(コラム)ロイ.カーンとトミー.カレヴィックのKAMELOT両時代を比較する!

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シンガーのチェンジは、時としてバンドに良い結果をもたらす事になる。

加入したシンガーの持ち込んだ音楽性が、それまでのバンドにない要素が持ち込まれて音楽に良好さに相乗効果をもたらす事になることがあるからである。

もちろんその加入したメンバーが作詞や作曲をしなければ話しにはならないが。

それがKAMELOTでは、2012年トミー.カレヴィックの加入になる。

それまでは元CONCEPTIONロイ.カーン(下写真)が務めていたが、彼は体調不良を理由に脱退した。

kanroy

確かに、ロイは素晴らしい声を持ったノルウェー人だ。

その声は、CONCEPTION時代から注目されていて、その声は「神の声」とまで評された。

しかし、今思えば、ロイの声があのグレーじみた色を彷彿とさせる音楽に彩ったKAMELOTが心底称賛したいかといえば疑問符が付いた。

その音楽を作る人の心情やモラルや世界観といったものが色濃く反映されるのが、このジャンルの芸術なのだ。

ロイが加入したKAMELOTの音楽は、彼の心情を映し出していたがゆえに、この時代と、今のトミーの音楽を比べると、やはり暗めな印象を受ける。

やはりグレーな色合いが音楽から醸し出されるし、私の好きなメロディのレベルではないので、それほどの感動をよび起すことにはなっていないのだ。

なぜそうなるか?

やはりメイン作詞家だったロイの心情を映し出していたからだろう。

その人の世界観は、それまでに育った環境、自分が摂取してきた情報、読んだ本や見てきた映像、その他さまざまなものが影響を与えて形作るものなのだ。

それによって、歌詞や曲が出来上がるもので、その結果、今のKAMELOTより結構暗い印象を与えることになっている。

それが私の好みになっていないと感じたのだ。


concep   
ロイ.カーン(左端)


しかし、それを批判する気にはならない。

やはり、心底自分の思いを表出するのが音楽である。

ゆえに、思ってもいないことなどを「売れそうだから」とか「今の時流だから」といった理由で歌詞にする必要はない。

自分が心底アピールしたいことを歌にすべきなのだ。

そうすることで、琴線に触れた人を感動させることができるのだ。

しかし、琴線に触れなかった人は感動できる話ではない。

琴線に触れた人が多い場合、ヒット大ヒットという現象になる。

しかし、最初からそれらを狙って音楽や歌詞を製作すべきではない。

ゆえに、ロイ時代の暗めのKAMELOTの音楽を自分は好きになれないからと言って、ことさら批判する気にはなれない。

やはりミュージシャンたるもの自分の心底思うべきものを表出するべきなのだ。

しかし、その結果できた音楽性が私の琴線にそれほど触れずに終わってしまうのであれば、やはりメインの好みにはなれない。

これまでロイ加入時のEPICA』アルバムPOETRY FOR THE POISONED、そしてベスト盤であるWHERE I REIGNを買って聴いたが、「いいんだけどねえ…」で終わってしまうことを発見した私は、いずれもヤフオク!で売ってきた。

konsep

ロイは素晴らしい声の持ち主であるし、歌唱力はこの上なく高いが、出来た音楽がこれでは、やはり手放さずにはいられない。

いま、ロイはいまCONCEPTIONに戻ったが、そこで作っているアルバム名もMY DARK SYMPHONYFLOWといった感じで、やはりその名から、音楽性が想像できてしまう(笑)

そういう音楽はたまに聴くのならばいいが、そんな毎日聴くには及ばない(笑)

しかし、断っておくのは彼への批判ではないし、あくまでも自分の好みではないということだけだ。

2007年には、KAMELOTGHOST OPERAというアルバムを出して、あのWHITESNAKEともドッキングを組んでライヴもやった。

それが下の写真である。



神の声と評されたロイ.カーン率いるKAMELOTと、名実ともに世界的に認められたロックシンガーであるデヴィッド.カヴァーデール(下写真)率いるWHITESNAKE…こんな夢のような共演が実現されたのであれば、その2つのドッキングを撮影したブートがあったら是が非でも手に入れたいところだ。



そして、この場でも紹介しただろう。

しかし、これまで買ったロイ加入時の3つのアルバムが、どれもそれほど好きになれなかったのであれば、買って聴く気にはなれなかったのだ。

たまたま、そのGHOST OPERAの出来がいいという可能性はあるが、昨今の値上げで、高くなっており買う気は失せている。

非常に残念だ。

以下、ロイの声を最大限いかした曲であるCONCEPTION時代の“Silent Crying”と、そのアルバムを以下に紹介したい。


Silent Crying”
  ↓



PARALLEL MIND  
 

Conception / Parallel Minds
by カエレバ



ロイ
が加入してから12年後に、彼は体調不良によって脱退してしまう。

そして、迎い入れられたのはSEVENTH WONDER等で活動していたスウェーデン人シンガーのトミーカレヴィックだ。

それまでのキャリアについては知らなかったが、2015年MEGADETHトリにしたLOUD PARKを観に行ったときにKAMELOTもみることができた。

loupar

メインステージで初めから数えて5番目に登場ということで、曲数は少なかったが、それでも印象を残すには十分のいい曲ばかりだったことを覚えている。

「確か、このバンドにはロイ.カーンがいたんじゃなかったっけ?いつの間にか脱退して違う人が加入していたの…」くらいにしか思ってなかったが、楽曲の良さと、歌の上手さが目立って「このアルバム買いたい!」とすぐさま思ったのだった。

いまどきのデビュー作からしてレベルの高いHMアーティストがうようよいる時代において、メインアクトになったバンドと、前のほうの順番で登場してくるバンドにもはや差などないのは明白だった。

スピードとヘヴィさを失ってしまったMEGADETH(下写真)よりは、KAMELOTのほうがいい出来のバンドと思ったものだった。

mgasi

そして、すぐさま当時の最新アルバムだったHAVENを買って聴いたのだった。

その良さに耽溺した私は、その後すぐに実現した単独来日公演にも当然足を運んだ。


単独公演ゆえに、LOUD PARKの時のように曲数が制限されるわけではなくフルだったのが幸いした。

ただ、トミー加入後のアルバムをすべて(とはいっても『HAVEN』を含めても2枚だったが)集めていたわけでも、その前のロイ時代の曲も知っていたわけではなかったので、知らない曲が演奏された時は困惑のほどは想像されたいところだ。

そして、最近トミー加入後の最初のライヴ映像であるI AM THE EMPIREを買って観た。

単独の来日公演で見せた独特の存在感のあるトミーのパフォーマンスと、振り付けのステージアクションをまたみたいと思っていたところに、まさに渡りに船だった。

やはり堅実なプレイに冷徹な雰囲気を出しながらも、ヘヴィさは維持し、きらびやかな閃光を発した照明アクションが、このバンドの魅力を相乗的のアップさせているのだ。

tommykyare

これはもちろん、バンドの着実な演奏力と構成力とそして歌唱力がなければできた話しではない。

メロディの起伏も、ドラマティックな曲展開に乗じるように調和しているから興奮を隠せない。

このバンドの音楽的特徴はシンフォニックと呼びならわしてもいいだろう。


そういう音楽を体現するバンドは、ヨーロッパとくに北欧に多い。

トミーの故国のスウェーデンもそうだし、オランダにもそういった音楽を体現するバンドは多くいる。

類ともゆえか、スウェーデンAMARANTHEのシンガーであるエリーゼ.リードや、DELAINシャーロッテ.ヴェッセルARCH ENEMYアリッサ.グルーズもゲスト参加して、このライヴに登場している。

こういうシンフォニックなバンドはアメリではなかなかいない。

KAMELOTアメリカ出身にもかかわらずシンフォニックなメタルを体現する珍しいバンドだ。 北欧にはそういう例が多いが、フィンランドSONATA ARCTICA(下写真)もそういう音楽だが、このバンドはスピーディでかつ冷徹なメロディを有しながらも、熱い血潮を感じる音楽をしていたのをLOUD PARKで出演した時のステージで感じた。

sonata.jpg

こういう特徴をしたバンドはなかなかいない、SONATA ARCTICAのみが有する貴重なアイデンティティだ。

トミー加入後のKAMELOTは、スピーディでかつ冷徹なメロディを有しながらも、熱くはなくそのまま爽快さに変化する感じだ。

ロイの時期は、その爽快さがなく、歌メロの暗さがマイナス因子になってしまっていた観があると感じるのの私だけであろうか?

ロイ時代の曲では"Rule the World""March of Mephisto""The Great Pandemonium"がこのライヴ映像では披露されているが、曲数はこのくらいでいいだろう。

KAMELOTと銘打っているからには、全時代のをできる限り網羅しなくてはならないが、前任者のモノをいたずらに多く演奏するのはいただけない。

その曲は、トミーが書いたものではないからだ。

自分が書いていない歌詞の曲を歌っても、聴いている側は感動できない。

ゆえにこれくらいでいいだろう。

サミー.ヘイガーVAN HALENに加入した時には、自分がレコーディングした曲を中心にしていた。

van halen

それのみか自分のソロアルバムからの曲もしていたが、当然それでいいだろう。

他人が書いた歌詞の曲は、感情がのせれないゆえに、聴いていても感動できない。

トミースウェーデンだが、歌詞も英語で書いている。

しかし、それが功を奏して、最初から最後まできき手を感動させることにつながっている。

激しい曲でも、エモーショナルなバラードでもである。

最初から最後まで緊張感が途絶えないがゆえに、何度もこのライヴ映像を見てしまうのだ。

その結果、最近トミー加入後の最初のアルバムであるSILVERTHORNEを買って聴くことにつながった。

その良さについては別のページで紹介したいが、KAMELOTがこれほどまでに熱中させてくれるものを出してくれるとは思わなかった。

最近は、そのI AM THE EMPIREを毎日のように鑑賞している。

しかし、KAMELOT95年のデビューから17年後SILVERTHORNEにおいて素晴らしい出来を披露してくれたことで、一気に大ファンになった。

それまではそれほどマークなどしていなかったのだが。     

さながら、デビューから9年間は好きでも嫌いでもなかったWHITESNAKE9年後にとてつもなく素晴らしいアルバムを出してくれて、大ファンになった軌跡と通じるものがある。

そのアルバムが、WHITESNAKE 87』(下写真)だ。

白蛇の紋章

WHITESNAKEの場合の9年と17年と差があるのは確かだが、それでもうれしいカウンターパンチだ。

こうなれば、トミーのこれまで属していたSEVENTH WONDERにも関心がいって当然のことで、音楽サイトにいって入手可能なのは入手したいと思っている。

まずは、トミー加入後に出した2枚目の佳曲とそれ収録のアルバムを紹介したい。


●“Insomnia
  ↓



HAVEN

Kamelot キャメロット / Haven
by カエレバ



●以下のサイトでも取り扱っています。
  ↓
タワーレコード

【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD

今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

someruyashoken


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♯ロイ.カーン

♯トミー.カレヴィック

KAMELOT

(コラム)スティーヴン.パーシー(RATT)とジョージ.リンチ(DOKKEN)が共演。2人の歴史を見て、人間社会を占う!

