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26日に6年ぶりに開催されたLOUD PARKに足を運んだ。

これまで6年間、このイベントが開催されなかったのは不思議だったが、その理由はいろいろ憶測がとんでいるがどれが真相かわからない。

それを追及していても仕方ないから、ここではしないでおく。

このイベントの告知を知った時は、それを見た瞬間いくと決めた。

トリPANTERAであるとのことをすぐにわかったが、それ以外のバンドがいくつか表示されていたが、それのいずれも、私の許容範囲のバンドだったので、すぐに行くと決めた。

やはりメタルフェスは素晴らしい!

いろんなバンドを観れるし、ライヴを堪能することで、興奮するし、異世界にいざなってくれるからだ。

これまで知らなかったバンドを堪能して、その良さを認知すれば、また世界観が広がるから、これほど有益なものはない。



やはりこれまで聴いてきたモノだけでは、そういう広がりを味わうことなど不可能なのだ。

当日、これまで3日間雨だったがこの日も雨。

小雨だったが、夜にはあがるという予報だったし、わざわざ傘をもっていって、帰りに降っていなかったら余計な荷物が増えるだけなので、傘は持っていかなかった。

当日、その予報通りになり、もっていかなくてよかったと思った。

海浜幕張駅から、徒歩で約5分くらいの場所に『LOUD PARK』の会場である幕張メッセはある。

「ここが列の最後尾です」と書いたプラカードを持った案内係の人のところに行って並んだ。

しかし、HR/HMのライヴにいくようになってから、30年以上がたつが、当日が雨なのはこの日が初めてだった。

早く会場に行けないかなと考えながら開演時間の30分前に入場できた。

2019年DOWNLOAD FESTIVALもこの会場だったが、この日に何も考えずに来たために、グッズの購入の際の列への並びで時間を取られて、オープニングのLIKE A STORMは見逃し、次のAMARANTHEの最後の曲をしているときに入場という残念な形になってしまったのだった。


 
    LIKE A STORM


そのような轍を踏みたくないと、この日は6時40分に家に出て出発したが、出演アーティストが増えたことによる開演時間の早まりを知らなかったので、また2バンドを見逃してしまった。

しかし、当初の予定よりも2バンドが追加されることになり、1時間早まることになったのがその日にわかったのだ。

グッズは会場の外にあり、そこには大きなスクリーンがあり、なにやら日本人アーティストによる演奏の模様が流れていた。

「まだ開演時間になっていない。出演アーティストではない何かの宣伝だろう」とその時は思ったが、私の誤りだったのだ。

これはオープニングアーティストのPHANTOM EXCALIVERの演奏の模様が実況中継されていたのだ。

シンガーは髪を逆立てて、金髪にしていて、そのガタイはいい。

湘南の風を彷彿とさせるルックスだ。

シンプルな音つくりで、疾走感あふれる音が印象的だった。

其の次には、女性メンバーだけのBRIDEARも放映されたいた。

このバンドもそれほど印象は強くなかった。

グッズ販売の会場まで歩くが、今回はこのイベントのホムペで前もって、どのアーティストのシャツがどういうデザインかを確認できていたのでその確認の結果、私はどのアーティストのも買わないと決めていた。

その思いを敢然としながら販売場に並んだのだ。

正直、今回出演するアーティストで、「このバンドが日本に来たら必ず行く」というほどのアーティストは1つもなしの状態だったのだ。

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それならなぜ、という素朴な疑問がわくだろうが、それはメタルのライヴの臨場感が好きだし、興奮する。

そして未知のアーティストを知ることができる、というものだからだ。

もし、未知のアーティストで自分の趣味に合うものにであれば、虚心坦懐にアルバムを買おうと決めていたのだ。

しかし、こういうハレの日には、どうしても気が高揚して、財布の紐が緩くなり、そんなにほしいと思わなくて買ってしまい、その結果、使わずじまいということをこれまで経験してきたので、今日は依頼されたもの以外は買わない、と決めていたのだ。

LOUD PARK 15』に私の敬愛するPRETTY MAIDSが出演し、その時にこのバンドのTシャツを買ったが、その3年後にこのバンドが単独公演に来た時にも同じようなデザインのTシャツが販売されていたが、この時は気が高揚してしまい、そのTシャツを購入するも、やはり同じようなデザインゆえに、また新たに着るのははばかられて、そのまま着ずじまい。

