音楽は人類が創造したもののうちの素晴らしいものの1つであるとすれば、その内奥についての探究については、尽きるところがないだろうと思う。
その作曲や作詞の能力はどのような場合によって、その人に備わるのかということを探究していくと、共通することがあるから興味深い!
音楽にとっては作詞は不可欠だ。
それがないインストゥルメンタルというものもロックには存在するが、それはたまに聴くのはいいが、そればかりでは何度も聴きたくなくなるのは自分の場合は明白だ。
作詞は、自分の脳内にある思いや観念を表に表出する行為であるが、それは、単に表出するだけでなく、それが聞いた人が感動できたり、インパクトを与え続けるものでなければ意味がない。
それは、詩や小説、評論といった形でも同様だ。
その能力はどのようにして、備わるのか?
興味深いことではないだろうか。 そこで思い出すのは、清少納言である。
この人は、『枕草子』という小学生でも知っているエッセイの作者である。
それが日本3大エッセイの1つであるとされている。
清少納言
では、その清少納言の父は誰であろうか?
それは清原 元輔である。
この人は、36歌仙の1人であるとされていて、『万葉集』の訓読作業や『後撰和歌集』の編纂に当たったとされている。
そしてもう1人思い起されるのは、吉本ばななである。
この人は随筆、小説、共著すべてを含めると100以上にも上る作品を出している。
山本周五郎賞など7つの賞を獲得している。
吉本ばなな
そして、この人の父は吉本隆明である。
この人は、評論家でありかつ詩人である。
その著書は120を超えるのだ。
大学教授を30年以上勤めていながら、本を1冊とか2冊しか出さない、あるいは1冊も出さない似非学者に比べてなんと崇高な人かと感心するばかりだ!(笑)
その能力というか脳力が娘に遺伝したのだ。
清少納言に吉本ばなな、2人に共通するのは、父から娘に、脳内にある思いや主張や主義を巧みに文章化する能力が遺伝したということである。
しかも、その著作は数多い、ということである。
その他、父親から娘に遺伝するというパターンは、幾多もあるだろうが、ここでは2例だけにしておく。
また、母から息子にというパターンも往々にしてあるだろうが、ここでは不問にしておく。
ここでこのブログの趣旨上、興味あるのは音楽的な才能ということだ。
それは父から息子へ、というパターンが私の見聞したことから推察するに多いということである。
その例証を以下していきたい。
まずは、ユルゲン.ブラックモアである。
ユルゲン.ブラックモア
この人は、あのリッチー.ブラックモアの息子である。
その父親に影響されてなのか、ギタリストになったようである。
顔もかなりリッチーに似ている。
その音楽性は、音源が今はまるでないので確認しようがないのだ。
LETTER XやJADED HEARTで活躍したマイケル.ボーマンがシンガーを務めたアルバムで、ユルゲンがソロ作をリリースしたと20年以上前に『BURRN!』でみたが、今はそれを入手することは不可能なようだ。
やはりそれなりに良いならば、いつまでも入手は中古であれ可能なはずだがそれもない。
ということはかなり平凡は出来だったことが予想される。
そして、2008年にジョー.ターナー(vo)やボビー.ロンディネリといった元RAINBOWだったメンバーを集めてOVER THE RAINBOWなるバンドを率いて日本に来日公演をしに来たようだが、それも話題にならず。 リッチ
ーのバンドだったRAINBOWのカバーがほとんどだったようだが、いまだその内容には不可視の部分が多い。 今もユルゲンは何をしているかわからない。
ウィキペディアを調べるも、活動の様子はまるで見れないし、リッチーに元々興味があれば、私はこれ以上の詮索をしていただろうが、私にはそういったものが全くなく、彼のプレイに感動したことは皆無だし、作り出す曲、フレーズといったものにも何ら興味が出せずに、彼を知ってから30年以上がたつのだ。
しかも、テクニックなど微塵もなく、ピッキングとフィンガリングがちぐはぐだし、プロ性を感じないのだ。
リッチー.ブラックモア
それゆえに、リッチーの息子にも興味がわかないのだ。
しかし、中古盤屋などでユルゲンのソロ作などを見つけて、あまりに廉価であれば買って聴くだろうが、今のところその可能性は皆無に近い。
好きになる可能性も同様である。
しかし、先のことなどどうなるかわからないゆえに、可能性に目をつむらずに、開いておこうとは思うが…。
次はTUNGSTENである。
これは、YNGWIE J. MALMSTEEN'S RISING FORCEのメンバーだったアンダース.ヨハンソンが中心に作ったバンドである。
