デヴィッド.カヴァーデール
リッチー.ブラックモア
デヴィッド.カヴァーデールとリッチー.ブラックモアには共通点がある。
1つは、ともにDEEP PURPLEに所属していたこと。
もう1つは、ともに自身のバンドで大きな転換点があったことである。
周知のように、デヴィッドとリッチーは74年にDEEP PURPLEで同居した。
DEEP PURPLEのキーボーディストだったジョン.ロード(故人)が当時GOVERNMENTというバンドに属していたデヴィッドの歌に惚れこみ、イアン.ギランが抜けたDEEP PURPLEに来ないかと誘ったら、その通りに来たということだ。
それによって、名作『BURN』アルバムが生まれて、今も入手可能なアイテムになっているのだ。
これは、このバンド最大のヒット作である『MACHINE HEAD』が全米7位なのに対して、9位を記録したのだから、深紫史上2番目の記録ということになる。
『MACHINE HEAD』
その後、1枚のアルバムを出した後に、リッチーはこのバンドを抜けてしまう。
リッチーとデヴィッドとベーシストであったグレンがメインソングライターだったが、2人の音楽性とそれほどの相性が感じれなくなったというのが表向きだったが、その他の理由が重なったのだろう。
その後、DEEP PURPLEは、もう1枚のアルバムを出して解散する。
その後、78年にはデヴィッドがWHITESNAKEを結成する。
そしてリッチーは、DEEP PURPLEの前座をしていたELFのシンガーだったロニー.ディオと一緒にRAINBOWを結成する。
しかし、共通するのは、両者とも結成当初は、全世界規模での成功を手にすることは出来なかったということである。
世界でミリオンセラーを挙げたアルバムを出すというような偉業である。
しかし、両者ともに共通しているのは、リッチーは80年にRAINBOWで『MONSTERS OF ROCK』のトリに、そしてデヴィッドは83年にWHITESNAKEで『MONSTERS OF ROCK』のトリになった。
『MONSTERS OF ROCK 80』
両者ともDEEP PURPLEで同居したということは興味深い。 (その後、WHITESNAKEは90年、2003年と2回、『MONSTERS OF ROCK』でトリをつとめ、RAINBOWは2016年にトリを務めている。ここまでこのイベントでトリを務めれるとは両者とも非常に幸運なミュージシャンだ。)
『MONSTERS OF ROCK 2003』
しかし、ことWHITESNAKEにおいては、結成から9年目にして世界規模での大成功を収めたのだ。
誰もが周知の、あの『WHITESNAKE』アルバムである。
これが結果的に全米で800万枚を売ることになったのだ。
WHITESNAKEとRAINBOWはともにデビュー当初は、日本やイギリスを中心としたヨーロッパでは人気があったが、ことアメリカではゴールド以上の成功は収めれてはいなかった。
確かに両者ともにアメリカではライヴはできたし、そこでの映像もブートレッグで確認できるが、大きな会場では無理だったようだ。
しかし、WHITESNAKEでのこの成功はどうだ?
『WHITESNAKE』
どうして前のアルバムが50万枚しか売れていなかったのに、いきなりこんな莫大な数が売れたのだろうか?