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RATTティーヴン.パーシー(vo)のソロライヴに、DOKKENジョージ.リンチ(g)が飛び入りして、RATTの最大ヒットである“Round And Round”をプレイした映像が話題になっている。

それが以下の動画だ。





しかし、この両者は、昔から活躍した時代が重なるし、音楽的にも重なることもあって、一緒に仕事をすることもよくあった。

ティーヴンのソロアルバムであるRATT ATTACK(下写真)にジョージがゲスト出演もしている。



しかし、RATTDOKKENはともに活躍したのは80年代初めから90年代初めまでであり、それ以降、両者とも解散、再結成を経て活動しているが、80年代のような活躍は出来ていない。

しかし、アルバムを出して売れなかったら、さらに継続してアルバムを出す、という施行をしていかないことには、ファンの心は離れていってしまうのだ。

それがわかっていながら、RATT2010年以来、アルバムを出すわけでもなく、たまにツアーを組んでライヴをするだけだ。

おなじRATTでも、ティーヴンを中心とする派と、ボビー.ブロッツァー(d)を中心とする派に分かれてしまっている。

その後、ティーヴン8枚ソロ作を出すも、ほとんど話題にならずに終わってしまっている。

当然だ、評価したいほどのできではないからだ。

1枚を残して、あとは売りに出そうと私は思っているところなのだ。

私のティーヴンへの忠誠心は強く、あのRATT90年DETONATORでコケた時でも(それでもゴールドにはいったが)、コンサートに足を運んだし、その良さについても、この場で書いてきた。

しかし、このバンドを生で見たのは88年の東京ドームでのSANYO HEAT BEAT LIVE(下写真)の時だ。



BON JOVIの前とはいえ、かなりの大勢の人が、このバンドの曲を知っていて、一緒になって歌い、拳を振り上げていたのを覚えている。

そして、RATTの公演が終わるや、1000人単位の人が帰宅してしまったのだった。

その勢いはどこに?と思ったのだ、そのDETONATORのツアーで日本に来た時の規模の小ささと応援する人の少なさに驚いた時には。

88年東京ドームでは2回出演した直後に、単独公演を14000人擁する日本武道館でやった。

しかし、そのDETONATORのツアーで組まれた東京公演は、すべて中級ホールで、すべて足しても武道館1日分にはならないのだ。

会場を上から見渡すと、ちらほら空席も見えた。

それでも、あのアルバム収録の“Givin´ Yourself Away”のクリップには、その時の東京公演が映像として納められて使われ、「Givin´ Yourself Away」と書かれた垂れ幕を掲げている女性ファンの姿がおさめられている。

おそらくその女性ファンが自分で作ってきたのだろう。

それを考えれば、RATTの人気は捨てたものじゃないだろうと思った。


pikuchaareko.jpg
DETONATOR


その次の年、周知のようにRATTは解散。

ティーヴンは早々と、元CINDERELLAフレッド.コーリーとともにARCADEを結成して、93年来日公演を行った。

それにも敢然として私はいった。

そのARCADEのアルバムの出来が良かったので。

RATTにはない魅力を存分に有していたのだ。


そのアルバム収録の曲が以下だ。


“Never Goin’ Home”ARCADE』収録



どっちが優れている、という判断ではなく、どっちもよかったのだ。

しかし、その翌年に出した『A/2』はさんざんな出来だった。

気怠いテンポとメロディの曲ばかりでアルバム通して聴くのがかなり苦痛なアルバムだった。

ほとんど聴かずに終わってしまったアルバムだった。

RATTティーヴンへの忠誠心の薄れた初めてのアルバムだったのだ。

そして、あえなくARCADEは解散。

その後、ティーヴンは、VISOUS DELITEVERTEXなどといったバンドを結成するがどれも長くは続かなかった。

私はいずれも買って聴いたが、どれも印象に残るものはなかった。

その両方のアルバムを今も保管しているが、全然聴いていないから20年以上たった今でも新品のようないでたちをしている。

そのVERTEX来日公演を行うも、チケットの売れ行きがわるく、タダ券も配られたという。

そのコンサートの際、ティーヴンが客席に向かってのみもののカンを投げたが、誰も取らず、床に落ちて、その音が響いていた、というエピソードが『BURRN!』に書かれていた。

そこまで堕ちたか、元RATT!と思わずにいられなかった。

87年来日公演では日本武道館2日間やったというのに、この落ちぶれよう…。


GetAttachment[2]
   RATT 87


そして、97年RATTは復活する。

その時に出されたアルバムはCOLLAGEといったが、これはアウトテイクばかりを集めたアルバムで正規のアルバムではなかった。

しかし、それを正規のアルバムとして出してしまっては評判が悪いのは当たり前だ。

しかも、そのいずれの収録曲も印象に残るものはなかったゆえに。

そのアルバムは、オリジナルメンバーで作ったのではなかった。

オリジナルで招集したのは、ティーヴン、ウォーレン.デマルティーニ、ボビー.ブロッツァーの3人だけだった。

その他、ロビー.クレインがベーシストとして起用された。

オリジナルメンバーで集められたバンド出ない場合、やはり支持は集められにくい。

そのCOLLAGEツアーで来日公演で会場になったのは、クラブチッタ川崎2回だけだった。

ここでも日本武道館2日間やったバンドなのに…」という声が聞こえてきそうだったが、オリジナルメンバーではないのと、あのアルバムでの出来では当然という声のほうが大きかったのは致し方ない。

それでも復活してくれたのだから素直に喜ぶべきだろうと思ったのだったが、あの出来では致し方ない。

その後、RATTというオリジナルアルバムを出すも、これも佳曲があまりにも少なくほとんど話題にされずに終わった。

ゆえに、その後予定されていた来日公演渋谷クラブクアトロと、前回を下回る規模に収束。


woren
ウォーレン.デマルティー


そしてツアー中に、ティーヴンウォーレンがケンカし始めて、ツアーは中止し、来日公演も取り下げられた

どうしてこうもよくないアルバムを連発してくれるんだ、と昔のRATTファンは憤ったのは間違いない。

普通というか、たいていの人や、音楽にあまり興味ない人ならば、駄作を1枚出しただけですぐにファンを辞めるだろう。

しかし、私は80年代のあのRATTの素晴らしさに耽溺して、あの再来を待ち10数年以上もたっていたのだった。

これほど忠誠心の強いファンはいないだろう(笑)

それが報われる時がついに来た。

その後、いろんな曲折を経て、2010年RATTINFESTATION(下写真)を発表。

INFESTATION.jpg

これが往年のRATTを彷彿とさせる素晴らしい出来だったのだ。

それゆえに、この年のBURRN!』READERS POP POLLのアルバム部門で20位以内にランクインしたのだった。

実に20年ぶりのランクインだった。

その結果は頷ける。

それはそれは素晴らしい出来だったゆえに。

その後、LOUD PARK 10』にも参戦し、トリから数えて5番目に登場した。

トリKORNから、HALFORD、STORN SOUR、ACCEPTの前に登場したのだ。

日本武道館公演2日間も単独でできたのは、参加したバンド中RATTだけだったのに、この順位は…と不満だったのだ。

といっても、それは87年のことであり、昔を見すぎだと批判を受けそうだが…(笑)

loud park

そのまま、快調にバンドを進めていってほしかったが、またもバンドは決裂した。

先に書いたように、ティーヴンをリーダーにする派と、ボビーをリーダーにする派に分かれてしまったのだ。

その後、それぞれの派でライヴをやったり、ティーヴンソロツアーをしたりと落ち着かない状態が続いている。

ことはRATTだけでなく、DOKKENも、2016年にオリジナルメンバーで集まってLOUD PARK 2016』に参戦しセカンドビルとして登場した。

そのステージにおける白光のようなほとばしるオーラを感じたのは私だけではないだろう。

そのイベントの後に、日本各地を中規模ながらまわった。


このバンドのオリジナルの人気の底力を見た思いがした。

loupar16

しかし、そのままオリジナルメンバーでスタジオアルバムを作ってツアーをして…というサイクルをしてくれればよかったのだが、他のメンバーを招集してアルバムを作るも、話題にならず、ということになっている。

なぜ、オリジナルメンバーで集まらないか?

主にドン.ドッケンジョージ.リンチの確執だ。

この2人は昔から仲悪く、何度もいがみ合ってきた。

それが94年に回復して、アルバムDYSFUNCTIONALを作り、日本公演もやりにきてくれたのだが、アルバムも出来たのは2作だけで、再びジョージが抜けたのだ。


“What Price” DYSFUNCTIONAL』収録



その後、いろんなギタリストが入っては辞めてを繰り返してきた。

その修復がかなったのだと2016年に思ったのだったが、それは完全回復ではなかったのだった。

ジョージは自分のバンドであるLYNCH MOBをやったり、他のミュージシャンとバンドをいろいろ組んだりということをしてきた。

無数にバンドが存在する昨今においては、目立つのが難しいゆえに、1つのバンドだけに一途に渾身できないのは承知であるが、メインのバンドにおいては、定期的にアルバムを出してほしいというのは正直なところだ。

まあ、ジョージ(下写真)にとってDOKKENはメインのバンドにはなりえないのだろうが(笑)。

george lynch

やはり、過去において発表してきたアルバム等が今も世界中で売れていることもあって、印税が入ってくる。

ゆえに、そんなにいきり立ってアルバムを出して、ツアーに出なくても生活していけるからだ。

ゆえにRATT,DOKKENともに定期的にアルバムを作るということをしていないのだろうと思う。

バンド内においてメンバー同士仲がいいというのならば、それも可能だろうが、歳を重ねるごとに、バンドメンバーのいやなところが出てきて、それを何度もしていると、そのメンバーと一緒にいられなくなってしまうのだろう。

子供のころは、嫌な思いをしても、何とか虚心になって接してきても、大人になるとそれができなくなる。

それまでの経験から、そういう嫌なところは、治らないということを知ったら、ただその人間にレッテルを貼って、改善をしてもらおうという気概がわかなくなる。

もし相手が、心優しくて、人のいうことを素直に直せる人であればいいが、そういう人はまれだからなのだ。

私もそれまでの経験から、3度くらい人の悪口を言っている人を見たら、その人とは付き合いたくなくなるし、話しはしないことにしている。

これまでの経験から、そういう人は悪口を言うことをやめないとわかっているからだ。

幼いころであれば、そういう人がいても無心になって継続して付き合っていっているだろうが、大人になれば、そういうレッテル貼りをすぐにしてしまうのは致し方ないだろう。

その他、こういう奴は嫌だといった自分の意見を形成するのは大人ならば誰しもあるだろうし、自分もそういう部分があるから、そういうレッテル貼りをしている人を非難しようとは思わない。

仕方がないだろう。

それに何もしなくても印税が入ってきて生活ができるとなれば、その状態に拍車がかかるのだ。

やはり大人の人間関係は難しい。



例えば、1999年ROCK WILL NEVER DIE TOURと称して、POISON 、RATT、GREAT WHITE、L.A.GUNSといった80年代ファンにはたまらない顔ぶれのツアーが刊行されたが、そのバンドのメンバーを今垣間見ると、L.A.GUNSは二手に分裂しまっているし、GREAT WHITEも二手に分裂しまっているし、RATTも同様だ。