しかもギタリストとベーシストが、そのアンダースの息子であるというから驚きだった。
私がこのアンダースを知ったのは88年だったが、その時はアンダースは20代だった。
左から2番目がアンダース
そのアンダースがもう息子2人をメンバーにしてバンドを結成するまでに年月が経ったか、と脅威に思ったのだ。
89年にそのYNGWIEのバンドがワールドツアーを終焉させ、それで次のアルバム制作に取り掛かるときに、シンガーだったジョー.リン.ターナーともども、アンダースはもちろん弟のヤンスまですべて解雇されたのだ。
ウィキペディアには脱退と書いてあるが、これは正しくない。
正確には解雇である。 イングヴェイの心境を一掃するために、解雇されたのだ。
それでいて、イングヴェイの音楽性に陰りが見えたり、音楽的な魅力が低下したのならば、「ヨハンソン兄弟を捨てたのが…」といったような議論が生まれても自然な成り行きだったが、そんな議論は浮上しなかったし、逆に90年に出たアルバム『ECLIPSE』がとてつもなく素晴らしい出来であり、実際そうだった。
そして、このアルバムの出た年度の『BURRN!』の人気投票では、イングヴェイが史上初のベストギタリストに輝いた。
イングヴェイ.マルムスティーン
そうなれば、ヨハンソン兄弟へのマスコミの視線は少なくなるのは残念ながら必然だった。
しかしその解雇後のアンダースのキャリアであるが、HAMMERFALLやSTRATOVARIUSなどにセッションや正式メンバーとして参加した。
そして1枚しか出なくて残念だったが、ACCEPTのヨルグ.フィッシャーが中心となって結成されたBILLIONAIRS BOYS CLUBは素晴らしい出来だった。
これには、同じイングヴェイのバンドで同居したことのあるマーク.ボールズ(vo)も一緒だった。
イングヴェイファンならば、このプロジェクトは瞠目すべきバンドだった。
その素晴らしい内容についてはここでは言及しないが、興味あった人には検索して見ることをお勧めする。
しかし、これは93年に出て、しかも1枚だけでバンドは終わってしまったゆえに、今は廃盤だ。
肝心のアンダースの音楽性であるが、ラーズ.ウルリッヒ(METALLICA)やトミー.アルドリッジ(WHITESNAKE)といった固く、それでいて重く、それでいて切れのあるという相反する要素を持ち合わせたドラミングを持っているドラマー好きな私にとっては、それほどインパクトはアンダースからは感じれないのだ。
ラーズ.ウルリッヒ
YNGWIE時代に、数ある名アルバムを出した功績はあるが、それは多分にイングヴェイによるところが多いだろう。
彼が作詞作曲のほとんどを手掛けていたのだから。
しかし、弟のヤンス曰く「作曲に関わってもイングヴェイは作曲者名にノミネートさせてくれなかった。」というインタビューもあるから、あながち表面だけで判断するのは控えなくてはいけないだろう。
ならば、彼ら兄弟で出したインストアルバムを聴いてみて判断する必要はあるが、そこまでできていない。
いずれするべきであろうが、時間や金銭的な制約より、それはいつできるかはわからない。
やはり断片的にしかならないのだ。
そういうことになるとヨハンソン兄弟のファンにはお怒りを受けそうであるが、何でも完璧にしたうえで書いていくことをしなければいけない、というのならば何も書けないで終わってしまうだろう。
しかし、ヤンスのイングヴェイの次のキャリアであったDIOやSTRATOVARIUSでの仕事や、アンダースのイングヴェイ以降のキャリアで判断するに、それほど瞠目すべきものがあったとはいいがたい。 TUNGSTENでも同様だ。
TUNGSTEN
このバンドが2019年にデビューすると聞いて、元YNGWIEということで心躍って、すぐさまネットで予約し、買って聴いてみるも平凡の誹りを免れない…プロダクションは一級品ではあるが。
では以下、そのTUNGSTENの楽曲を見てもらいたい。
やはり、ロックを聴くと、どうしてもシンガーやギターに耳が行ってしまう人にとっては、ドラミングが強烈なものを持っている人でなければ、注目させるのは難しいのは言うまでもない。
ドラマーとして高い評価を得ていた故コージー.パウエルであるが、この人を知ってから私は30年以上になるが、この人のプレイの虜になったことはない。
RAINBOW、WHITESNAKEそしてイングヴェイといろいろ、この人の関わったアルバムを聴くも、感動したことはない。
特徴的であるのは否めない事実であるが、それだけでなく感動させるものでなければ特徴的たる意味がないと思うがどうだろうか?