仕方なくそのTシャツをヤフオクで売りに出したのだ。

また2019年EMPERORの来日公演時に前座としてきたDEAFHEAVENのTシャツも購入。

しかし、このバンドへの情熱は冷めてしまっていたがゆえに着ずじまい。

これもヤフオクで出して売ったのだ。


        DEAFHEAVEN


その他、こういう事例は多くある。

ゆえに轍は踏みたくないので毅然とした態度で今回は臨み、買わないとしたのだ。

しかし、思い起すのはその高揚とした気分である。

浮かれ気分といってもいいだろうと思うが、未来をバラ色に描ける気分の高揚は経済を活性化させる。


音楽を作る立場の人も、気分が高揚していい音楽を作ることができるのだ。

その時代は、やはり80年代だろう。

この時期には、いやというほど良質な音楽があふれていた。

この時期に出されたものはいいものばかりで、良くないモノを探す方が難しかった。

全米でプラチナ、マルチプラチナ、あるいは世界でミリオンセラーを獲得したバンドの多くが、この時代に出現したのだ。

そういう浮かれ時代に、多くのアルバムを売っておけば、多くの人にその良さが認知され、アーティストリスナーの硬い絆を築くことができるのだ。

やはり、この時代にそういうセールを獲得できていたアーティストは強い。

megades

昨今は、この時期にマルチプラチナのセールを挙げれたアーティストの復権がかなっていると感じるのは私だけだろうか?

あるいは、最近のアーティストの音楽がよくないから、過去のアーティストにファンが偏っているという意見もあるかもしれないが私はそれに与しない。

なぜなら、昨今のアーティストはかなり底上げがなされていて、作曲力も演奏力もかなり高いものばかりだからだ。

今年の2月にようやくMEGADETH日本武道館公演を実現させたが、それに続くようにHELLOWEENも今年の9月日本武道館公演を実現させるようだ。

またDREAM THEATERも来日するようだが、その際もまた日本武道館公演が含まれているのだ。

また、MOTLEY CRUEを筆頭に、DEF LEPPARD、POISON、JOAN JETの超ド級のギグが昨年アメリカで開催されたが、今年の日本でも開催されるようで、80年代からのファンはもちろん、その後にこのバンドたちを知ったキッズも嬉しい限りだろう。

私も絶対に行くと決めているのだ。

これらのライヴの告知が、今回のLOUD PARKの会場内でも映像で流されていたのだ。



やはり80年代のバブルの時期に、ビッグセールを成し遂げたアーティストは強いなと改めて感じるし、それがかなったのは時期的に良かったということでもあろう。

今は高いレベルの演奏や作曲に溢れたアーティストが当たり前であると先に書いたが、もっと早く生まれていれば…と悔やまれるパターンが往々にしてあるのだ。

それだけでなく、昨今は無数にアーティストがいるので、いくらメタルファンでも、また、いくら四六時中情報にアクセスできる時代であっても、全部を網羅することは不可能時に近いゆえに、それをカバーするという意味でもこういうLOUD PARKのようなイベントには足を運ぶ必要があるのだ。

こういう評論家じみたことを考えながら(笑)、演奏会場に入った。

するともう、3つ目のアーティストであるJASON RICHARDSON & LUKE HOLLANDの演奏がなされていた。


JASON RICHARDSON & LUKE HOLLAND


前回のDOWNLOAD FESTIVAL JAPAN以上の失敗だった。

そのDOWNLOAD ~』オープニングアクトとして出演したLIKE A STORMが気になっていたので、終演後に調べた結果とてつもなく素晴らしいバンドであることを知って、同じ年に単独公演が実現して、それに足を当然ながら運んだのだ。

しかし、会場になった渋谷クラブクアトロには当日、300人くらいしか観客がいなかったのだ。

あんな素晴らしいバンドが…。

その良さに目覚めて、多くの人があのバンドのファンになってほしいものである。

JASON RICHARDSON & LUKE HOLLANDは全く知らないアーティストだったし、当日ただ観れればいいと思ったくらいだったが、実際に観戦してとてつもなく可能性を秘めたアーティストであることが分かった。

この人たちは異形なバンドだった。

ギタリストとドラマーだけのバンドなのだ。

ゆえに、9割がインストなのだ。



しかし、この2人はかなりの天才性を有したアーティストなのだ。

かなりの静的な気宇を有したメタリックな空間を擁している。

重低音の効きまくったヘヴィさは充分!