1つPOISONのみが、オリジナルメンバーで活動しているが、アルバムは出さないし、気の向いた時だけツアーし、そのツアーの際にも日本にはこない。

DEF LEPPARDMOTLEY CRUEとのツアーでは、アメリではジョーン.ジェットとともにツアーしたが、日本ではジョーン.ジェットもろとも外されてしまったのだ。

まことにもって不思議としか言いようがないし残念至極だった。


paty-band
   POISON


ほとんどのバンドメンバーが何のいざこざもなく一緒に纏まっているパターンは数少ない上に、よしんば纏められていても、ほとんどアルバムも出さないしツアーにも出ていないのだ。

誠に遺憾だし、ファンが離れるのも頷ける。

昔、活躍した数々のバンドの実態がこれなのだ。

ティーヴンのソロライヴのステージにジョージが上がったライヴを見ると、ティーヴンは顔がしわだらけで、ジョージは白髪だらけの仙人のよう…しかし年齢を重ねれば致し方ないが、往年の輝きは見れない…って当たり前だが(笑)


ティーヴン.パーシー
24


ジョージ.リンチ 24


白髪状態で、昔のセクシーさはまるでない。

昔プラチナを挙げれたバンドでもこういった状態で、往年の活躍をいま見せれていないからもうこれらのバンドはもうだめだといった意見が出てきそうだ。

でも、それは軽薄に過ぎるだろう。

現に
NIGHT RANGERは、RATTDOKKENよりもアルバムの売り上げでは負けているが、着実に活動を続けていたことで、ファンとの心の絆を強めていることに成功し、最近でも来日公演をしても、中級ホールをいつも満杯にしている。

RATTDOKKENが、いま来日公演を単独でしても中級ホールでは難しいだろう。

NIGHT RANGERが全米で挙げれた記録は、プラチナが2枚、ゴールドが1枚、それだけなのだ。

300万枚、200万枚、100万枚、100万枚、50万枚という記録のRATTや、3作連続のDOKKENよりも記録では劣っているのだ。

にもかかわらず、この記録は素晴らしい。

恒常的に活動できているバンドの強みなのだ。



分裂だの、確執だの、アルバムが昔より売れてないだ,風貌がおじん臭いだのといったマイナス的なことばかりを読んで、今の若い10代から20代の音楽ファンは、いぶかしげに思うだろうし、こういったバンドに魅力を感じないかもしれない。

ましてやバンド内の確執が大きくなってはなおさらだろう。

しかし、虚心坦懐に自分のこれまでの人生を振り返ってほしい。

小学校時代よりも中学時代のほうが人の選り好みをしているだろう?

高校に行ったらもっとその傾向が強くなっているだろう?

大学や専門学校、その後の社会人生活ではもっとそうなっているだろう?

それを考えれば、ここに挙げたミュージシャンの姿は自分を映し出す鏡といっても過言ではないいということだ。

これは何も批判ではなく、厳然とした姿の描写なのだ。

もちろん、人の心に無関心な人間、悪さをして一切心の咎めを感じないサイコパスといわれる人たちは、古今東西厳然として存在するし、そんな人たちとまで無理やり仲良く接しろなどという暴論は吐くつもりはない。

そんなことしたらあなたの人生が台無しになってしまうことは間違いない。

そこではえり好みはしていいのだ。

そこで選り好みをしてしまうのが必然だからと言って、悲しいことと思いそのまま維持するのか、あるいはそれでも厳然として小学校時代の虚心坦懐さを思い起して接していくかで、自分の人生は変わっていくだろう。

そのほうがいい。

しかし、相手にその気がないならば致し方ないのだ。

私はそういう気でいる。

小学校時代、分け隔てなく多くの人と遊んだあの頃を思い起して再起を願い行動する…でもそういう気がある人が少ないからなかなかうまくいかない(苦笑)

でもあきらめずに頑張りたい。

ただ、今の10代、20代のヘヴィなメタルのファンには、これらの過去のバンドにも注目してもらいたい、ということだ。

最高の観客動員数を記録したのは、RATT87年DOKKEN88年だ。

それを以下提示したい。

RATT 87年 来日公演日程
5月9日  名古屋厚生年金会館ホール
5月11日 大阪フェスティバルホール
5月12日 大阪フェスティバルホール
5月14日 東京 日本武道館
5月15日 東京 日本武道館


当時の最新アルバムはDANCING UNDERCOVER(下写真)

dancing undercover

Dancing Undercover

ダンシング・アンダーカヴァー

Tell the World: The Very Best of Ratt


DOKKEN  
88年 来日公演日程
4月20日 東京 NHKホール
4月21日 神奈川 横浜文化体育館
4月23日 東京 渋谷公会堂
4月24日 愛知 名古屋市公会堂
4月25日 大阪 大阪厚生年金会館
4月27日 東京 厚生年金会館
4月29日 東京 NHKホール


ちなみにだが、この年の『BURRN!』の人気投票で、ジョージはギタリスト部門でチャンピオンになった。

当時の最新アルバムBACK FOR THE ATTACK(下写真)はプラチナを獲得!

back for the attack



BACK FOR THE ATTACK

DOKKEN クリップ集


いま、両バンドとも往年のようなはつらつさはない。

仕方ないし、誰でもそういう道を行くのだ。

年齢を重ねれば、往年のような記録が出せなくなるのはどんなスポーツ選手でも同様だ。

それと同じと考えて差し支えないし、それもあなたの未来を映し出す鏡であるということだ。

このような、80年代においては、永遠に繁茂すると信じて疑わなかったハードロック勢の落ち込みはいろんなものが起因している。

高齢化や、バンド内のいざこざ、確執、いろんなものがあるが、その1つにグランジの勃興とそのバンド群の活躍があるだろう。

91年METALLICA(下写真)が出したMETALLICAが世界で2200万枚以上を売る結果になり、このアルバムの特徴である、ヘヴィでダークでスローテンポのミュージックをだれもが模倣するようになり、いわゆるグランジブームが起きた。

metallica 88

その結果、ハードロック勢もそれを模倣するが、それは木に竹を接ぐ行為であり、相容れるわけはなかった。

しかし、ヘヴィメタルバンドが、その音楽性を取り入れることで、その魅力を向上させることができたのだ。 その結果、ヘヴィでラウドな音楽が世間を席捲する結果になったのだった。

それではハードロックバンドの立つ瀬がなくなったのは言うまでもない。

先にARCADE『A/2』が、そういう音楽を取り入れてダメにした、と書いたが、その後のティーヴンの試みたバンドはいずれも、そういうグランジーな要素を取りいれて失敗したのだった。

こういう失敗が続けば、ファンは必然的に離れていく。

かたやDOKKENも同じような事態になった。

94年に復活した際に作ったDYSFUNCTIONALは、それほどグランジの影響を受けてはなかったが、次のSHADOW LIFEはもろにグランジで、そのバンドの特長を生かす出来からはほとんどかけ離れていたのは間違いなかった。

RATTは、86年DANCING UNDERCOVER発表後の全米ツアーの際に、METALLICAを前座にしていたようだ。

当然だろう。

RATTはデビュー作が全米300万枚、セカンドが200万枚、そしてDANCING UNDERCOVER100万枚を売ったが、METALLICAは当時の最新アルバムだったMASTER OF PUPPETSがようやく50万枚を売ることができた中堅バンドにしか過ぎなかったのだから。

そして、DOKKEN88年VAN HALEN´S MONSTERS OF ROCKにおいて、KINGDOM COM、METALLICAに次いで3番目に登場した。

van halens monsters of rock

DOKKENは、3作連続プラチナを獲得し、METALLICAMASTER OF PUPPETSがようやく50万枚を売れ、最新作だった『…AND JUSTICE FOR ALLが人気急上昇中だったがDOKKENには総合的には負けていたのだから。

両者とも、METALLICAの後に出演していた実績があったのは興味深い。

その、自分の前に演奏していたバンドが、これほどビッグになるとは想像もしていかなったに違いない。

いな、ミュージシャンたるもの、自分で曲や歌詞を書き、それを演奏するだけで幸福感が味わえるのであって、そういった上か下かといった比較は全然していないのは、雑誌のインタビューを読んでいればわかる。

しかし、そういう比較研究は私にとってかなり楽しい趣向なのだ。

それだけだ。

それに、アメリおよび世界中でいまだじわりじわりと、アルバムDVDが売れ続けていることで何もしなくても印税が入り、生活に困らないとなれば、いきり立ってアルバムを売ろうという気概が出てこないのは頷ける。

それも人類誰もが陥る弊であるともいえよう。

METALLICAを負かしてやろうという気概も出ないだろう。

いやビッグになりすぎたいまのMETALLICA相手では、勝ち目はゼロ(笑)

そんな知的な遊戯を愉しんだまでのことである。

ここまで付き合いいただき感謝したい。


以下、2バンドベスト盤を紹介したい。

●以下のサイトでも取り扱っています。
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

202409garue

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♯スティーヴン.パーシー

♯ジョージ.リンチ

(祝)さいたまスーパーアリーナ公演完売!DUA LIPAの魅力や偉業に迫る。

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                   DUA LIPA



このブログは、HR/HMアーティストのことのついて書く場だが、ちょっと愛嬌を込めて、ポップシンガーについて書きたいと思う。

今年の11月16日17日さいたまスーパーアリーナで公演を行うことになった女性シンガーのDUA LIPAである。

ヘヴィさをこよなく愛する私はAORにしろポップにしろ、ほとんど聴かない。

たまに気が向いたときだけ聴くのだ。

しかし、ビルボードトップ100』という番組を何気なく見ていたら、DUA LIPAなる女性シンガーが歌っていた。

その曲名は“Dance The Night”だ。

この女性シンガーのセクシーさもさることながら、歌のうまさや、振り付けの巧妙さに目が行ってしまったのだった。

イギリス人であるということをその時に知ったが、何やら白人のような肌の白さはない。

ちょっと茶色がかった感じがしたが、のちに知るように、この人はアルバニアイギリス人なのだそうだ。

なるほど。

音楽には、セクシーさなどといった外面は関係ない、というような意見が出そうだが、それは横暴だ。

そういう顔やルックス、ダンスの上手さも目に止まれば、興味がわいて、その後その感情が高まれば、買って聴く契機にもなるはずだ。

デヴィッド.カヴァーデール(下写真)にしたって、歌の上手さもさることながら、ステージアクションとセクシーさの向上にも気を配ってやまない。

dalekucGRP_0029.jpg

そうすることで観衆の注目を浴び、歌のうまさにプラスアルファの魅力になるのだ。

ただ突っ立って歌っているだけのシンガーのパフォーマンスはいただけない。

アーティストのルックスや顔がいいことは、決して悪いことではない。

女性アーティストが、男性ファンを虜にするためには、歌の上手さもさることながら、ルックスの良さもあり、アクションの良さが手伝えば、良いイメージなり、さらに惹きつけに一役買うことは間違いない。