ただし、コージーが参加したBLACK SABBATHの『HEADLEESS CROSS』に関しては、素晴らしいし震えた。
コージー.パウエル
黒い雰囲気のある楽曲の中、スローテンポで重いドラミングを闊歩する音には感動したし、今もそれを忘れることはできない。
そのようなプレイがアンダースにあるかどうかは、これからの私の深究にかかっている。
そして次はONE OK ROCKである。
これは、日本のバンドであるが、SLIPKNOTをヘッドラインにしたフェスである『KNOT FEST』の日本版にも参加したというから驚きだ。
MAN WITH A MISSIONとともに日本人バンドでありながら海外アーティストが主目のフェスに参加できる数少ないバンドであることは確かだ。
このバンドの名は知っていたが、それほど興味はなかった。
しかしなぜ?
それはYahoo!のニュースサイトで、大政絢というモデルが取り上げられていたのだ。
大政絢
この人の写真を見た時の感想は、とてもエレガンスできれいということである。
それでこの人の詳細を調べてみる。
するとONE OK ROCKのギタリストであるToruの妻であることを知ったのだ。
それでこのバンドに興味をもって、色々調べたり動画の検索をしたら結構いい線いっているという感じを受けたのだ。
それで、さらに調べるとシンガーのTakaがあの演歌歌手である森進一の子供であることを知って驚いたのだ。
ONE OK ROCK (右から2番目がTaka)
演歌とロック、雰囲気や音楽から醸し出される雰囲気には何ら共通性は感じれないものであるが、音楽という点では一緒だ。
その音楽において、親のセンスが遺伝したのだろう。
そして顔は母親である森昌子に似ている。
森昌子
ONE OK ROCKを聴いてみると、その音楽から醸し出される世界観はかなり幅広い気宇を有している。
荘厳と静寂の使い分けの妙がいいし、ヨーロピアンな雰囲気のあるミュージックを日本人が作れるところが見事というほかない。
演歌以上の広大な世界観だ。
こういったデジャヴを経験できることも音楽を聴くことのメリットの1つであるはずだ。
しかし、私が幼少のころから紅白歌合戦で何度も目にしている演歌歌手の息子が、ロックアーティストとして活躍しているとは驚きだ。
森進一
私の音楽アーティストに求める要素として、シンガーが歌詞を書くということである。
そうでなければ、他人の書いた歌詞をシンガーが歌ってもソウルが感じれないゆえに、感動もせず、そのCDを売り出してしまうということを何十と経験してきたからだ。
なお、シンガーが作曲もできるならばなおいいということだ。
そうなれば、その歌詞の世界観と一致するからだ。
このONE OK ROCKではTakaが作詞作曲のほとんどを手掛けて、その他のメンバーがちょっと手助けするというパターンがほとんどだ。
要するにTakaがこのバンドのメインソングライターであり、このバンドの命運を握っているということだ。
EUROPEのジョーイ.テンペストやHIMのヴィレ.ヴァロのような存在だ。
ヴィレ.ヴァロ(HIM)
そういう形態であることで私はそのバンドのファンになれるのだ。
ある意味、父親の森進一よりも偉大といっていいだろうか。
森進一は、作詞作曲のほとんどを外部に委託していたのだから。
そんなことはどうでもいいようだが、よくはない(笑)
やはり歌にソウルを込めるには、本人が書かなければ感情を乗せることはできないからだ。
このバンドは2007年から今までずっと活動を維持している。
デビューから3年くらいで停止してしまうバンドは、その後に活動に期待はできない。
そんな短い期間では、忠誠を誓ってくれるファンがないまま終わってしまうからだ。
これだけ長く活動していれば、コアなファンが幾万人以上いることは間違いはない。
先行きは期待できそうだ。 これからは音楽フェスは必ず行き続けるし、その際にONE OK ROCKが参加するのならば、私はフルセットで観たいと思っている。
しかし、大政絢のきれいさを認識しなければ、私がこのバンドを深く追求しようとは思わなかったことは確かだ。