ステージのバックには、いろんな映像を流しながら、それと同時にインスト曲を奏でていくのだ。


その幽玄さや、広大さにはただ聴き入るばかりだ。

音楽とその映像を同時進行させてその同時空間を愉しませるのが目的のようだ。

時に火山、時に城の影絵、時に得体のしれない四角のオブジェ、その他etcが優麗に、時に激しくバックの映像を描きながら展開しながら演奏も続くのだ。

その音楽もLOUD PARKよろしくヘヴィでありながら、奇想天外に曲が展開しながら壮大な気宇を擁しながら全体の構築美を形成する。


こういうことを自らのモチーフでいとも簡単に展開して、世に出しているから凄い。



ライヴを聴きながら、スマホでこのアーティストの詳細を調べる。

すると、ジェイソン.リチャードソンバークリー音楽学出身であるという。

ここは、かつてDREAM THEATERのメンバーや、ティーヴ.ヴァイを輩出したエリート音楽校なのだ。

音楽的に演奏が優れているのみならず、素人には創造できない作曲力を持っているのはDREAM THEATERティーヴ.ヴァイも同じだ。

このJASON RICHARDSON & LUKE HOLLANDの音楽を聴いているだけで、その出身であることにすぐさま頷けるほどの作曲力と演奏力のあるバンドであることがわかる。

こういうモチーフを持ったバンドは初めてだ。

“p00mbachu” JASON RICHARDSON & LAKE HOLLAND

前々から、音楽は単に聴くだけでなく、観るものでもあるから、アーティストの良さに耽溺した人は映像モノも率先して愉しむべきであると書いてきた。

しかし、スタジオアルバムのようにライヴは完璧にはできないが、それに限りなく近い演奏をライヴしているアーティストはくまなくチェックして観るべきであると思うのだ。

スタジオアルバムほどの完璧さはいらないからといって、ライヴでは途端に手を抜くアーティストがいるから困るが、事細かにチェックしていけば、そうでないアーティストは必ず多くいるはずだ。

そういう意味で、このJASON RICHARDSON & LUKE HOLLANDは脳内に入れて映像モノを愉しめる例として覚えておいた方がいいだろう。



最後の曲が終わったら、煌びやかな照明を彷彿とさせるSEを流しながらメンバーは退出していった。

この演出は聴いていると、LOUD PARK 12』に出演したノルウェイCIRCUS MXIMUSの音楽性と演出と雰囲気を思い出してしまった。

しかし、あのバンドは今何しているのだろうか?

心配になってきた。

こういう清涼感のある演出の後には、やはりH.E.R.Oはうってつけだろう。

会場を出てフードを食べてからこのバンドのライヴを堪能した。

このバンドは、伊藤政則ロックシティでその音楽性を知っていた。

ロディアスなものを売りにしていることはわかっていた。

そのメロディアスなミュージックは、30年前に勃興したどんよりダークなミュージックに反動して起こったメロディ重視のバンドのことを思い出すが、その音楽を奏でるバンドはあまりにメロディアスさに重点を置きすぎるあまり、すかすかした印象を持たざるを得ず、フェイバリットなバンドになった例は皆無だった。

そういうバンドと、H.E.R.Oは一線を画している。


           H.E.R.O

ステージから繰り出されるヘヴィな重低音によって、誰しもこのバンドが軟弱なミュージックを奏でるパターンではないことはわかるはずだ。

先のJASON RICHARDSON & LUKE HOLLANDに共通する部分もあり、ステージのバックに映し出される映像の壮大さと気宇の広さを同時に含みながら進行していく音の良さには脱帽だった。

同じメロディアスと形容されるオランダのTERRA NOVAというバンドが90年代に日本で活躍したが、そのヴォーカリストも顎から首にかけての渋い髭があったが、このH.E.R.Oも同じような髭があって、オーバーラップする。

その髭を伸ばすというパーソナリティが一致すると、音楽性もやはり一致するのかもしれない。

その人の思いがそういう行動に至らせるがゆえに。

広大な気宇を有したメロディアスなHR/HM愛する人には、このH.E.R.Oはおすすめだ。

次に登場したのは、日本が誇るメタルバンド.OUTRAGEだ。


  OUTRAGE

このバンドは、89年に買った今はなき雑誌のVIVA! ROCKにのっていたことで知った。

「顔はどう見ても日本人…日本人のハードロックバンドなんてあるんだ!」という衝撃を受けたのだ。

それから2年後にこのバンドがTHE FINAL DAYといいうアルバムを出して、『BURRN!』のピックアップアルバムに出ていて、そこで当時、この雑誌の編集長だった酒井康にもレビューされていて、その酒井氏曰くジャパメタには98%興味ない私が、このバンドにはぶっトンだ!」という書きだして85点をつけていたのだ。