そういう多面性を有したカリスマ性を内包した女性シンガーなのだDUA LIPAは。

その“Dance The Night”に続き、“Houdini”という次のシングルの映像も私をひきつけた。

やはりやはりセクシーさと、歌のうまさと、振り付けの巧妙さにである。

その後、“Training Season”というシングルも出された。

同じように惹きつけられてしまった私はいつしか、「この人のアルバムを買って聴きたい!」と思うようになった。

そして、タワーレコードのサイトに行って、この人のアルバムであるDUA LIPAFUTURE NOSTALGIAをすぐさま買った。

そしてMTVにおいて『DUA LIPA特集』というクリップ集の放映があって、当然のように私はダビングした。

このような衝動に駆らせてくれるアーティストはなかなかあるものではない。



まだ、この2つのアルバムしか出ていなかったのは意外だったが、その後、上記の3つのシングルを擁したニューアルバムであるRADICAL OPTIMISMが発表された。

このアルバムが全英1位、全米1位を獲得したようだ。

イギリスカナダではゴールドディスクを獲得している。

イギリス、オーストラリア、ベルギー、カナダ、ドイツ、アイルランド、オランダ、ニュージーランドスウェーデンアメリといった国々ではいずれも2位とか3位、最低でも4位を記録しているからすごい。

かなりのカリスマ性を秘めている女性シンガーだ。

1997年にデビューし、それまでアメリではほとんど注目されていなかったけれども、2005年DARK LIGHT』アルバムでいきなりアメリゴールドディスクを獲得したフィンランドHIM(下写真)を思い起こしてしまうが、それ以上の偉業だ。

HIM.jpg

DUA LIPAにしろ、HIMにしろ、じわりじわりと人々の間で多く語られ、マスコミにも囁かれていくうちに大きなヒットにつながったのだろうが、その規模が全然違う。

DUA LIPAは、毎年イギリスで行われるGLASTOBURY FESTIVALで今年トリを務めたのだ。

このフェスは1970年から続いているようで、ポップやロックのアーティストを集めて行われ、1年20万人の観衆が集まるとウィキペディアには書いてある。

ということは、それを今年の開催日数の3日間で割ると、だいたい1日7万人が集まったということだ。

しかし、そのフェスには93ものステージがあるので笑ってしまったが(この嘘のような本当の話を信じれない人はそのサイトに行ってみるのがいい!⇒Glastonbury Fes)、歴史ある伝統的なフェスであることに間違いはない。

その初日のメインステージのトリDUA LIPAが務めたということだ。 これはかなりの偉業だろう。

いきなり歴史ある伝統的なフェストリを務めるということは。





全米ゴールドアーティストでしかなかったBON JOVIが、次のアルバムでいきなり大ヒットを飛ばし、イギリス8万人集まるMONSTERS OF ROCKトリを務めた時の大飛躍を思い起さざるを得ない。

それは1987年だったがゆえに、今ほどアーティストの数も多くなかったがゆえに、1日5バンドだけの参戦で8万人を集めることができた。

しかし、今や『MONSTERS OF ROCK』あらためDOWNLOAD FESTIVAL3日間で行われ、ステージの数も数個以上で、行われる運びになった。

しかし、いずれにしろ、集められたアーティスト中、ナンバーワンでなければトリは務められないわけで、そのナンバーワンになったDUA LIPAはあっぱれであろう。

そのステージの模様が、すでに動画でアップされている。


それが以下である。
  ↓



ブルーノ.マーズにしろ、テイラー.スウィフトにしろ、今年日本に来て、公演をおこなったが、その規模が凄い!

東京ドームで両者とも数日をこなした。

しかし、その音楽をMTV等で見たが、私は一向に感動しない。

真剣に耳を傾けて、聴くも全然感動できないのだ。

両者のクリップ集もMTVで放映されたが、録画する気にはならず通り過ぎた。

そのことで全然、後悔の念がわいてこないゆえに、私はこの両者のファンにはなれないだろう。



AEROSMITHも、私がファンになる可能性がゼロなのと一緒だ。 このバンドを知ってから30年以上がたつが一向にファンになれないのだ。

単独公演は、東京ドーム2日間やるというのに…好みになれないから仕方ない。

やはり人からの強制でも、周りの人間が聴いているからという理由ではなく、自分が自然と聴きたくなるかどうかなのだ。

そういうアーティストの1人がDUA LIPAなのだ。

収録曲はどれも、この人が歌詞を書いたということもファンを続けたい要素の1つになっている。

外部ライターが書いた歌詞を歌うだけのアイドル歌手の歌は、ソウルがこもっていないがゆえに、いつしか疎遠になってしまうという経験をこれまでいやというほど経験してきたのだ。

ブリトニー.スピアーズしかりセリーヌ.ディオンしかり、サマンサ.フォックスしかりである。

きたる今年の11月16日17日さいたまスーパーアリーナでの公演の告知がなされたと同時に、購入してしまった。

この勢いでは、売り切れになるだろうという判断が下ったのだった。

その通り、この2日とももう売り切れだそうだ。

今は、ネットが発達して、1人でもいくらでもチケットが買えるようになった。

それで有名アーティストのチケットを多数買い占めて、売り切れになったらものすごい高値で売る転売ヤーが暗躍し、闇雲に儲けさせてしまう、あるいは違法に吊り上げられた値段で買わざるを得なくなったファンが続出してしまったがゆえに、今はスマホで買った人にQRコードをメールなりで送付して、それをスキャンして入場という工夫が凝らされるようになったそうだ。

賢明な工夫だろう。

先のANAAL NATHRAKHの公演でも、そういう形式になっていた。

今回のDUA LIPAの公演もその形式だ。

ネットは普及すればいいこともあれば、悪いこともあるようだ。

悪いことが起きたら、それに対処することが必要なのは古今東西変わらぬ事実のようだ。



しかし、DUA LIPAにとって大躍進だった今年ゆえに、今年のライヴの模様をMTVで全面放映してくれるなり、オフィシャル映像を出してくれないかと心より祈っているのだ。

何はともあれ、今回のDUA LIPAの公演には首を長くして待とうと思う。

そして、体の磨きも同時にしていかなくてはならないだろう。

あのスタイリッシュなDUA LIPAのスタイルを拝見するのに、だぶだぶの体で観ているのではアンバランスだし、DUA LIPAにも、ファンにも失礼だ(笑)

まあ、もともと私はスタイルはウェイトトレーニングで維持しているし、だぶだぶの体になったことも、メタボにもなったことは一度もないのだが…(笑)

しかし、公演がすべて売り切れになっても、ニューアルバムRADICAL OPTIMISMCDLPは入手可能だ(笑)

できもいいし、人様に無条件で勧めたい作品だ。


興味のある人は聴くのがいいだろうと思う。


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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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♯DUA LIPA
♯Glastobury Festival
♯Radical Optimism

(コラム)デヴィッド.カヴァーデールのソロ作6枚組アルバムセット『INTO THE LIGHT;THE SOLO ARBUM』発売決定!デヴィッドのキャリアを深く考察する!

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最近、デヴィッド.カヴァーデールのソロ作を全収録したアルバムセットが販売される予定になった。

その名はINTO THE LIGHT ; The Solo Albumsだ。

76年DEEP PURPLEが解散した後に、デヴィッドWHITESNAKENORTH WINDという2枚のソロ作を出した。

そして97年WHITESNAKE最後のツアーと称してライヴを行い、その後2000年INTO THE LIGHT(下写真)を発表した。

int the

その計3つのアルバムにリミックスを施して、いろんな組み合わせで計6枚のセットにしたのがこれから発表されるINTO THE LIGHT ; The Solo Albumsということになるようだ。

74年に彼がDEEP PURPLEに加入したときの音楽性をみればかなりの程度、彼のルーツがわかろうというもの。

ああいうブルージーなバンドに誘われるということは、そういう音楽性を有するバンドにいたということだ。

その名はGOVERNMENTというバンドにいて、その音楽をいまはなきジョン.ロード(DEEP PURPLE)が聴いて、デヴィッドに接近して,「今のシンガーであるイアン.ギランが抜けたらうちのバンドに来い」と言っていたようだ。

それでイアンが抜けた後、すんなりこのバンドに加入したのだ。 世界中で売れていたバンドのシンガーにいきなりなるなんて、デヴィッドはかなりラッキーだったが、彼のシンガーとしての実力があったればこそだ。

しかし、そのDEEP PURPLE3枚のアルバムを出した後に、バンドは解散。

そして、そのバンドのギタリストであったトミー.ボーリンデヴィッドはバンドを組むつもりだったが、ドラッグの過剰使用でトミーは還らぬ人になってしまったのだった。

そして、デヴィッドはソロ作を2枚出す。

それが前掲のアルバム2枚だが、あまりにおとなしすぎて、この2枚のアルバムを買って聴いた当時の私は10代だったが、興奮できずじまいだった。

そして、ほとんど聴かずに押入れの中にしまったままだったので、今も新品同様だ。

なぜ、中古盤屋などに売らずに保管してたのかといえば、年齢を重ねて、ヘヴィな音楽に呆れをきたして、静かな音楽が好きになればいつかは積極的に聴くようになると思ったからだ。

しかし、ああいうあまりにヘヴィさがなく、おとなし目の音楽はいまだに私のメインテイストにはなりえない。

やりヘヴィさが希薄な音楽は好みにはなれないようだ。

デヴィッドと同時期のバンドであるJUDAS PRIEST(下写真)は、いまだメタル魂健在の音楽を体現してくれている。

idainarujud

「こうでなくっちゃ!」という音楽を維持してくれているのだ。

ゆえにきたる来日公演は行く予定だ。

加齢とともにヘヴィさが希薄になっていくのはどのアーティストでも同じだが、私はそういう傾向には待ったをかけたい。

それではノレないからだ。

そういうノレない音楽を、デヴィッドは自らのバンドWHITESNAKE結成当初は体現していた。

そのころは私は幼少であったために、聴かないでいたが、もし10年早く生まれて、当初のWHITESNAKEをタイムリーで聴けても、ファンになれなかったことは容易に想像できる。

しかし、87年に容貌は一変する。 凄腕ギタリストのジョン.サイクス84年に加入し、その3年後に、そのジョンデヴィッドが主導を握って作詞作曲をして、これが大いに受けた。

それがWHITESNAKE(下写真)だ。

白蛇の紋章

日本はもちろん、アメリや本国イギリス、ヨーロッパアジアでも受けた。

これまでに世界中で1000万枚以上を売った。

それまでほとんど無関心だった私も、このアルバムからは大ファンになり、何百回も聴き、このアルバムからのシングルなどは輸入盤屋にいってアナログ、CD問わず買い漁った。

それくらいこのアルバムの衝撃はすごかったのだ。

特に第一弾シングルになった“Still Of The Night”の衝撃は半端がなかった。


stillclip.jpg
“Still Of The Night”のビデオクリップ


77年デヴィッドのソロからは想像もできないほどの出来だったのだ。

77年のソロであるWHITESNAKEからのシングルは以下である。


●“Lady”
  ↓



やればできるじゃん!というか、作曲というのは、誰と組むかで大きく変わってくるものなのだ。

1人ではいい曲が作れないけれども、誰かと一緒に組むかでまるで違うバンドになることができるのだ。

それを否が応でも感得した瞬間だった。

これほどのブルージーでおとなしめの音楽をしていた人が、9年後にこんなゴージャスな曲を作ったの?と誰しもいぶかし気に思っただろう。

正直私も想像できなかった。 83年までのWHITESNAKEはほぼデヴィッドだけで書いてきたが、87年のアルバムからはデヴィッドのみならずジョンもほぼ一緒になって曲を書いた。 それによって超傑作が生まれたのだ。

83年までは、「いい声してるんだけどねえ…その声を生かし切れてないんだよねえ」という不満を吐露してた人も珍しくはないのではないだろうか?

