん引する。
そこに、冷悦なキーボード音がコラボして、ドラマ性を帯びたサスペンスミュージックを構成するのだ。
こういう音に引きこまれたら、やはりノックされるほかないのだ。
クリスティーナ.スカビアののびやかで甲高い声も健在だ。
クリスティーナ.スカビア
そのドラマ性のある音楽はその手の音楽を好む人にはたまらない構成のはずだ。
次の“Broken Things”も、やはりベース音がこだまし曲をけん引し、そこに冷悦なキーボード音が銀世界の自然界の風景に誘ってくれるのだ。
こういったデジャブは快感だ。
こういうドラマ性を持った楽曲は、やはりかなりの程度巧いシンガーとプレイヤーを擁さないことには不可能なことだ。
●“Blood,Tears, Dust”
↓
そして、4曲目の“Blood、Tears、Dust”のスピーディさに気づくと、いやが応でも心が反応する。
多層にわたるデジタル音を奏でながらの、曲展開に幾層にもわたるベースとギターの掛け合いの妙に興奮を隠せない。
そしてプログレッシブさもある。
哀愁漂いながらもデジタリックな音のコラボの具合が非常に巧みにつながれる次の“Downfall”では、マイルズ.ケネディがギターで、ゲスト参加している。
この人は、ALTER BRIDGEのギタリストだ。
その技ぶりは、リッチー.サンボラが往年のBON JOVIで80年代に見せたフレーズを展開している。
そういう味が、この曲を盛り立たせている。
マイルズ.ケネディ
この曲によって彼の魅力に魅せられて、今度はALTER BRIDGEにも興味がわいて、そのCDも買いたくなる。
●“You Love Me 'Cause I Hate You”
↓
次の“Take Me Home”も、また次の“You Love Me ’Cause I Hate You”ミドルテンポながら哀愁が漂い、デジタリックなSE音が余計にドラマティックな観を増幅することに貢献している。
SEのみならず、ギターでもそういう音と見まがうアレンジになったフレーズを作り出しているから驚きだ。
作曲能力とプロデュース力の高さに驚きだ。
バランスの良さもやはり見逃せない。
ミドルで3曲続いた後に、スピードのある曲をつなげることで、聴き手に高揚感をもたらすのだ。
次の“Ghost In The Mist”やその次の“My Demons”はスピーディだが、このバンドの持ち味のベース音による高揚もさることながら、デジタリックなギターとキーのフレーズも盛り込まれている。
見事なコラボ模様が描き出されている。
哀愁と冷悦なキーボード音が、このアルバムでのこのバンドの持ち味といっていいだろうと思うが、それを踏襲している“Claustrophobia”でそれを確認できる。
そしてさらにその味を突き詰めた“Ultima Ratio”でこのアルバムは幕を閉じる。
非常に感動的な閉じ方だ。
こういうドラマ性を秘めてのアルバムは称賛に値する。
このアルバム発表後、LACUNA COILは、日本の『LOUD PARK 16』に参戦した。
『LOUD PARK 16』
だが、メインステージの5番目の出演だったのだ。
しかし、過小評価もいいところだ。
これまでに素晴らしいアルバムを量産してきたにもかかわらず、これだけの評価して受けてこなかったのは。
このアルバムは故国では11位を記録したが、日本のオリコンでは114位で終わった。
楽曲のすばらしさを妥当に評価できる日本のHRキッズらしからぬ売り上げだった。
このページがこのバンドを見直す結果になってくれればと思う。
私のHR/HMの評価軸は,ヘヴィかつスピーディ、そして楽曲の作曲能力に優れていて、演奏力も高いこと。
そして、シンガーが作詞を担当することである。
私の評価軸にだけこだわっているのは滑稽と映るかもしれないが、妥当な軸ではないだろうか?
LACUNA COILは、ヘヴィかつスピーディ、そして歌唱も演奏も一切ぶれない技巧派、そして壮大なビジョンを聴き手に想起させる音楽的な世界観を有し、そしてシンガーが自分で作詞をしているがゆえに、歌からもハートやソウルが感じれいつまでもアルバムを通して何度も聴ける。
アルバムが終わっても、聴き足りなさが襲ってきて、何度も聴きまくるのだ。
こう言った要素こそが、音楽には不可欠なのではないだろうか?
そして、こういった要素が欠かせずにあるからこそ、聴き手を感動させることができるのではないだろうか?
やはりここまで考えて音楽を論じる人はいないのだろうか?
これまで『LOUD PARK』などで、MEGADETHやSLAYERといったヘヴィメタル界の大御所といわれたバンドのライヴを実感してきたが、やはりノレずじまいだった。
往年のヘヴィさが希薄化し、スピーディさも希薄化してしまい、聴き耳を立てざるをえないメロディもなくなってしまったこれらのバンドに感動することはできなくなってしまっていたのだ私は。
しかし、それに代わるように、EMPERRORやANAAL NATHRAKH、そしてこのLACUNA COILが、これらのバンドが失ってしまった特長を補い、それら以上にパワーアップし、魅力もアップしたアルバムを量産してきたにもかかわらず、それほどの注目はされないまま時間が過ぎてしまっている。
やはり自分の評価軸と世間のそれとは隔たってしまっているのだろうか?
かなり難しい問題である。
しかし、この評価軸に賛同してもらえる人には、ぜひともこのLACUNA COILの『DELIRIUM』はお勧めである。
●このアルバムは以下よりどうぞ。
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。