ONE OK ROCKのメンバーは大政絢に感謝しなくてはならない(笑)。
そして最後はNELSONだ。
このバンドは、リッキー.ネルソンの双子息子であるマシューとガナーを中心にして結成されたバンドである。
NELSON
リッキーは、57年から85年まで24枚のアルバムを出したのだ。
そのキャリアの中で、どれだけ売れたのかをウィキペディアで調べるも、一切書かれていないのだ。
やはり当時は、記録する必要性がなかったゆえに書いてなかったのか、あるいはゴールド以上の枚数売れていなかったということなのだろう。
後者の場合ならば、子供のNELSONのほうが称賛に値するだろう。
デビュー作『AFTER THE RAIN』は、全米200万枚を売ったし、日本でも90年度のHRの海外アーティストの売り上げではナンバーワンを記録したのだ。
だからというわけではなく、坦懐に聴いて、このアルバムは絶賛したいアルバムだ。
スピーディよし、バラードよし、ミドルよしと非の打ちどころがないアルバムだったからだ。
『AFTER THE RAIN』
これだけ秀逸なアルバムを見つけるのは大変な作業なのは間違いない。
しかもそれだけでなく、リッキーの場合は、ほとんど作詞や作曲をしていなかったのだ。
これでは歌に心を乗せることはできないし、聴き手が感動しないのは明白だ。
このバンドは2015年に最後のアルバム『PEACE OUT』を発表し、それ以降カントリーへの傾斜を公表し、ロックアルバムのアルバムは出さないとした。
しかし、NELSONは今年7月にベストアルバムである『GREATEST HITS (AND NEAR MISSES)』を急遽リリースした。
そして来月11日には、『NELSON FAMILY CHRISTMAS』をリリース予定だという。
『NELSON FAMILY CHRISTMAS』
これはうれしいサプライズだ。
ロックであろうがなかろうが、カントリー色であろうが、こういう趣旨のアルバムならばどんな音楽性でも誰しも気に入るものができるはずだ。
しかし、デビュー作の『AFTER THE RAIN』は秀逸な出来で、今も聴くたびに感動をよび起す。
その素晴らしさゆえに、次の91年には来日公演が決定して、私もいった。
しかし、会場にいるのは99%が女性客であり、それに委縮して全くノレなかった(笑)
しかし、見た目からは想像できない、そのヘヴィさも客をノラせるパフォーマンスも申し分なかった。
“Only Time Will Tell” 『AFTER THE RAIN』収録
しかし、次のアルバムからはずっと不調だった。
佳曲に占める割合が少なく、聴きこんでも聴きこんでも、その収録曲からデビュー作を超えるものが出なかったのだ。
それゆえに、これまで出したうちのアルバム1枚は買いそびれてしまい、それはそのまま廃盤。
ライヴ盤も何枚か出ていたようだが、どれも手付かずのまま廃盤になってしまっていた。
やはり1枚通して感動出来ないアルバムが2枚続くと、他のアーティストに目が必然的にいってしまい、このようなことになってしまうのだ。
しかし、デビュー作の良さはいくら強調してもしすぎることはないので、それだけは伝えておきたい。
その良さが口コミで伝わっているからこそ、そのアルバム発売から30年以上たってもいまだ入手可能であるとしか説明できないのだ。
※参考ページ
それに今年リリースされた『GREATEST HITS (AND NEAR MISSES)』では、これまでの未発表曲やライヴも聴けるし、廃盤になってしまったアルバムからの曲も聴けるので、NELSONの良さをそれ以上に味わいたい人には、これをお勧めしたいところである。
ここまで著述家や音楽家の遺伝によるその才能の開花を例証したが、このようなパターンでなくても、著述家や音楽家にはなれないということではないので、こういった職業を目指している人は、気兼ねせずに敢然として頑張ってほしいものである。
心から応援したいところである!
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