やはりそのアルバムに参加したミュージシャンの変更と、プロデューサーに恵まれていたということだろう。
それまでの言葉は悪いが古臭いブルーズロックをしていたWHITESNAKEでは、アメリカでの成功は難しいと思えるものだったが、87年のこの『WHITESNAKE』では、メンバーを一新して、しかも現代的な作曲センスと凄腕ギタリストと組んで作詞作曲したことで、売れるエッセンスを得ることができて、成功に結び付いたのだ。
このアルバム収録のクリップをみた時に、デヴィッドのルックスも勿論、他のミュージシャンの歳も若返っているのを見た時には驚いたものだ。
そしてアメリカはもちろん、世界中で成功できる曲とセンスへの変貌にも驚いたのだ。
このアルバム収録の4つのクリップをMTVでみた時に録画もして、それを何度もみて、虜になってしまっていたのだ。
“Here I Go Again” 『WHITESNAKE』収録
そして、高校に入りバイトをして、自由にできるお金が手に入ると、輸入盤のCDシングルやLPシングルやビデオクリップ集など、WHITESNAKEのマテリアルは無意識のうちに最優先で買い集めていたのだ私は。
リッチーにも、そういう大きな転期が来た時があったのだ。
それは95年にさかのぼる。
93年がDEEP PURPLEの結成25周年ということで、最も栄えた時期のメンバーを招集するぞということになり、その期は当然2期だった。
その時にシンガーだったジョー.リン.ターナーは、メンバーとの確執が高まり、いづらくなったこともあり、自分で抜けたいという気持ちも高まり、脱退したのだ。
「あなたは辞めたのですか?それとも辞めさせられたのですか?」という問いに対して、ジョーは「その両方なんだ。」といっていた。
そして、ジョーの前にリッチーと喧嘩別れしたイアン.ギランが呼び戻されてアルバム『BATTLE RAGES ON』を作り、ツアーも敢行されるが、またもリッチーとイアンの対立が深まり、今度はリッチーが抜けてしまうのだ。
その後、リッチーはRITCHIE BLACKMORE'S RAINBOWを結成し、アルバム『STRANGERS IN US ALL』を出した。
RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW
その時も、古来のブルーズや様式美を奏でるミュージシャンというイメージからは程遠いルックスを有したメンバーが招集された。
しかも、リッチーよりもかなり若いミュージシャンだったのが印象的だったのだ。
87年のWHITESNAKEと、95年のRAINBOW。
共通するのは、ともにそれらの年の『BURRN!』の人気投票でいろんな部門でチャンピオンになったのだ。
87年度は、WHITESNAKEがバンド部門、シンガー部門、TUNE部門、ビデオクリップ部門、アルバム部門、アルバムカバー部門でチャンピオンになるのだった。
そして、95年度はRAINBOWがバンド部門、ギタリスト部門、TUNE部門、アルバム部門、来日公演部門でチャンピオンになるのだった。
このように共通するバンドも珍しい。
しかも両者とも、メンバーを若いミュージシャンに一新しているのだ。
『STRANGERS IN US ALL』
それゆえに、こういった成功を収めたのだといっていいだろう。
やはり、旧来の考えだけでは打破することは難しいのだから。
しかし、蛇足ながら、余計なことながらWHITESNAKEは、このアルバムでギタリストがかなりテクニカルに向上したが、RAINBOWは旧来のままということである。
テクニカルな面は全然ない(笑)
この年に収められたRAINBOWのドイツでのライヴを収めたブート映像を持っているが、これはのちに『BLACK MASQUARADE』というオフィシャル映像になっている。
これをみると、やはりリッチーのプレイはうまくない。
フィンガリングは遅いし、単音で弾くとその音が目立つディストーションで調節しているので、そのことが浮き彫りになってしまっているのだ。
しかも、この人のフレーズで耳を惹くものは私の場合皆無なのだ。
ゆえに、この人が「世界一のギタリスト」と崇められている理由が全く分からないのだ。
“Highway Star”や“Burn”で見せるフレーズには共通するメロディがあり、そのメロディが多くの人を魅了してきたのだろうか、と時たま思うことはあるが、それほど私は感動しないし、そのまま素通りしてしまうのだ。
リッチー.ブラックモア
ゆえに、この人が弾いている映像モノが出ても一向に買う気が起きない。
80年の『MONSTERS OF ROCK』でのRAINBOWのライヴは伝説的なものであり、ハードロックファンならばこの映像は誰しも見たいと思うものであろうが、このライヴが初のオフィシャル映像化されたときに、リッチーフリークの人はすぐさま買っただろうが、今に至るも私は買っていないし、観る気も起らない。
逆に、WHITESNAKEの映像モノは、発売と同時に買って観てしまうのだ。