それで私の脳内にもインプットされていたが、買うという行動にはいかなかったのだ。


THE FINAL DAY

そして30年以上がたってしまった。

まず、どういう音楽をやり、どういう歌詞を書くかは、そのメンバーの顔をみればたいていわかる。

顔がモラルを映し出すからだ。

メンバーの顔を観たら、やはり想像できるのは、粗野で奔放な感じだろう。

そういう音楽は私の好むところではない。

それに、酒井氏から好評を得ても、それ以降人気が急上昇したという現象はなかったからだ。

それに、先のロックシティでも、このバンドの音楽性は確認できたし、LOUD PARK 17』にもこのバンドが出て、その音楽を確認したが、やはり好きにはなれなかったのだ残念ながら…。

っこのバンドが最近、オーケストラとの共演を小さい会場ながら催したようだが、元の音楽が好みでないならば、そういう試みをしても好きになるはずはないのだ。

このバンドと、それから4つ後順で登場したSTRATOVARIUSも、私の好みにはなれないのがわかった。



決して悪くはないし、いいメロを持ったバンドであることは百も承知だが、このバンドが登場し、壮大なSEに導かれて演奏が始まったが、その醸し出された興奮が演奏が続くごとに失せてしまっていくのがわかったのだ。

いいメロはあるが、平凡な印象で終わってしまうのだ。

それはこのバンドがLOUD PARK 13』に出演したときにも同じ感懐を抱いた。

このバンドは、ヴォーカリストであるティモ.コティペルトが歌詞を書くゆえに、歌詞にソウルが乗っているのは明らかだが、やはり私の食指を満たす音楽性ではないのだ。

このバンドのキーボーディストであるヤンス.ヨハンソンは元イングヴェイの人だ…っていつの話だと反感を買いそうだが(笑)、少年期をヤンスイングヴェイにいた時に過ごしたので、その印象は強いのだ。

そのヤンスが当時語っていたのは「いくら作曲に関与してもイングヴェイはクレジットをくれないんだ…」ということであった。

しかしヤンスがこのバンドに加入してからは、きちっとヤンスのクレジットが入っている。

しかし、どの曲もインパクトが薄い。

同じくイングヴェイにいた兄のアンダースのその子供とのバンドであるTANGSTENも、残念ながら「いい出来なんだけどね~」で終わってしまっていた。

いつしかこのバンドのモノを私が好きになることがあるのだろうか?

OUTRAGEの次は、スコットランドBLEED FROM WITHINだ。


  BLEED FROM WITHIN


このバンドの演奏から迸るエナジーには感服した。

先に顔をみれば、そのバンドの音楽性がわかると書いたが、まさしくそのバンドメンバーの顔をみて音楽性がわかろうというものである。

その顔やルックスで想像できる音楽は、私の好むところであるのが当然のように分かった。

重低音を這うようにゆっくりミドルで連行していく様は、マリリン.マンソンさながらのヘヴィミュージックだ。

“The End Of All We Know” BLEED FROM WITHIN


その音楽性から、このバンドはアメリカ出身かと思いきやそうでないからビックリ!

スネアドラムの音が、心の中でもエコーとなって響き渡るその感覚がいいのだ。

PERIPHERYのような音楽性をも持っているが、あのバンドは疾走感を武器にしているが、このバンドはミドルテンポを中心に曲展開を見せるようだ。

しかし、疾走感をも有した曲も当然ある。




清廉さが、このようなヘヴィミュージックをしていながらあるので不思議な音楽といわざるを得ない。

シンガーが中腰になって歌うさまは、さながらこれから登場するフィリップ.アンセルモマーク.モラレス(ex. SONS OF TEXAS)にそっくりなのだ。

それから想像できるに、このバンドとPANTERAのそれは一致するのが目に見えたし、その通りだったのだ。

次は、スウェーデンAMARANTHEだ。

このバンドは、前々から知っていたし、アルバムも2枚アナログで購入して、それなりに聴いたし、興奮もした。


 AMARANTHE


先の『DOWNLOAD FESTIVAL JAPAN』の際に足を運んだけれども、Tシャツを買うのに時間を取られて、ちょうど終わるときに会場入りした私は、AMARANTHEのステージをみることができなかった。

