ジョン.ロードの名を知ったのは88年のことである。
WHITESNAKEの『COME AN’ GET IT』を中古盤で買って聴いたときに、キーボーディストとしてノミネートされていたからだ。
後にHRについて調べていくうちに、彼がDEEP PURPLEのメンバーであることを知った。
WHITESNAKEのシンガーであるデヴィッド.カヴァーデールも元DEEP PURPLEのメンバーであったことも知った。
ゆえに元盟友だったことになる。
しかし、そのプレイは平凡で、私を陶酔させるものはなかった。
この『COME AN’ GET IT』でキーボードが前面に出ている曲は、ジョンも作曲に加わっていた。
WHITESNAKE 80
やはり、作曲に携わる人のプレイが前面に出るのは必然であるのは、どのバンドでも一緒くらいのことはのちに知るようになっていった。
しかしさらにHR界について調べていくうちに、ジョンが「HR界最高峰のプレイヤー」ということが謳われていたのを知った驚いた。
そんなすごいことを言われていたのならば、どこかすごいプレイをしているアルバムがあるはずだ、という思いでDEEP PURPLEやWHITESNAKEの初期の作品を買いあさり、聴いて探していったのだ。
しかし、そんなプレイは一切ないのだ。
彼のソロアルバムであり、邦題のつけられた『未完成バッハフーガ』なるアルバムを買って聴くも、感動には至らず、これはバッハのクラシカル音楽に彼のキーボードをちょこっと乗せただけの代物であり、特に目新しいことをしているわけでもなかったのだ。
どうしてこのような奇妙な題をつけたのかを探索する気にもなれず、そのまま中古盤屋に売ったのだった。
DEEP PURPLEは、もともとインプロヴィゼーションやジャミングで曲を作るので、自分1人だけが敢然たる独奏をしていくわけにはいかない。
やはり他のプレイヤーが、入り込める余地を出しながらジャミングをしていくことになる。
ゆえに、敢然たる演奏はなく、演奏に完壁性は薄い。
ゆえに、このバンドのプレイはレベルが低いと言わざるを得ない代物なのだ。
そのような作曲法でアルバムやシングルが世界中で売れたのだから、そのスタンスをDEEP PURPLEのメンバーが今更辞めるはずはない。
メンバーはいずれも70代にはいっているし、これまでしてきたゆえに、また年齢を重ねるごとに誰でも頑固になるから、今からそのスタンスを今から変えるのは不可能に決まっている(笑)。
このバンドがニューアルバムを出そうが、来日が決定しようが私は一向にお構いなしでここまで来たのだ。
こういった演奏のレベルの低さで評価できないのだ。
また、ミュージシャンたるもの、やはり自分で音やフレーズ、ひいては曲を作り出さなくてはいけないというのが私のスタンスなのだ。
ただ演奏するだけのミュージシャンは評価できない。
世界最高峰というからには、作曲もできなくてはいけないだろう。
そこで、ジョンがどれだけ作曲に関わったかを調べてみたくなった。
しかし、今はいい時代になったものだ。
ミュージシャンの出したアルバムをウィキペディアで調べれば、作曲に携わった人の名がすぐに知ることができる。
インターネットのなかった時代であれば、そのバンドのアルバムを全部買って、ライナーを見なければ、そういったことを知ることはできなかったのだから。
そこで、ジョン.ロードがDEEP PURPLEでかかわった作詞作曲について調べると70年代初頭のオリジなナルメンバーでのアルバムはほとんど作曲にノミネートされている。
74年にデヴィッド.カヴァーデールとグレン.ヒューズが加入して名盤『BURN』を出したのは周知の事実だが、このアルバムからジョンの作曲への関りは途端に少なくなる。
デヴィッドやグレンは、資本主義的でビジネスライクな考えを持っていたのだろう。
作詞作曲に関わった人間のみがノミネートされるべきであるという。
初期WHITESNAKEはデヴィッドとバーニー.マースデンとの作曲が多くを占めていた。
“Wine,Women And Song”や“Mean Business”など、キーボードが前面に出ているものは、やはりジョンが作曲に携わっていたのみで、ほとんどのジョンは関ってなかった。
やはりデヴィッドは、ギタリストを重んじる志向だったのだ。
あまりキーボードを前面に出すのは、デヴィッドの好みでなかったのだろう。
91年のインタビューで「DEEP PURPLEが再結成しなかったらどうしていたか、という質問に対し、「映画のサントラでも作っていたか、他のバンドから加入のオファーがあったら加入していただろと思う。WHITESNAKE以外ならばね!(笑)」というのが印象に残っている。
しかし、84年に再結成した時のオリジナルメンバーでのクレジットは、リッチー、イアン.ギラン、ロジャーでのメインになり、作曲に携わった場合にのみノミネートされた。
リッチーが脱退した後には、全部DEEP PURPLEになった。
リッチー.ブラックモア
これは何を意味するか?