しかし、87年のあのアルバム収録の名曲の数々に、もともと素晴らしい声をしていたデヴィッドの声の資質を最大限に昇華させたといえるだろう。

やはりヘヴィかつゴージャスな曲作りにすることで、デヴィッドの声を最大限に生かすことができるのだ。

その後、そのジョンを切り、エイドリアン.ヴァンデンバーと組むことで、また傑作を出すことに成功した。

そのアルバムがSLIP OF THE TONGUE(下写真)だ。

スリップオブ

このアルバムのレコーディング時には、エイドリアンが腱鞘炎になってできなかったがゆえに、急遽ティーヴ.ヴァイがレコーディングし、そのまま加入になった。

その時のライヴもゴージャスで素晴らしいものだった。

やはり私は超絶な速弾きがないことには感動できないたちのようだ。

そしてヘヴィさも維持していなければ。

78年デヴィッドのソロや、初期のWHITESNAKEからは想像もできないほどに、このバンドは変貌した、いい意味で。

ライヴ時には、ティーソロタイムもあった。

その大仰さを観れば、これがWHITESNAKEという同じバンドなの?と思って当然だし、その変貌は良い意味で受け入れたいと思ったのだった。

その隠し撮り映像が以下だ。



これから出るINTO THE LIGHT ; The Solo Albumsであるが、私は買わないだろう。

やはりWHITESNAKEにしろ、NORTH WINDにしろ、INTO THE LIGHTにしろ、ほとんど聴いた思い出がないからだ。

そういうアルバムにリミックスが施されても、やはり聴きたくなることはないだろうことは必至だからだ。

WHITESNAKENORTH WINDがセットになった限定盤を20年以上も前に買ったが、ほとんど聴いていないし、どんな曲が入っているのか最近取り出して聴いてみても、覚えていないし、それくらいの印象しかなかったからやはり今もメインテイストにはなりえない。

何やらTHE BEATLES(下写真)にデヴィッドは少なからず影響を受けていたのは明白で、初期WHITESNAKEにおいてもTHE BEATLES“Day Tripper”をカバーしていたし、そのTHE BEATLESの音楽を自分の解釈で発酵させている音や、ビリー.ジョエルのデビュー前の在籍したバンドであるTHE HUSTLESのようなフレーズも散見された。

seatleb.jpg

だが、それがいい曲と思われるものに昇華されていなければ意味がないのだ。

そして2000年に発表されたINTO THE LIGHTにしろ、やはり佳曲が少ない。

印象に残ったのは、“Love Is Blind”“Slaves”くらいだろうか。

しかし、その2曲を聴くためだけにCDを取り出して、聴くのは正直億劫だ。

こういったことが理由で、デヴィッドのソロはいずれも疎遠になっていたのだ。

こういったアルバムを何年か先に、私は率先して聴くようになるのだろうか?

それは神のみぞ知る、といったところだろう。

齢70を超えて今だにヘヴィさを健在にしてくれているJUDAS PRIESTだが、このバンドメンバーのように私は70を超えてもこういうヘヴィネスを求めるようになっている可能性が高い。

話は一変するが、これまで、私はバンド内で作曲しているときはいい曲が作れるけれども、ひとたびバンド外に出てイニシアティヴを握ってソロアルバムを出したり、自分のバンドを出しても、てんでいい曲が作れなくなってしまうアーティストを、これまでこのブログで挙げてきた。

ジョン.ノーラムダグ.アルドリッチジョニー.ジョエリだ。

バンドでは「いい曲作るし、いいプレイするねえ!」と正直思うのだが、そこを出て、自分のソロアルバムを出したり、リーダーになってバンドを作ってもてんでだめで、そのCDをすぐさま中古盤屋に売ったり、ネットオークションで売ってきた。

しかし、デヴィッドもその例にもれなかったのだった。

デヴィッドもそういう好例だったにもかかわらず、この場で挙げなかったのは、平等扱いでないそしりをまぬかれない。

それにこれまで気がつかなったのは、87年89年に素晴らしすぎるWHITESNAKEアルバムを出してくれていたからだ。

それによって、彼のマイナス点が見えなかったのだ。

しかし不思議だ。

1人ではあまり感動できない曲しか作れないけれども、2人以上でつくるといきなりいい曲ができたりするから人間の能力には瞠目せざるを得ないのだ。

相乗作用が働くようだ。


ジョン.ノーラムで言えばEUROPETHE FINAL COUNTDOWNはとてつもなく素晴らしいし、ダグ.アルドリッチでいえばLIONDANGEROUS ATTRACTIONも非常に素晴らしいし、ジョーイ.ジョエリでいえばHARDLINEDOUBLE ECLIPSE(下写真)は永遠に聴いていたいアルバムに仕上がっている。

double eclipse

しかし、ソロになると…だめなのだ!(笑)

デヴィッド.カヴァーデールもその好例になってしまっている。

だが、その作曲のパートナーになった騎手たちも同様のようだ。

SLIP OF THE TONGUEの共同制作者だったエイドリアン.ヴァンデンバーは彼1人になってしまったら、いい曲が作れていないのはVANDENBERGMOON KINGSをきけばわかる。

デヴィッドと共同で作ったWHITESNAKEFLESH AND BLOODは多くがレブ.ビーチと作ったものだった。

ならレブは素晴らしいソロアルバムを作れているのかといえば、そうでもないようだ。

それなのに、どうして共同して作ると素晴らしいものができるのか…実に不思議なのだ。

1人で作詞作曲をほとんど全部こなして佳作を出し続けることができるという人は限られている。 ツオーマス.ホロパイネン(NIGHTWISH)やアンドレ.アンダーセン(ROYAL HUNT)やジョン.ペトルーシ(DREAM THEATER)といった人たちは、ほとんど1人でバンド内で作詞作曲をこなし、今に至っても佳曲を出し続けている。

それができないならば、2人以上で共同で作詞作曲をしていくのがいいのだ。

こういう結果をみれば、1人で作って行き詰っているのであれば、人にヘルプを求めるのがいい、という教訓が得れる。

しかるにイングヴェイ.マルムスティー(下写真)はその最たる例だ。

ungve

84年のソロデビューから10年間は素晴らしいアルバムを数多く出してきたが、2000年以降はてんでダメなアルバムしか出せていない。

ならばALCATRAZZの旧友だったグラハム.ボネットと一緒になってアルバムをつくればいいか、もしくはALCATRAZZに再加入すればよかったのだった。

デヴィッド.カヴァーデールが1人で作ることで人の心を鷲掴みにできる曲ができないのであれば、好パートナーを選ばなくてはならないということだ。

しかるに、WHITESNAKEはその好例の場だったのだし、これから先もそうでなければならないだろう。

しかし、96年WHITESNAKE名義でのおとなし目のアルバムを出し、その後の97年の来日時に言っていたのは87年89年アルバムは、アメリを意識して作って出したがために、精神がつかれた」といったニュアンスの言葉だった。

しかし、97年のツアーでは、あのヘヴィさのレベルでは大衆ウケしないと感じたのだろう。

ゆえに、また87年の時のようなヘヴィさに戻したのだった。

2003年に復活して以降、GOOD TO BE BADFOREVERMOREFLESH AND BLOODといった作品はどうみても、アメリカウケを狙った出来だ。


good to be bad
FOREVERMORE


ということは、デヴィッドは疲れることを進んでやっているのだろうか?

その是非は今はいいだろうか(笑)

やはり彼のミュージシャンとしての資質を最大限に生かすには、WHITESNAKEというバンド内であるのがいいということだ。

その好例としてのライヴモノは、やはりLIVE AT DONINGTON(下写真)だ。

live at donington 90



これも、77年ソロ作からは想像もできないほどのゴージャスぶりを堪能できるモノだ。


それまでヨーロッパ日本など一部の地域でしかウケていなかったバンドが世界規模で名を轟かせるバンドに成長してからのヘッドライナーだったので、凄くファンにとっては嬉しい出来ごとだった。

私は、こんな輝かしい時代のライヴを何故オフィシャル盤として出さないのか不思議だった。 

それまで「出してくれえ、出してくれえ!」と不満に思ってたが、ついにそれが実現した。

私としては、まるでサンタクロースが本当にきたのかと思った。

このライヴがDVDになると聞いた時は!

このSLIP OF THE TONGUEリリースに伴うツアーでの日本公演は私も行った。

最終日の日本武道館での公演を!

しかし、いまだこのバンドに匹敵するバンドはそんなにいない。

正直そう思う。

このSLIP OF THE TONGUEにおいてアメリカ人ギタリストであるティーヴ.ヴァイ(写真左)が参加し、腕の腱鞘炎でレコーディングできなかったエイドリアンにかわって全部のレコーディンを彼がしている。

steve david
 

そのせいで、このアルバムは前作よりもアメリカ向けの音に変わっている。  

曲の端々に耳に残る印象的なフレーズやオカズがちりばめられて、曲を良い意味で彩っている。  

その例として挙げれる好例の曲が以下になる!
[
“Fool For Your Loving”
   ↓


この頃のWHITESNAKE

スパーヴォーカリスト(デヴィッド.カヴァーデール)
スーパーギタリスト(スティーヴ.ヴァイ)
スーパードラマー(トミー.アルドリッジ)

が同居していた非常に珍しい時期だった。

デヴィッドティーの凄さはこのライヴモノを観てもらえればすぐにわかると思うが、トミーの凄さはそのドラムソロで発揮されている。

そのソロタイムも収録されている。

1990年の日本公演でもされた。


ファイル0031 (2)   
トミー.アルドリッチ


そのパワー、キレ…聴いた時の興奮は半端ではなかった。

それを観た時、「この人以上上手いドラマーなど存在するのか?」と正直そう思った。

2004年ライヴDVDでもソロはされているが、ちょっと年齢のせいでパワーダウンしていて勧めれないが、この90年時はもの凄いパワーとキレだ。

そういうことを総合的に判断して、これを買わずして、WHITESNAKEファンおよびハードロックファンを自称するなかれ!と思った。  

このライヴ映像が発売になった時に、私はついにやった!と思った。

自分の好きなバンドの最盛期のライヴ映像を観ることが出来るのはこの上ない喜びだからだ。

時は1990年、時あたかもハードロックの全盛時代で、全米チャートのトップ200のうち、実に4分の1以上ハードロック勢が占めていた。

こういう時世では、アルバムが売れていればレコード会社も利益を充分上げれることが出来ていたので、何もいそしんでライヴ映像をだそうという時世ではなかったのである。

hwasune90

だが今は時世が違う。

どうやったらアーティストのマテリアルが売れるか試行錯誤している。

CDだけでは利益を充分上げれないから、クリップを収めたDVD付きのCDを廉価販売したり、ライヴ映像しかも昔の全盛時代のを急遽だしたりしている。

自分の好きなバンドがライヴ映像、しかも全盛時代のを出してくれれば、ファンとしてはこの上ない喜びであるし、ファンとアーティストとの親近感を強める効果があるのは否めない。

だから、私はブートレッグ賛成派なのである。

しかし、今、WHITESNAKEMONSTERS OF ROCKヘッドライナーをつとめたことを当時は、何の驚きもなく悠然としていたのを覚えている。

それまでこのバンドはいろんな国のフェスヘッドライナーをつとめてきたし、またか、という感慨以外なにものでもなかった。

実は、この時はWHITESNAKEMONSTERS OF ROCKにおいてトリを務めるのは、83年に次いで2度目だが、その時はTOMMY VANCE、DIAMOND HEAD、DIO、ZZ TOP、MEAT LOAFという顔ぶれでのトリだったが、この90年では

THUNDER
QUIREBOYS
POISON
AEROSMITH
WHITESNAKE


という顔ぶれだった。

83年のときとは違ってラインナップの格が違う。

いずれもプラチナマルチプラチナを獲得していたバンドだったゆえに!

mor 90

そんな凄いバンドたちをしたがえてのヘッドライナーゆえに、WHITESNAKEはもの凄い成長したなあ、と感じざるを得ない。

非常に感激的だった!