その悔しさを晴らすためにMAXIMALISMHELIXという2つのアルバムを買って聴いたのだ。

この2つのアルバムは、私の食指を満たすに十分だったのだ。

ユーロビートフュージョンといったものまでHRに取り入れて融合させてしまうのだから、その手腕はすごい。

そういったミュージックは苦手という人でも心配には及ばない。

それを好きにならせてしまうように音楽を昇華させているのだし、それほど長くは取り入れていないのだから。

このバンドの最新アルバムであるMANIFESTのジャケットカバーがステージのバックに張り出されている。



ドラマティックに、そして映画を見ているようなアクロバティックな気分にさせてくれる展開を見せてながら演奏が綴られている様を見て、席の後方にいた私はすぐさま、直に見たくなってステージの前の方に行ったのだ。

やはり、音楽やそのライヴは、非日常の時空間を経験したいがために堪能するのが主目的だと私は思う。

ゆえに、その思いを満たしてくれると判断したAMARATHEの音楽をすぐ近くで観たい衝動を抑えきれなかったのだ。

このバンドがLOUD PARK 11』に出演したときの模様がWOWOWで放映されたがその時の曲が“The Hunger”だったが、それもなされていた。

MAXIMALISMHELIXからの曲もされていたが、それらの曲名はわからずじまい。

ふつうは、アルバムを聴いたらそこに収録されている曲名を覚えるまで聴くのがエチケットではあろうが、仕事をしているし、他の無数のアーティストのアルバムをも聴きたいゆえに、そこまでしている余裕がないだ。

このバンドは、シンガーが複数人いることはわかっていたが、まさか3人もいるとは思わなかった。



しかし、それゆえに、これまで1人だけのシンガーのバンドを観てきた人には、奇想天外な感覚で観れるし、興奮もしかるべしだ。

シンフォニックかつ、プログレッシヴな音楽を容易に作れるのがヨーロッパ出身のバンドのお手の物だ。


英米のバンドはそういうバンドは数少ない。

ゆえに5分くらいで終わってしまうオーソドックスな音楽に飽きた人には充分アピールできるだろうし新規な印象ゆえに興味深くなるだろう。

ヘヴィさも申し分ないし、このバンドのメインシンガーであるエリーゼ.リードも歌詞を手掛けているので必然的にこのバンドの曲に酔わらざるを得ない。


ステージバックのドラマティックな趣をもったアルバムカバーの絵が、その状態をさらに拍車掛ける。

私はどうしても、シンガーが歌詞を書かないバンドの音楽は、疎遠になってしまってきたのだが、シンガーが歌詞を手掛けるバンドの音楽はソウルが感じれて心理的に卑近になるのだ。

※参考ページ

eurokennes.blog60.fc2.com 


これほどライヴは素晴らしいのに、これまでこのバンドは1つもライヴモノを出していないから不思議だ。

このバンドの音楽に酔った私の,これから買うアルバムリストの第一は、AMARANTHEの最新アルバムであるMANIFESTになった。

“Fearless”  AMARANTHE

この次はCARCASSだ。

このバンドは、イギリス.リパプール出身のデスメタルバンドだ。

このバンドはLOUD PARK 15』に参戦し、メインアリーナから外れた大きな通路に設置されたサードステージトリを務めたのを拝見して以来、自分からこのバンドを検索することもなく、また動画で音を堪能することもなかった。

しかし、つき詰めたグラインド性やスピードには瞠目すべきものがあるのは確かだ。

 
       CARCASS


演奏が始まるや、そのギターの重低音やドラムのスネアから繰り出される轟音は、これまでのバンドはかなり違うし最強だった。

一言も、また一回もMCを挟むことなく、ただ敢然と演奏だけを繰り出していくのみだった。

こういった演奏であれば、これまで自分が称賛してきたEMPERORと通じるものがあり、ファンになれそうな感じだが、EMPERORに比べて壮大さも、ドラマ性もないがゆえに、それほど高揚した気分にはなれなかったのが正直なところだ。

これまでこのバンドのCD等は買ったことがなかったので、このイベントに向けてタワレコで購入手続きをしたが、在庫が少ないのか、いまだ取り寄せ中で、そのスタジオでの音を確認できずじまいのままだ。



それが自分の家に来て、聴いて確認出来たら、このバンドのイメージは変わるかもしれない。

次のSTRATOVARIUSを挟んで、NIGHTWISHが登場した。

このバンド、LOUD PARK 16』セカンドビルとして参戦して、その良さを確認して、帰宅後にこのバンドの最新アルバムだったENDLESS FORMS MOST BEAUTIFULを購入して聴いて悦に入った時期があったのは事実だ。