その差はテクニカルな音楽性にある。
80年代後半から私はハードロックにのめりこむことになったが、テクニカルなプレイ、中でもギターのそういったプレイに関しては、どうしても耳朶に残って何度も聴きたくなってしまうのだ。
逆にそういうものがない曲は、疎遠になってしまっていたのだ。
ゆえに、ハードロックを聴く前の趣味であった普通のロックやAORといったものはたまに聴く程度であり、そんなに回数は聴いていない。
自然とそういうことになってしまっていたのだ。
これは単なる好みの問題であり、こうでなければ邪道ということではないことはお断りしていおきたい。
逆に、あまりテクニカルではない方が、リスナーに親近感がわいファンになられやすいということは指摘しておかなくてはならないだろう。
音楽にのめりこむと誰しもその曲を楽器でプレイしたくなる。 特にギターのような誰でもすぐ買えてプレイしやすいものに関してはその傾向が強い。
そこで、楽譜を買ってコピーをする。
その際に、誰でもできるような簡易的なプレイしかしないアーティストのモノであれば、誰でも何曲もコピーする。
しかし、あまりに難易度の高いプレイをするバンドの曲は、練習に練習を重ねてようやくできるようになる。
それでは、自分にはできないからと疎遠になる。
逆に、何曲もコピーできるアーティストのほうに関心が向く。
すると、簡易的なプレイが多いアーティストのほうがCDも売れて、ライヴに行く回数が増える。
これで明らかだろう。
簡易的なプレイをするアーティストのほうが売れるのだ。
ハードロックアーティストで、20世紀に一番売れたのはAC/DCで、次はAEROSMITH、そして次はGUNS N' ROSESといった具合だ。
これらのアーティストはいずれもギターが簡易的なモノなのだ。
そしてリッチーのメインのキャリアであるDEEP PURPLEも前世紀においてアルバム、シングル合わせて1億万枚以上を売ったのだ。
しかし、WHITESNAKEはここまで売れていない。
やはり簡易的なプレイのほうが買い手に親近感が芽生えて売れやすいということである。
しかし、私はテクニカルなプレイのほうを好む。
そういうプレイのほうが興奮を覚えるからだ。
しかし、そういうプレイは一般的に見て親近感をもたれずらい。
そういうテクがもてはやされたのは80年代においてだけだったようだ。
87年のWHITESNAKEのあのアルバムは、かなり売れたが80年代以降であれば、それほどもてはやされたかは保証のしようがない。
WHITESNAKE
一気に売れて以下のような来日公演を果たしたのだ。
88年 JAPAN TOUR 日程
6月11日、12日、13日、15日 代々木オリンピックプール
6月16日 横浜文化体育館
6月18日 名古屋市総合体育館
6月21日 大阪城ホール
しかし、95年のRITCHIE BLACKMORE'S RAINBOWの来日公演も果たすが、DEEP PURPLEほどの知名度がないにも関わらず結構な規模でできたので、あまりのリッチーの人気の高さや根強さを垣間見た気がしたのだ。
11月11日代々木オリンピックプール
11月12日代々木オリンピックプール
11月14日京都会館第一ホール
11月16日大阪府立体育館
11月17日名古屋センチュリーホール
11月19日大阪フェスティバルホール
11月20日九州厚生年金会館
11月22日横浜文化体育館
11月23日東京ベイN.K.ホール
“Black Masquarade” 『STRANGERS IN US ALL』収録
全然気になるミュージシャンでないにもかかわらず、このような人気を誇っているのをみても批判する気にはなれない。
やはり単なる好みの問題なのだから。
しかし、どう頑張っても私はリッチーに夢中になれないのだ。
テクのレベルも低いし、私が感動するフレーズもリフもないからだ。
それでも本人を神と崇めるファンは多い。
それも批判しようとは思わない。
単なる好みの問題なのだから。
ただ今回は、デヴィッド.カヴァーデールとリッチー.ブラックモアの共通点を挙げて、知的遊戯を愉しんだだけのことである。
ここまで読んで、それに興味を持ってくれた人には感謝したい。
以下、両者のマテリアルを紹介したい。
●『WHITESNAKE 87』は以下!
↓
WHITESNAKE ホワイトスネイク 1987 | ||||
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●『STRANGER IN US ALL』は以下!
↓
Ritchie Blackmore's Rainbow / Stranger In Us All | ||||
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●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。