そして、数年の間でMONSTERS OF ROCK参戦への敷居がものすごく高くなっていたということでもある。

特筆すべきは、AEROSMITHの後というところではないか?

今をときめくAEROSMITHの後というのが凄いし、このフェスを最後にAEROSMITHは、この次のアルバムの年から世界中のフェスヘッドライナーをつとめるのである。

本国アメリカはもちろん、ここ日本でもこのバンドの人気は凄まじく、東京公演では東京ドーム(56000人)を2日間である。

そんな凄いバンドがセカンドビルであったのだから、当時のWHITESNAKEの人気ぶりの凄さがわかろうというもの。

87年WHITESNAKE全米2位を獲得しこれまで全米だけで800万枚を売り上げた。

次の89年に制作発表されたSLIP OF THE TONGUE全米10位を記録し、これまた世界中で売れたアルバムである。 まさに快進をつづけていた頃であったのだ。

確かに、AEROSMITHの当時の最新アルバムであったPUMPの方が『SLIP OF THE TONGUE』よりも売れていたのは事実だが、最新の2作を比較すればWHITESNAKEの方が勝っていたからヘッドライナーに据えられたのだろうと思う。

イギリスナショナリズムが盛んな国であるからして、勝っている事項があれば、差がちょっとであっても英国出身バンドを贔屓目で見たのだろう。

ingla.jpg

そんな快進撃を続けていたからして、やはりメンバーから放出されているオーラがやはり凄い!

映像からもそれを察することが出来る。

まずは、“Slip Of The Tongue”というドラマティックな展開でかつ鳥肌モノの曲から始まった!

この曲を観ると、その時の興奮が甦ってくるようである!

「この世にこのバンドよりカッコいいバンドなど存在するのか?」と正直思った。

この曲もそうだが、こういったへヴィかつ魅惑的なテクを有した曲があるからこそワールドワイドでアピールできるバンドになったという観を垣間見ることができる。

初期WHITESNAKEのようなあまりにブルージーで、誰でも出来るような簡単なギターソロでは、ワールドワイドで勝負することは出来なかった。

見事なソロを展開しているティーヴ.ヴァイだが、このバンドに加入する際に、デヴィッドのバックグランドを調べて、自分の音楽性をバンドにフィットさせるように努力したようだが、その努力はこの曲を聴いても窺われる。

自分の音楽性そのものを吟味することなくWHITESNAKEに持ち込んではいない。

それは、その当時のティーのソロアルバムを聴くとわかる。

“Judgement Day”は、凄まじいばかりのトミー.アルドリッジのドラムで始まる当時の、そして今のWHITESNAKEを代表する佳曲である。

ドニントンにて 

厳粛な雰囲気を有していながら、持ち前のブルージーさを護持している…なるほどデヴィッド.カヴァーデールの音楽的ルーツを考えれば彼がこのアルバム以後のツアーにおいても随時この曲を演奏していたのもわかる。

こう書くと、いかにもありきたりなミドルテンポの曲と捉えられそうだが、この曲は展開が先が読めない、奇想天外さがあるのである。

煌びやかなSEとアコースティックギターとの掛け合いで幕を開けるイントロ、そしてソロ時などはその最たる例であろう。

このライヴ全般を観て感じるのは、やはりトミーのドラミングの凄さであろう!

彼は今年で齢74を迎えるが、当時はまだ40歳

ちょうどドラマーとして体力的に一番全盛の時期であった。

しかし、これから13年後、彼はこのバンドに再加入するが、この当時のようなパワー溢れるドラミングをすることは出来なくなってしまった。

加齢によるドラミングの衰えである。

しかし、1990年当時の彼のドラミングの凄さは並ではなかった。

1990年WHITENAKE日本武道館で来日公演をおこなった時に、私は真横で彼のソロを観たが、それは凄まじいの一言につきた!

「これ以上パワフルでかつ、上手いドラマーがこの世に存在するのか?」 と本気で思ったのである。

83年にこのバンドにコージー.パウエル(下写真)が加入したが、彼目当てにWHITESNAKEを観に来た人も大勢いたし、WHITESNAKEには興味がないが彼が叩いているからそのアルバムも買ったという人も大勢いたというが、「そんなにすごいプレイをしたのかな?トミーには全然劣るんじゃないの?」というように思うほど、当時のバンドの映像や音源に触れるも、疑問が今でも残るのである。

何故、コージーがそんなにピックアップされているのに、それを上回るプレイを見せているトミーにクローズアップがなされないのか今でも不思議である。

コージー

そう思わせるくらい凄い彼のプレイが、このDVDではソロタイムで見ることが出来る。

またティーエイドリアンのソロタイムもある。

“Kitten’s Got Claws”SLIP OF THE TONGUE収録の佳曲の1つであると私は思っている。

ティーが、高音のフレーズを多く弾き過ぎているという批判があるが、私にとっては全然許容範囲である。

このアルバムを初めて聴いた時から今でも、興奮しながら聴いている。


このページに紹介した曲はいずれもSLIP OF THE TONGUEからの曲であるが、先の“Judgement Day”以外は、それ以降のこのバンドのセットリストから外されてしまっている。

その理由は、ティーが弾き過ぎたことによる楽曲のイメージの崩壊だそうであるが、そうだろうか?そんなにぶち壊しているだろうか?と今でも不思議に思うのである。

先にも書いたが、この頃のWHITESNAKEは快進撃のさ中にいた。

SLIP OF THE TONGUEは確かにWHITESNAKEよりも売れてはいないが、それでも佳曲に溢れ、感動する曲がいくつも入っている、私のみならず多くのファンが良いアルバムとして例にあげるだろう作品であることに違いはない。

そんなアルバムであるにもかかわらずJudgement Day”しか、今はこのアルバムからしないのでいるのはもったいないというほかない。

そんなにティーが弾き過ぎているのが気にくわないのであるならば、弾き過ぎないギターアレンジで演奏すればいいのではないだろうか?

WHITESNAKE史上3番目に売れたアルバムから1曲しか今はしなというのではさびしいというほかない。

この声がデヴィッドに届くであろうか?

WHITESNAKEが全盛であった時のライヴ映像ではあるが、当時のアルバムからは今は一切観れないからこのDVDから観るしかないという皮肉的なライヴ映像である。


THE 10th ANNIVERSARY MONSTERS OF ROCK Donington Park 18th August 1990  headliner WHITESNAKE

1. Slip Of The Togue
2. Slide It In
3. Judgement Day
4. Slow An’ Easy
5. Kitten’s Got Claws
6. ADRIAN Solo
7. Is This Love
8. Cheap An’ Nasty
9. Crying In The Rain~TOMMY Solo
10. Fool For Your Loving
11. STEVE Solo
12. Here I Go Again
13. Bad Boys
14. Ain’t No Love In The Heart Of The City
15. Still Of The Night


WHITESNAKEの最盛期を映像で観たいかたはコチラからどうぞ!


DVDとCDのセットの豪華盤はコチラ!
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ライヴ.アット.ド二ントン90 スペシャルエディション


DVDのみはコチラ!
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♯デヴィッド.カヴァーデール

♯INTO THE LIGHT

(コラム)イングヴェイ.マルムスティーンのソロ40周年記念に何を思う。以下回顧する最高のライヴモノは?

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イングヴェイ.マルムスティーは孤高のギタリストだった。

この人を初めて知ったのは、88年のこと。

いまはなきMUSIC LIFE』誌をみていた時に何気なく知った。

自分の名を冠して、バンドを組み、ヴォーカルやベース、ドラム、キーボードを据えているという非常に変わった形態のミュージシャンだったのだ。

こういう試みをするミュージシャンはなかなかいないだろうし、これからも出てくることはないだろう。

そう言う形態にしているのはひとえに、自分のやりたい音楽を誰にも邪魔されずにとことんまで追求して生活したい、ということが、彼のインタビューからも分かった。

それが功を奏していたのは、その年に出たODDYSEYを聴いてもわかる。

その次に出されたECLIPSEを聴いても明らかだった。

この2つを聴いても、かなり集中して聴いてしまったがゆえに、その前に出された過去のアルバムも全部一気に集めてしまったのだった。

こういう思いにさせてくれるミュージシャンはなかなかあるものではない。

しかし、いずれもよかったし、かなり聴いたし、その回数はあまりの多さに把握しきれなかったのだ。

そうなれば、その前のバンドにも興味が出て当然だった。

そうALCATRAZZも買う視野に入ったのだ。

しかし、そのデビュー作であるNO PAROLE FROM ROCK N' ROLLを買って聴いたが、あまりの低予算と少時間で作ったのが明白で完成度も低く、何度か聴くもすぐに中古盤屋に売ってしまったのだった。

アルカトラス

しかし、そのリリース直後に日本での公演を収めたライヴCDは買わず、知り合いに貸してもらって鑑賞したのだ。

するとどうだろう?

かなり見入ってしまう自分に気が付いたのだ。

演奏のレベルも、デビューアルバムとは比べものにならないくらいに高いし、イングヴェイのプレイにも冴えが出ている。

“HIROSHIMA Mon Amour” 『NO PAROLE FROM ROCK N' ROLL TOUR 84』収録
  





やはり慣れていなかったレコーディングゆえに、緊張感が完全に払しょくされなかったのだろう。

しかしリハーサルによってそれが払しょくされたのだろうし、ミュージシャンとしての熟練も増したのだろう、かなり出来が良いライヴになっている。

こういう経験は他のバンドにもある。

89年にデビューしたWARRANTのデビュー作であるDirty Rotten Filthy Stinking Richはレベルの低い演奏に終わってしまっているが、即座に出されたライヴビデオD.R.F.S.R LIVEでは、かなりレベルの高いライヴを披露してくれている。

このライヴビデオを観た回数の方が、デビューCDを聴いた回数よりも多いくらいだ。


こういう例は他にもあるのではないか?