リッチーはビジネスに対して厳格なスタンスで臨んでいたゆえに、作曲関っていない人はクレジットに入れるべきではない、ということだろう。
しかし、他のイアン.ギランやロジャー.グローバーはそんなに厳格に考えていなかったということだろう。
ゆえに、70年代のDEEP PURPLEの作曲はほとんどの曲にジョンの名がノミネートしているにもかかわらず、84年の再結成以降は、厳格に作曲に関わった場合のみ、ということにしたかったのだろうリッチーは。
しかし他のメンバーとはスタンスが違う。
こういった軋轢ゆえに、93年のリッチーの再脱退が起きたのだろうことは予想できる。
あの再脱退は、あたかもイアン.ギランとリッチーの仲間割れという様相を呈していたが、それだけではなかったのだ。
余談だが、イアンとリッチーは喧嘩別れで、もう一緒に話すことも不可能かと思いきやそうではなかった。
画像検索していたら、外国の雑誌で、2人が並んで表紙を飾り、そのインタビューも収められていたのを知って驚いたのだ。
やはり『BURRN!』以外にも食指を伸ばしておく重要性を感じたのだ。
再脱退後、『BURRN!』のインタビューで当然、リッチーはイアンの批判を最初にしていたが、それだけでなく、ジョンの批判もしていた。
「ジョンは、作曲をしないくせにクレジットを欲しがる。」ということである。
しかし、ジャミングで作曲するのは、まず最初にイニシアティブを握っていたメンバーが演奏をしてみる。 そのイニシアティブのメンバーがイアン.ギランやリッチー.ブラックモアやロジャー.グロバーだったのだろう。
そこに合わせるように、他のメンバーにこれこれこういう演奏をしてみてくれという指示を出す。
それで言われたプレイヤーは奏でてみる。
このようにしてできた曲が、その指示されたプレイヤーも作曲したメンバーに入れるべきかどうかは、判断に困るのが正直なところだ。
どの程度加えたかにも関係してくるし、そこで新たなリフやメロディやフレーズを盛り込んだら、作曲者にノミネートされてもいいのだろうが、それも程度によるだろう。
こういったその内情を実際に見ていたわけでない私には判断がつきかねる。
しかし、リッチーが再脱退した後のアルバムは、どれも「All Songs Are Composed by DEEP PURPLE」と書かれているいうのはどう考えても不自然のそしりを免れないだろう。
DEEP PURPLE 98
それに、ジョンのソロを聴いても、いまいち作曲能力があるようには見えないし、そのソロアルバムのコンセプトからして、自分がメインになって1つの曲を全体的に構想を練って、ほとんど作れるような力があるようには見えないのだ。
その是非は問わないが、やはり瞠目すべきキーボーディストといわれるためには、自分がイニシアティブを握って曲のほとんどを作ってしまう能力があることを知らしめてくれなくては説得されることはない。
そのためには、やはりソロ作を作り、出すことだろう。
それを確認すべく、先の『未完成バッハフーガ』を聴いたのだが、何の耳朶を引くものはなかったのだ。
ジョンの場合は、既存のものに手を加える程度の力しかないのだろうと思う。
ミュージシャンたるもの、自分の思いを表に出したい、自分のうちから湧き出てくるフレーズやリフ、メロディを表に出したいという思いが出てきたからこそ音楽家になり作曲家になるのではないのだろうか?
これまでに先人が引いた道をなぞるだけでは物足りないから自分のうちから湧き上がるアイデアを形にしたいと思い、それを店舗という形で出して、それを実行する。
それが経営者というものであろう。
そういう思いがない人は経営者はつとまらないし、そもそも経営者になりたいとも思わないだろう。
そういう人は長く勤めても、店長やマネージャーにしかなれない。
これまでの先人がしてきたことや、上層部から発せられたものだけをこなしていけばいいのが店長や従業員といった雇われ人だ。
それと同じように、他の人が書いた曲を演奏するだけでいい、そもそも自分は曲が書けないという人は単なるミュージシャンだ。 作曲家にはなれない。
経営者は、次から次にアイデアが浮かんでこなくては務まらない。
飲食店ならばいろんなメニューやサービスがどんどん浮かんでこなくてはならないし、マーケティングも虚心坦懐の常に学び続けて、自分のお店に適応させて、試行錯誤を繰り返さなくてはならないのは言うまでもない。
作曲家も、曲や歌詞が普段何気なく生活していく中で、無意識のうちにどんどん浮かび上がらなくては務まらないのは言うまでもない。
そしてできた曲が、多くの人の心をとらえられなくてはいけないのだ。
経営者と雇われ人。
作曲家と単なるミュージシャン。
これは同じ対比の構造になっているのがわかる。
しかし、これは断っておかなくてはならないが、作曲家がよくて単なるミュージシャンはだめ。
経営者は素晴らしくて、雇われ人はだめ、ということを言っているわけではないのだ。