その壮大かつ雄大な世界観、奥行きが無限大に感じる曲の構成力、ドラマティックかつ奇想天外に展開される構築美、それのみか、この日最初にみたJASON RICHARDSON & LUKE HOLLAND以上の映像をも駆使して楽曲を多重に味わわせる演出力は、天才性を有したミュージシャンでなければ不可能事であることがすぐに察知できたのだ。

音楽だけでなく、巨大スクリーンの映像にも手の込んだ演出を施していたのだ。

スクリーン映像を3分割にして、真ん中にバンドメンバーを映し出して、両端にはこの日になされた曲のモチーフの映像を流していたのだ。




演奏だけでなく、映像にも大掛かりな演出をする…そんな時代になるのだろうかこれからは?

そういうことをして、多くの人を魅了したとなれば、そのことが情報として誰もが真似をしていくことになるのは、人類のどの分野でも一緒なのだ。

しかし、この日に見たNIGHTWISHの演出は、前回観た時よりもかなりのレベルアップがなされていることが分かった。

ステージのバックの映像は時折、宇宙空間で火が迸っている映像が出てきたり、広大な大地が出てきたりと壮大で観ている人の胸に奥行き深い気宇を持たせる力があるのだ。


こういう音楽を創るだけでもすごいが、それを映像とも融合させて展開していくのだから、これは天才による偉業というほかない。

このバンドは、キーボーディストであるツオーマス.ホロパイネンによって作曲のほとんどを手掛けられている。


ツオーマス.ホロパイネン

しかし、これだけの壮大かつ雄大でドラマティックな曲を創り上げる彼は天才中の天才といってもいいだろうと思う。

この人を絶賛する声が『BURRN!』内でまるで出ないのは摩訶不思議そのものである。

映画のサントラ製作者にも負けない、いやそれ以上の才能を持っていることは、今回のライヴを観た人なら感じざるを得ないだろう。

その才能を実践するには、天才的な能力を持ったミュージシャンでなければ不可能なのもまた事実だ。

このバンドのメンバーは、誰もがそういった才能を持ち合わせている。

非の打ち所がない天才の集まりだ!



このバンドはフィンランド出身だが、そういう出身国の音楽的な土壌もやはり起因していることも確かだ。

アメリカやイギリス出身でこういう音楽を作り出せるバンドは数少ない(これは英米のバンドを卑下しているわけでもなんでもない)。

シンガーである女性のフロール.ヤンセンはオランダ人だが、そういった音楽を歌唱して聴き手を感動させれる稀有なシンガーだ。

フロール.ヤンセンはあまり左右に動かないで歌っているだけだが、人目をひきつける吸引力が半端ないのだ。

包容なヴォイスかつ広包なオクターブゆえに誰もが注目してしまう。

しかるに女性版のヴィレ.ヴァロ(ex HIM)という感じだ。

しかし、あまり書きたくないことだが、作曲のみならず作詞までもツオーマス.ホロパイネンがほとんどすべてこなしてしまうがゆえに、私はそれほどこのバンドのファンになれないのだ。


  NIGHTWISH

歌詞が他人の書いたものであれば、他人の経験や信条、考えといったものまで感情移入できることはないので、それをシンガーがあまり感動できないで終わってしまうのだ。

それは他のいろんなバンドでも同様だ。

このバンドと同様、クラシカルなフレーズを武器にしているROYAL HUNT

そしてDREAM THEATER,BEYOND THE BLACK,SKID ROW、THUNDER、DANGER DANGER、90年代後半以降のYNGWIE MALMSTEEN…こういったバンド内の事情でシンガーが作詞できない、あるいはシンガーに作詞能力がなくて作詞しないバンドの曲は感動できないのだ私は。

これらのCDは曲がよくて聴いてそれなりに感動はするけれども、何度も聴きたい欲求が生まれずいつしか疎遠になり、中古盤屋に売ることになってしまっていたのだ。

それらのアルバムのクレジットを確認するも、どれも共通してシンガーが作詞していないということに気付いたのだ。

NIGHTWISHも例外ではなった。



LOUD PARK 16』の出演で感動して、このバンドのライヴ映像であるEND OF AN ERAを買って鑑賞するも、感動したのは一度だけで、それからは全く観ずじまいだったのだ。