WARRANTは次のアルバムでは、その緊張感を完全に払しょくしてくれて、かなりレベルの高いアルバムを出してくれた。


waarasho    
  WARRANT



しかし、WARRANTとは違って、イングヴェイ、次のアルバム時には脱退してしまって、次のギタリストが加入して活動してしまったのだった。

そう、ティーヴ.ヴァイが加入してアルバムを作り、ライヴも敢行したのだ。

しかし、イングヴェイは自分の独自の孤高の道を追求すべく、ソロに歩き出した。

それがYNGWIE J.MALMSTEEN'S RISING FORCE(下写真)である。

rising force

この時に披露された速弾きプレイは言葉を失うほどの出来だ。

かなりの速度のある速弾きではあるが、単なる速弾きではなく、クラシカルなフレーズを盛り込んでのソロであり、聴き手にいつまでも印象が脳内の残るメロディを有したソロなのだ。

こういうものを創り出すことが出来るアーティストならば、ファンを鷲掴みにして、いつまでもファンでいさせる媚薬になりうるのだ。


このデビュー作ではシンガーが歌う曲は2つだけだったが、その次のMARCHING OUTからは、8つ以上シンガーが歌う曲というように変わっていった。

2つ3つは、イングヴェイのギターをフィーチャーしたインストが収録されるのが恒例になっていった。

こういう試みはイングヴェイのファンには嬉しい企画だったのは間違いない。

その後、佳作アルバムばかりが続いた。

彼のアルバムで売ろうと思ったモノは1つもなかった。

スピーディあり、ミドルあり、バラードあり、ドラマティックな曲あり、とバラエティに富み、それでいながらヘヴィさもちょうどいいし、メロディにアイデンティティもあり、それが聴き手を離さない魅力になっている。

それが最大限に昇華したのが94年発表のSEVENTH SIGNだろう。


7tumeno.jpg
SEVENTH SIGN


これほどの素晴らしい出来のHRはなかなかあるものではない。

そういう感慨に駆られたファンが数多くいたのだろう。

日本国内だけで262000枚を売った。

それにふさわしい出来だと思っている。

とにかく曲の出来がいいし、イングヴェイはもちろん他のバックミュージシャンのプレイが冴えているのだ。

この売り上げが、イングヴェイ史上最高の売り上げになっているのだ。

しかし、次の95年に発表されたMAGNUM OPUSあたりから徐々に佳曲が少なくなっていった。

そして、次のFACING THE ANIMALでは、あのコージー.パウエル(下写真)をフィーチャーしたアルバムゆえに、話題性を持っていたが、『SEVENTH SIGNからは程遠い佳曲の数であった。

コージー

次からはもう、殆ど聴かないアルバムになってしまっていた。

イングヴェイのプレイに冴えがなくなってしまっていたということもあるが、2000年代初頭から、イングヴェイが作曲はもとより作詞まで全部こなすようになってしまったからだ。

それまでよかったと心底思えるアルバムはODDYSEY(88年)、ECLIPSE(90年)、SEVENTH SIGN(94年)だが、いずれもシンガーが素晴らしい歌唱を聴かせてくれるということもさることながら、優れた作詞家だったということである。

作詞をもイングヴェイの曲でこなせば、それによって感情を込めることも出来る。

その感情を乗せれた曲を聴けば、こちらも感動し、更に聴きたくなるというスパイラルに入ることが出来た、ということである。

しかし、イングヴェイが作詞までこなしてしまえば、シンガーは他人の書いた歌詞を歌うことになる。

そうなれば、感情をそんなに込めることが出来ない話しになる。

その結果、聴いている私は感動できずに終わってしまい、2000年代に発表されたいずれのアルバムも感動できずに終わり、中古盤屋オークションに出品という結果になってしまったのだった。

それに、全部が全部自分で作ってしまい、プロデュースも自分でしてしまうとなれば、人の意見をきかずにいるということになる。

それでは本来是正すべき点が、そのまま是正されずに終わってしまうということだ。

それが耳障りになるということだ。



20代の頃のセンスであれば、レベルは高いままに維持されても、40代50代になってその若いころのままのセンスを維持しているかと言われれば、そんなことはないだろう。

誰にでもそういう時期は来る。

そうなれば、人の意見を聞くべきだろうが、イングヴェイはそんなことはお構いなしだ。

それでいい曲ができていれば文句は言うまい。

しかし、それではいい曲ができていないのだから物言いが私から出てしまうのだ。

そういう意見を持っている人は多いだろう。

Amazonのレビューで似たような意見が多数書かれている。

過去のイングヴェイの名曲は、いずれも名シンガーも作詞に参加したものが多い。

その結果、イングヴェイのファンを続けていられたのだ。


ymGRP_0078

しかし、それがかなわないならば、やはり人の力を素直に借りるべきだろう。

そんな彼に辟易していたところに、84年ALCATRAZZの来日公演の模様が収められたライヴ映像を観た。

その時の方が、ずっとプレイに冴えがあるし、歌もエモーショナルだ。

当然だろう、まだ19歳だったし、グラハム.ボネットが歌詞の殆どを書いて歌っていたのだから。

その方がイングヴェイの力を引き出すのに貢献しているのは言うまでもない。

そんな力の落ちている時分に、オリジナルメンバーでの再結成を持ちかけられたが、イングヴェイは断ったという。

自分の力を最大限生かす方向にもっていけばよかったのに、と悔やまれる決断だった。

LOUD PARK 13』イングヴェイは参戦しトリで出た。

louper

その時、プレイリストの8割をインストにしたときにはあまりにマイペースゆえに、笑いしかなかった。

その時、シンガーだったのは、キーボーディストも兼ねたニック.マリノだった。

そのニックが今年の来日公演でもシンガーの位置にいたことは凄かった。

飽きっぽいイングヴェイゆえに、もうクビになっていたかと思いきや、まだシンガーの位置にいるのだ。

しかし、そのことだけを称賛してもしょうがない。

今回の、キャリア40周年のライヴであってみれば、初期から今までの集大成の選曲になっているはずだ。

しかし、それでは他のシンガー、もしくはイングヴェイだけで書いた歌詞の曲を歌うことになる。

それではニックが感情をこめて歌えるはずはない。

それでは感動できるライヴにはなるまいと判断し、私は行かないことにした。



昔大好きだったイングヴェイでも。

ゆえに、シンガーが目まぐるしく変わるバンドはいただけないのだ。

デヴィッド.カヴァーデールDEEP PURPLE74年に加入した時に、前いたシンガーの曲はライヴで歌いたがらず、演っても2曲3曲しかしなかった。

それでは面白くないと思われるだろうが、結果的に良かったと思う。

他の人が書いた歌詞の曲を歌っても感情を込めることはできず、それゆえに聴き手である私は感動できないことになっていたことは間違いないからだ。

これまで私は1000枚くらいCDを聴いてきたが、いくらシンガーが上手くても歌詞を書いていないならば感動できずに終わっていたのだ。

ゆえに、他のシンガーイングヴェイだけで書いた曲だけを歌うのであれば感動できずじまいになったことは間違いないからだ。

ゆえにそういう判断を下して、聴く聴かない、ライヴに行くいかないを決めてきたのだ。

その判断に間違いはない。

そんな昔、大恩あるイングヴェイだが、その前のキャリアであるALCATRAZZには、いま、彼のバンドに加入していたことがあるドゥギー.ホワイト(vo)がいて、ギタリストはジョー.スタンプだ。



ジョー90年代半ばから知っていた。

何やらイングヴェイの模倣をしているといった具合の知識しかなかったが、イングヴェイの方に夢中だったがゆえに、実際にはアルバムを買って聴くことまではしなかった。

しかし、最近のALCATRAZZのアルバムを聴いてみてどうだろう?

イングヴェイアルバムよりもいいではないか!

冴えもあるし、何よりもパッションが迫ってくるのがよくわかる。

こんな出来のアルバムをイングヴェイに再来を期待してのだが20年以上出してくれなかったのだった。

しかし、イングヴェイの音楽性の追随者が、その過去のバンドに加入し、彼以上の感動的なプレイを聴かせてくれるようになるとは驚き以外何物でもなかった。


   
 ジョー.スタンプ


今のジョー擁するALCATRAZZでの来日公演はまだないが、来たら必ず行くことは間違いない。

しかし、かなりベテランミューシャンゆえに、チケット代は高くつくことは間違いない。

しかし、それでも行きたいという気持ちに嘘はない。

イングヴェイを初めて知った時に、イングヴェイの音楽的アティチュードがこのようになるとは思いもしなかったが、聴き手が感動する王道を歩まないからこうなるのだ!

しかし、ソロデビュー84年からの10年間はかなり良かったアルバムだ。

それらはこれからも売ったりせずに、大事に保管し、そして聴くだろう。

しかし、今のイングヴェイの、全部自分で作詞作曲してプロデュースも全部自分だけでやるというアティチュードが辞められないならば、コチラも聴かない状態を維持するほかない。

そんな思いにさせたのは、ほかならぬ84年ALCATRAZZのライヴモノであるNO PAROLE FROM ROCK N' ROLL TOUR 84』なのだ。

これは、いつみても素晴らしい!


●“Lost In HollywoodNO PAROLE FROM ROCK N' ROLL TOUR 84』収録
  




先に指摘したように、スタジオアルバムはいまいちの出来だったが、このライヴでは初のレコーディングという弊を克服してくれていたから、かなり出来がいい。

それは保証するし、40年前のモノが今も入手可能なのは、その素晴らしさが、いろんな人たちから口コミで語られていることも大きな要因の1つだろう。

今のイングヴェイを忌避してしまっている人、私の意見に賛同できる人は、彼の加入時のライヴモノを観るべきだろう。

かなりの程度、お勧めなのだ。

尚、収録曲は以下!

(収録曲)
1. Too Young To Die, Too Drunk To Live
2. Hiroshima Mon Amour
3. Night Games
4. Big Foot
5. Island In The Sun
6. Kree Nakoorie
7. Since You've Been Gone
8. Suffer Me
9. Desert Song
10. Evil Eye
11. All Night Long
12. Lost In Hollywood
13. 荒城の月
14. Something Else
15. [ボーナス映像]:バック・ステージ・アンド・インタビュー(日本語字幕付)
16. [ボーナス映像]:【フロム・ロック・パレス】Too Young To Die, Too Drunk To Live
17. [ボーナス映像]:【フロム・ロック・パレス】Hiroshima Mon Amour
18. [ボーナス映像]:【フロム・ロック・パレス】Island In The Sun


興味ある方はどうぞ!
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ALCATRAZZ / ALCATRAZZ - No Parole From Rock'N'Roll Tour - Live In Japan 1984.1.28 [DVD]


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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

naRita kunz


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イングヴェイ.マルムスティー

♯ALCATRAZZ

♯ジョー.スタンプ

(コラム)90年のハードロックシーンは素晴らしかった!THUNDERも?!