作曲家にできて単なるミュージシャンにできることは往々にしてあるだろうし、経営者も同様だ。
社会は様々な要素で成り立っているわけで、作曲家や経営者だけで成り立っているわけではないのだ。
しかし、作詞をしないシンガーの歌はソウルが感じれないので感動できないし、作曲のできないミュージシャンの音楽もソウルが感じれないから感動できない。
ゆえにどちらも評価できないのだ。
しかし、困ったのは私はシンガーの歌に一番食指が動いてしまうのだ。
天才的な曲を作るミュージシャンでありながら、それ故に自分で歌詞も書いてしまうバンド、例えばROYAL HUNTやDREAM THEATERは、いずれもバンドの中心人物が曲のみか歌詞まですべて書いてしまうがゆえに、シンガーがどんなに巧くても感動できないのだ。
DREAM THEATER
そして、いつしかファンを辞めてしまっていたのだ。
アンドレ.アンダーセン(ROYAL HUNT)、ジョン.ペトルーシ(DREAM THEATER)はともに天才的作曲能力をもっていて、作詞までほとんど全部こなしてしまうがゆえに、聴いても私は感動できずじまいだったのだ。
作曲していないミュージシャンのプレイは感動できないし、作詞していないシンガーの歌は自分の書いた信条や思いが入ってないのでやはり感動できないのだ。
私が一番理想と思っているのは、ミュージシャンが作曲をして、それにとてもマッチした歌詞をシンガーが書くというスタイルだ。
またミュージシャンとシンガーが共同で曲を作り、シンガーが歌詞を書く、というのでもいい。
また、シンガーが作詞と作曲を両方担当するというのでもいい。
こういった自分の信条を分析すると、見事に符合するのだ。
POISON,RATT、CINDERELLA、FIREHOUSE,WHITESNAKE、NIGHT RANGER、TEN、JUDAS PRIEST、METALLICA、NICKELBACK、EMPERROR、FOREIGNER、WINGER、HIMといったバンドだ。
これらのバンドは、楽器プレイヤーが作曲をし、シンガーが作詞をする。
あるいはプレイヤーも作詞をしたり、シンガーが作曲もしたりする。
ゆえに、音楽も歌も感動できるのだ。
ビリー.ジョエルやリチャード.マークスやポール.マッカートニーはシンガーではあるが、作曲もすべてほとんど自分でこなしてしまうマルチプレイヤーだ。
この3人も、30年以上愛聴してきた。
これに倣うと、やはりアンドレ.アンダーセンやジョン.ペトルーシも楽器をこなしながら自分で歌も歌うということをしていれば、私の求めるスタイルとフィットして、感動できたことは間違いない。
そしてファンになっただろう。
しかし、それはROYAL HUNTやDREAM THEATERは曲があまりにも難易度が高く、プログレッシヴゆえに難しいだろうか…。
秀逸な曲を自分だけでほとんど作ってしまえるキーボーディストならばHR界最高峰といえると私は思う。
ならば、それは間違いなくアンドレ.アンダーセンだろう。
アンドレ.アンダーセン
キーボードの腕もさることながら、作曲能力もかなりの程度秀逸だ。
それは以下の曲を観れば一目瞭然だ。
しかし、私はROYAL HUNTの音楽は聴けない(笑)
それは彼が作曲のみならず作詞まですべてこなしてしまうから、シンガーがどんなに巧く歌っても感動できないからだ。
こんな私の意見は非常にわがままで気難しい要求だろうが、それが私のスタンスゆえに仕方ないのだ。
変えようにも変えられない(笑)
ならせめて、秀逸なプレイヤーのインストのソロアルバムなどを聴けばいいだろうというように必然的になる。
アンドレやジョンのソロアルバムはそれぞれ出ているが、いずれもインストだけだ。
歌が入っていないのだ。
ジョン.ペトルーシ
こういうアルバムはほとんど聴く気になれない。
心清む音楽を奏でた感動的なゆったりとしたインストならば愛聴盤になるのも可能だ。
そこで思い浮かぶのは、やはりケヴィン.ムーア在籍時のDREAM THEATERの“Eve”だろう。
これはアルバム『AWAKE』の初回限定盤にミニCDとしてついていたが、28年前ということもあり、かなり入手は難しい。
ならば、一番可能事なのは、ゆったりとした曲をキーボードを奏でながら、その演奏者が歌っている曲だろう。
それは、ゆったりとした曲であるならば可能だ。
しかし、それはHRやHMという土壌では無理だ。
しかし、ロック、ソフトロック、AORという土壌では可能だろう。
ならば一番のお勧めはビリー.ジョエルだ。
ビリー.ジョエル
これほど夢中にさせてくれたピアノマン兼シンガーはそうそういないだろう。
そういう感慨でいる人はかなりの程度いることは間違いない。
いつ聴いても、この人の音楽は感動が必然的に呼び起こさざるを得ないのだ。
ゆえに、この人の音楽は勧めたいのだ。
興味ある人は以下より購入することをお勧めしたい。
↓
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。