今のフロール.ヤンセンではなく、当時のシンガーはターヤ・トゥルネンであったのは百も承知だが、今も事情は一緒だろう。

感動して聴いたENDLESS FORMS MOST BEAUTIFULも、今はほとんど聴かずじまいになってしまっている…。

それは仕方ないことだろう。

作詞をほとんどの作曲を手掛けているツオーマス.ホロパイネンの世界観と完全一致させるには、世界観がぴったり一致している作詞できるシンガーを探す必要があるが、そんなことはまず不可能だ。

ROYAL HUNTにしろ、そしてDREAM THEATERにしろメインソングライターの世界観と歌詞を一致させるシンガー兼作詞者がバンド内にいればいいのだが、いないのは不運だった。

ゆえにメインソングライターが作詞をも手掛けることになったようだ。

その結果、私が感動できずじまい、ということになっていたようだ。

曲の世界観と一致する歌詞を作詞できるシンガーがいないことが不運だったのだ。

これまでの30年以上の経験から、シンガーが作詞しない、あるいはバンド内の事情で作詞できないアーティストのアルバムはほとんど聴かずに終わってしまったということから、これからはそういうアーティストのは聴かないことに決心したのだ。

ことNIGHTWISHもだ。

dealzeok
      フロール.ヤンセン

残念だが、そうなると結果がわかっているので、無駄なことはしたくないのだ。

これは、たとえて言えば、私が飲食店の店長だとして、新規アルバイトの募集をかけたところ、愛想がよくて、元気もよく、かわいい顔をして、飲食店での経験も豊富な女の子が面接に来た。

しかし、その子が入りたい曜日と時間帯が、当店が欲しい曜日と時間帯が1日しか一致しない。

ゆえに、その子はもの凄く残念ながら不採用。

こんな感じと一緒なのだ。

しかし、音楽的な才能は半端ではないのは、私が保証する。

天才中の天才のミュージシャンがイニシアティヴを握っていることも事実だ。


“Noise” NIGHTWISH
しかし、シンガーが作詞しないという理由でこのバンドのファンにはなれないというのは厳然たる事実なのだ。

ゆえに、アルバムは買わないし、単独ライヴにもいかない。

しかし、こういったフェスでNIGHTWISHが来た場合には、心底会場で応援したいなというのが本音なのだ。



では、壮大な世界観を有したシンフォニックメタルの場合、必ずシンガーが作詞するのは不可能なのか?

そんなことはないようだ。

DELAINにしろWITHIN TEMPTATIONにしろ、シンガーが作詞もしている。

WITHIN TEMPTATIONはギタリストのローベルト.ヴェスターホルトがメインの作曲者だが、それにフィットする作詞をシンガーのシャロン.デン.アデルがこなしている。

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  WITHIN TEMPTATION


違う人間が、その作曲者の世界観と一致させることができるのはかなり稀有なことではないだろうか?

しかし、このバンドではそれを可能とした。

ゆえに運命をこのローベルトシャロンの2人が感じたとしても何の不思議もない。

この2人は結婚して夫婦だ。

シンガーが作詞もこなしている。

ゆえにDELAINWITHIN TEMPTATIONにシンフォニックメタルバンドとしての今後の活躍は期待しているのだ。

次の出番はKREATORだ。

このバンドは,LOUD PARK 14』にもセカンドビルとして参戦した。

サードビルになったのは、今出てきたWITHIN TEMPTATIONだった。

しかし、どう考えてもWITHIN TEMPTATIONの方がセカンドビルとして適当だし、KREATORには分不相応なのは明白だった。

しかし、またもセカンドビル…このバンドは日本のフェスのプロモーターに好かれているのだろう。

単独公演では1000人に満たない会場で各都市で1回しかできないのに、フェスになるとセカンドビルなのは、そういう事情によるのだろう。



また、今回このバンドのステージを観ることで彼らに対する意見は変わるのだろうかという期待をして、ライヴに臨んだがやはり…駄目だった(笑)。

暗転してメンバーが出てきて演奏を奏でる。

80年代初頭の古典的なスラッシーなリフがここでも来た。

演奏が始まるや否や、サークルピットができた。

やはりコアなファンが来たのだろう。

しかし、音楽性にさしたる変化はないし、SEやキーボードを導入するなり、他のジャンルの音楽性を盛り込むなどして、音楽性の昇華や進化、深化がなされていたかというとそうではなかった。