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1990年はいろんな意味でいい年だった。

私が心底好きだったハードロックの勢いは順調だったし、いろんなバンドがチャートを賑わしていた。

それに、いろんなバンドが佳作アルバムを出し、来日公演をおこない、いずれも素晴らしいパフォーマンスを披露してくれていた。

そんな時代には、どのアーティストもオーラを発散していた。

しかし、その2年後に暗いミュージックが流行るようになり、ハードロックバンドの立つ瀬が少なくなっていった。

ハードロックバンドが佳曲が作れなくなっていった。

暗いミュージックを取り入れても、ハードロックとは相いれないのだ。

その後、それまでオーラを発していたバンドのメンバーは、オーラがなくなっていった。

そういう例は、ことTHUNDER(下写真)にも当てはまった。



90年に行われたMONSTERS OF ROCKに参戦したが、その時はオープニングアクトだったが、あまりの素晴らしさからMONSTERS OF ROCK史上最高のオープニングアクトと評された。

それにたがわず、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれているのは、そのオフィシャル映像を観ればわかる。

それと同じように感動させられるのは、この時にヘッドライナーになったWHITESNAKEの人気ぶりだろう。


whitesnake 90    
 WHITESNAKE
 90


いかに多くの観客が集まったかは、THUNDERの時の観客をみればわかる。

もちろん、この時参戦した他のバンドのお陰ということもあるが、それにしてもこの観客数は半端じゃない。

その時に抜擢されたトリのバンドの凄さゆえということが一番大きいのだ。

この時は、あの87年発表のWHITESNAKEのヒットの余波や残滓があったからだ。


白蛇の紋章
WHITESNAKE


このアルバムは全米だけで800万枚をこれまでに売ってきた。

しかし、それが数年も経ってしまっては、それを理由にトリに抜擢されるのは無理だ。

しかし、そのアルバムが発表から3年という期間だったゆえに、これが可能だったのだろう。

その後、93年に発表されたAEROSMITHGET A GRIP全米1位を記録してから、軒並みベスト5入りアルバムを連発してゆえに、AEROSMITHは各国のメタルフェストリを務めている。

これに対抗できるHRバンドは、AC/DCくらいのものだろう。

それくらいしか対抗できるバンドはない。 WHITESNAKEも例外ではない。

対抗できるはずはない(笑)

大好きなWHITESNAKEを悪く言うのは気が引けるが事実だから仕方ないのだ。


   
  WHITESNAKE


WHITESNAKEは、『MONSTERS OF ROCK』改めDOWNLOAD FESTIVALにものちに参加すること何度もあったが、いずれもセカンドビルサードビルにあまんじている。

しかし、THUNDERもそれほどの活躍ぶりは見せていたのだろうか?

この2年後に発表されたLAUGHING ON JUDGEMENT DAYが、全英2位を記録し、一躍ブリティッシュの旗手に成りあがったかにみえた。 その年のMONSTERS OF ROCKにも、サードビルと一気に飛躍した。

そのままその活躍を維持してくれていたら良いのにと思ったが、先述の暗いミュージックの流行によって、没落を余儀なくされた。

そのサード以降のTHUNDERのアルバムを何枚か買って聴いたが、どれも興奮を覚えるものはなかった。

自分としては、「暗いミュージックの流行ゆえか…」くらいに思っていたがそうではなかった。

もちろん、そういう部分はあるが、何よりもシンガーのダニー.ボウズ(下写真)が作詞をしていないから感動できなかったのだ。



1度感動できなかったモノに関しては、何度も聴くことで特長がわかっていずれ好きになることもある。

しかし、それでも好きになれない場合、自分の趣向に合っていないからだとあきらめをつけて売ることにしていた。

そういう試みの結果、THUNDERのアルバムは何枚も売ってきた。

その理由は、やはり趣向の違いではなく、シンガーが作詞していないからだった。

他人が書いた詞を歌っても、そこに感情移入できるはずもなく、それゆえに感動できずに終わってしまったのだ。

バンドの作詞者がバンドの意向で決まってしまっていてシンガーが作詞できない場合と、そもそもシンガーに作詞する能力がない場合とがあるが、THUNDERの場合は後者のパターンのようだ。

もし、自分が歌詞を書いて歌いたいなら製作費を捻出してソロアルバムを出すことは可能だ。

THUNDERは、それができるほど世界で売ってきたはずだ。

にもかかわらず、デビューから30年以上も経っているのに、全然ダニーがソロアルバムを出さないのは、ダニーに作詞する能力がないからだ。



ゆえにこのバンドは忌避してきた。

あの91年METALLICAトリにしたFINAL COUNTDOWNトップバッターを務めた時の雄姿をみた縁があったゆえに、私は贔屓にしてきたのだ。

実際、このバンドのデビュー作は何度も興奮して聴いたのだ。

しかし、セカンドアルバムからは感動できずじまい…。

そうなのだ。

シンガーが作詞しなくても、できた作品は1枚だけならば感動できるのだ。

FAIR WARNINGもしかりである。

その1枚のアルバムを出した直後の最高のパフォーマンス、しかもオーラを発散しているパフォーマンスであれば、これもやはり勧めたくなる代物に変化するのだ。


●“Don’t Wait For Me”
   ↓



私は、このTHUNDERのライヴ映像は、人様に勧めたくなるのだ。

そういうものだけ、私はこのブログで紹介してきた。

そうでないものまで紹介していては、ネットの上の言葉でも感動できないということがわかってしまうことは何度も経験してきたがゆえに。

その情熱を汲み取って、鑑賞したい気になった人には最大限勧めたいモノである。

その時のパフォーマンスが全曲収められているがゆえに、更にお勧めしたいのだ。

それ以外に、92年MONSTERS OF ROCKの音源まで収録されているCD+DVDの3枚組なのだ。

●超お勧めだ!

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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

someda037


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♯THUNDER

♯ダニー.ボウズ

(コラム)ロブ.ハルフォードとMETALLICAがJUDAS PRIESTの“Rapid Fire” でコラボ?METALLICAとJUDAS PRIESTの関係は?

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実に貴重な映像だ。


JUDAS PRIESTロブ.ハルフォードMETALLICAがコラボをするとは。

その際に採用された曲はJUDAS PRIEST“Rapid Fire”(『BRITISH STEEL』収録)だ。

この映像はMETALLICAのオフィシャルDVDであるBROKEN、BEAT & SCARREDに収録されている。

しかし、天下のMETALLICAでさえも、時がたてば10年くらいでも廃盤になってしまうから世知辛い世の中だ。

永遠に入手可能であればいいのだが、今や無数のアーティストとそれを上回る無数の商品アイテムがあるがゆえに、いつまでも入手可能にしておくのはCD会社にとって不可能に近いのだろう。

その事情は分かるが…。

しかし、この映像を観てすぐ思ってしまうのは、年配のJUDAS PRIESTMETALLICAの関係だ。

JUDAS PRIESTの方が年配ゆえに、同じHMというジャンルを演るMETALLICAが影響を受けていたのは間違いなかった。

ではMETALLICAが出したカバーアルバムであるGARAGE INC(下写真)を紐解くが、なんとここにはJUDAS PRIESTの楽曲はカバーされていないのだ。

garage inc

JUDAS PRIESTと同期で、出身国も出身地域も一緒なBLACK SABBATHのカバーはなされている。

それが“Sabbra Cadabra”だ。

これ1曲だけだ。

これまで、METALLICAは自分たちが影響を受けてきたアーティストには敬意を払い続けて、必ず誰かしらのカバーはライブでしてきた。

それの集大成があのGARAGE INCだ。

それも2枚組にまでなるくらい多い選曲だった。

やはり、発想が通常人とは違う。

BLACK SABBATHの曲をカバーするにしても、大抵のアーティスト“Iron Man”“War Pigsといった曲をするのだが、METALLICAは知られていない“Sabbra Cadabra”をカバーした。


初期サバス   
BLACK SABBATH



このGARAGE INCでは、THIN LIZZYの曲もカバーされているが、普通THIN LIZZYのカバーならば“Boys Are Back In Town”などを選ぶが、METALLICA“Whisky In The Jar”を選んでカバーしている。 これまでアルバム1枚完全再現ライヴは、いろんなアーティストによってなされてきて、METALLICAもそれを倣った。

しかし、そのライヴもアルバムの1番最初に収録されている曲から順々にしていくのが普通だが、METALLICAアルバムの最後から順々に最初まで演奏していくという変則的な演奏を披露してくれたのだ。

そういう発想の変わりようが、METALLICAに多くの人を惹きつけてきた理由の1つでもあろうか。

91年発表のMETALLICAによって、このバンドの名前が世界中に広まるきっかけを作ったのだ。

このアルバムが全世界2100万枚を売ることになった。

このヒットによる便乗で、それまで全米でゴールドにも到達していなかったデビュー作であるKILL ’EM ALLでさえも、今では450万枚を売る結果になった。

セカンドもゴールドに到達していなかったが、今は700万枚を売ったのだった。

その他のアルバムも軒並み500万枚以上を売り、中には1000万枚に届きそうなものもあった。

それ以外のアルバムの売れ行きが知りたい人は、自身で調べるのがいいだろう。

metallica 88

しかも、ちょっとそのページを見ないでいて、ちょっと歳月がたって再び見に行くと、枚数が上がっているから驚嘆モノなのだ。

こういう例は、他のアーティストにもあるにはあるが、片手で数えれるくらいだ。

METALLICA』の後の、LOADにしろRELOADにしろ、METALLICAのような魅力を有していないゆえに批判の的になった。


load.jpg  
 『LOAD


私もこれらのアルバムは同様の理由で聴いてはいないし、すぐに売ってしまったほどだった。

そういうすぐ変化に順応していくのは、まさにMETALLICAの得意とするところだ。

デビュー作セカンドは曲風が違う。

セカンドサードも違う。 サード4thも違う。

こういう変化をしてきたにもかかわらず、LOADRELOADへの変化を咎めだてされるのは遺憾…そういう意見が出てもおかしくはないだろう。

しかし、批判したいのは、佳曲がアルバムに占める割合が低いことだ。

これではアルバムを1枚通して聴くのは憚られる、というのが正直なところだ。

やはりいつも変化を忘れない…それがMETALLICAがそれまでの人生で形成したモラルなのだろう。

その変化の精神が、あの大ヒットアルバムを創り出したのだ、と言えるだろう。

そんなMETALLICAだが、JUDAS PRIEST(下写真)の影響を受けてきたことは間違いないだろう。

aajudas

しかし、カバーアルバム制作上の障害としてJUDAS PRIESTの曲はできなかったのだろうか?

または契約会社上の障害によって?

その詳細はわかりかねる。

METALLICAのギタリストであるカーク.ハメット(下写真)は、マイケル.シェンカーのファンだし、影響を大いに受けてきたことはインタビューで知ったが、このGARAGE INCではマイケルのカバーはなされていない。



やはり制約があったのだろう。

やはりJUDAS PRIESTは大好きなバンドゆえに、そのカバーが聴けたら嬉しいことこの上ない。

ましてやMETALLICAも好きな私としてはどうしても聴きたい衝動に駆られたことは間違いない。

そして買って鑑賞したのだ。

これはこの先、貴重なコレクションになることは間違いない。

しかし、先にも述べたように、このカバーの映像を収めたオフィシャルDVDは、今や廃盤になっている。

もしもほしくなった人は私に求めずに、ヤフオクメルカリショッピングサイトにアクセスして鑑賞するほかない。

もしかしたら、いま廃盤でもいきなり再発ということもあり得る…しかし難しいかなあ、と訝しげだ。

それが不可能だったのであれば、GRAGE INCで我慢するほかないようだ(笑)

GRAGE INCならば、今も入手可能だ。

ただしこれは音源(CD、LP)でしかないのが、BROKEN、BEAT & SCARREDとは違うところだ。


●以下商品サイトを紹介しておく。

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ありがとうございました。

hassa63bf

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METALLICA
♯Rapid Fire