やはり古典的なモノからの変化はなかったようだ。

しかし、こういう不変性をどう評価するかは、その人によりけりだ。

そのバンドの音楽をこよなく愛しているファンならば、それでもいいと思うだろうし、変化しても不満は出にくいだろう。

しかし、それほどそのバンドの音楽性を好きでない人にとっては不満の種になるのだ。

ことJUDAS PRIESTは、デビュー当初はさらに古典的な音楽を奏でていた。

しかし、アルバムを重ねるごとに、いろんな試み…例えば、SEやキーボードの導入や他の音楽の取り入れなどをして、昇華させてきた。

デビュー当初のあの古典的なミュージックがここまで昇華したか!と驚愕の思いになったのがREDEEMER OF THE SOULS』アルバムであり、FIREPOWER』アルバムだ。

theredeemerREDEEMER OF THE SOULS

その前からもそういう面はあったが、更にそれに拍車をかけたのがこの2作であると思うのだ。

私は、2006年にLACUNA COILを知り、このバンドに惹かれたが、JUDAS PRIESTと同じような道筋を辿っているからこそ、今でもファンになっているのだ。

このバンドの最新作もやはり素晴らしい。

そういういい意味での進化がなくては、コアなファン以上の獲得は難しいだろう。

しかし、新たな試みをするかどうかはアーティスト次第だ。

したからといって素晴らしいアーティスト人生、しなかったら敗北の人生などとは言うつもりはない。

そのアーティストに任せるのだ、どうするかは。

しかし、本音ではしてほしいというのが正直なところだ。

SEやキーボードの壮大さに惹かれてしまうし、音楽性の幅が広がることで音楽的な魅力が増すからだ。

KREATORの音楽自体が私の食指に合わないがゆえに、集中して聴けないでいた自分がいたのだ。



このバンドのコアなファンに「このアルバム聴きな!」といわれてCDを貸されても、1度は最後まで聴くだろう。

しかし、その後は、そのまま放置というパターンで終わるだろう。

仕方ないのだ、音楽自体がそれほど好きではないのだから。

そんなことを考えながら、客席エリアの後方でコーラを飲みながら終演するまで私は座っていた。

そして最後はPANTERAだ。

私は、これまで一度も生でこのバンドを観たことがなかったのだ。

91年あたりからじわりじわりとこのバンドの人気が増してきたのを覚えている。


         PANTERA

今、このバンドのバイオグラフィーをみると83年がデビューの年だったのだ。

それを苦節8年目にして、ようやくワールドワイドで成功することができたのだ。 デビューから9年目にして世界的なヒットを記録できたWHITESNAKEとオーバーラップするのだ。

演奏に入る前に、このバンドのバイオグラフィーが巨大スクリーンの映像でながされたのだ。

ワールドワイドでヒットしだした時の、あのフィリップ.アンセルモの短パン姿に懐かしみを覚えた。

あの92年のアルバム以降の3つ連続のヒットによってSLAYERMEGADETHまでも食ってしまい、BLACK SABBATHの直前のセカンドビルに抜擢された成功劇をも思い出したのだ。

その威力は、いまだ有効だろう。



ステージにメンバーが登場するやいなや、あまりの歓声の大きさゆえに轟音にすらなったのだ。

その轟音ゆえに、身震いしてしまうほどだったのだ。


先に出演したBLEED FROM WITHINのファンならば、このバンドも当然好きになるだろう。

しかし,音楽的な同質性などは関係なく、HR/HMすべてのアーティストを包摂したメタルフェストリということで出演したゆえに、そういった議論さえも稚拙なものに感じてしまうほどなのだ。

その歓待ぶりによる、歓声には完全なノックダウンだ。

ヴィニー.ポールダイムバッグ.ダレルという2人の兄弟を失い、オリジナルメンバーは2人だけという状況ながら、この歓待のされぶりは見事だ。



今回だけの参加なのか、あるいは恒常的にバンドに関わってくるのかはわからないが、ギタリストとして参加したザック.ワイルドのパフォーマンスも推してしかるべしだ。

どのような異ジャンルのバンドの音楽でも、すんなりとこなしてしまう腕には感服ものだ。

いろんな感懐を持った今回のフェスであるが、収穫は大いに持ったのは確かだ。

また来年も、開催してほしいと願いつつ会場を後にした。

雨はすっかり止んで、やはり傘は持ってこなくてよかったと心の底から安堵の思いがした。



今回復活したPANTERAのシンガーのフィルのインタビューを載せたBURRN!は以下!
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●以下のサイトでも取り扱っています。
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※参考記事


LOUD PARKに吾思う 17年 2日目』

LOUD PARKに吾思う 17年 初日』

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LOUD PARKに吾思う 11年』

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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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