最近、EUROPEのライヴ映像である『LIVE FROM THE DARK』を観た。
これはこのバンドが2003年に再結成した後の初めてのライヴモノである。
これは、20年近く前の作品なのにいまだに入手可能になっている。
これをみて、これからのこのバンドの行く先を占う方向性について考えてみた。
この時の最新アルバムは『START FROM THE DARK』だった。
『START FROM THE DARK』
これはかつての煌びやかなイメージのEUROPEの作品からは想像できないほどの古典的なロック色の強い作品だった。
ゆえに評価は平凡。
しかし、そういう出来の音ほど、聴くごとに味が出る。
しかし、そこまで聴きこませる威力のないものは、やはり淘汰されやすいのだ。
私自身、この作品に関しては、それほど高くは評価できないが、それでもそれなりに良い出来だということは言える。
やはりプロのミュージシャンたるもの作曲能力は大切だ。
それが、何らかの原因によって枯れたり、逆に昇華したりするから音楽は面白いのだ。
それほどインパクトのなかったアルバムではあったが、それはこのアルバムにおいて、再加入したジョン.ノーラムが6曲も作曲に加わっている。
それが原因だろうと思われてならないのだ。
これまでの彼のキャリアを俯瞰するに、こういう音こそが彼の好むところであるということはたやすく想像できる。
しかしあの『THE FINAL COUNTDOWN』こそが、このバンドの維持すべき姿勢であるというスタンスであるという人にとっては、このアルバムはあまりというか、ほとんど受け入れられないだろう。
『THE FINAL COUNTDOWN』
しかし、私は音楽性のチェンジは、その出来上がった音が佳曲に仕上がったのならば、それでも文句は言わないし、人に勧めたいというスタンスでいるのだ。
しかし、そういう気が起きる気持ちが半分、そうでない気持ちが半分というのが正直なところだろう、このアルバムは。
過去において、このバンドは、全米で2つのプラチナアルバムを出した。
先の『THE FINAL COUNTDOWN』と次の『OUT OF THIS WORLD』である。
後者から、キー.マルセロが加入し、いくつかの作曲を施した。
それもプラチナに輝いた貢献をなしているとみていいだろう。
しかし『START FROM DARK』においては、これらのアルバムのような曲の昇華がなされていない、と感じざるを得ない人は多いだろう。
EUROPEに合わせたファッションセンスならばキー.マルセロの方がマッチしているのがわかる。
右から2人目がキー
しかし、バンド内の詳細は知らないが、2003年の再結成時には、キーではなくジョン.ノーラムが抜擢されたのだった。
86年のジョンの脱退理由は、自分の持ち味を生かしたプレイが削除されていたことがショックだったゆえということだ。
その後、ジョンは自分のソロアルバムを作ってリリースしたり、ドン.ドッケンのバンドに加入したり、と結構忙しかったのだ。
その最初のソロである『TOTAL CONTROL』を聴いたら、EUROPEでの華麗なプレイは一切聴けなかったし、粗削りな印象はぬぐえなかった。
そして何より、作曲能力の不足を感じたのだ。
次のアルバムに期待するも、やはり同じようなものだった。
そしてDON DOKKENのアルバムに参加したのは聴いた。
しかし、そこで思ったのは「ソロ作よりも全然いい曲だし、プレイも素晴らしいじゃないか!」ということだった。
DON DOKKEN
その次に出たジョンのソロを聴いたが、やはり佳曲が少ないのだ。
それでわかったのだ。
ジョンは、他の作曲者と一緒に曲を作ればいいのができるけれども、自分1人で曲を作るとなると、てんでいい曲は作れない、ということである。
ゆえに、彼は自分1人でアルバムを作るのではなく、バンドに属していくことでいい曲を奏でることができるということであった。
しかし、再結成時には、やはり喧嘩別れというニュアンスが強かったゆえに、このバンドに再加入する場合には、彼に作曲に貢献する度合いを高めようとしたことは伺えた。
ゆえに、この再結成時には彼は異例の6曲を作曲した。
それがあまりよくなかったのだということは明白だろう。
EUROPEというバンド名から想起させる音からは程遠いのだ。
やはりEUROPEというと、どうしてもあの『THE FINAL COUNTDOWN』を想起してしまうものだ。
“The Final Countdown” 『THE FINAL COUNTDOWN』収録
あのアルバムはバンド史上1枚出るかでないかの傑作であり、ゆえにあれと同じ出来にせよなどとは言わないが、あの音楽から連想させるキャッチーでポップなイメージを包含した音楽を作ってほしい、というのは誰しも期待することであろう。
その音楽からは程遠い音楽だったのだ。
あのアルバムのイメージを抜きにしても、やはり並の出来といった感じだろう。
ジョンの影響を受けたギタリストは、ゲイリー.ムーアやマイケル.シェンカーといったヨーロッパ系の古典的なロックやブルーズを基調とするミュージシャンだ。
それゆえに、『LIVE AT SWEDEN ROCK』において“Jailbreak”(ゲイリーの在籍したTHIN LIZZY)や“Lights Out”(マイケル.シェンカーの在籍したUFO)のカバーをしているのだろう。
しかし、その音楽的な土台が、EUROPEに合っているかどうかは判断に難しい。
即座に「合っている!」とは言えないことだけは確かだ。
こういった音楽性がジョンの土台であるがゆえに、ポップさで売れるようになったEUROPEにはそれほど合わないということなのだろう。
ゆえに、この『LIVE FROM THE DARK』では、あの名バラードである“Carrie”もジョーイにアコースティックを弾かせてのシンプルな歌わせ方を要求したのだ。
あの名バラードは、キーボードを奏でて、それに合わせてのヴォーカルゆえに活きていたのだ。
それをアコースティックだけで歌わせるとは…と失望したファンもいただろう。
こういうこともかんがみるに、ジョンの音楽性はそれほどフィットしないのではといぶかしげに思うのだ。
ジョン.ノーラム
キー.マルセロ在籍時のアルバムからの曲も、このライヴでは演奏されているが、ポップなものよりもシンプルなギターオリエンテッドなものが選曲されているのがわかる。
最近のEUROPEこそが自分が一番感動できるという人ならば、それを称賛するだろう。
しかし、『THE FINAL COUNTDOWN』こそがEUROPEの最高の音楽という人にはそれほど相いれない出来であることは明白だ。
やはり評価は人によって分かれるのだ。
しかし、最近のこのバンドと80年代のこのバンドが全く別物というわけではないし、それぞれ片鱗を垣間見れるゆえに、そんな隔絶したモノにはならないところだ。
最近のEUROPEは、それなりにだがそんなに…といった感じなのは私の意見である。
しかし完全に興味の外ということではないし、必ずニューアルバムは買って聴くようにしているのが正直なところである。
全く興味の外になってしまった他のバンドのカテゴリーに入ってはいないのだ。
しかし、『START FROM DARK』以降は、いずれも3曲くらいしかジョンは作曲での参加はしていない。
そういうことは、まず表に出ないのだ。 真実はわからないままだ。
インタビューでそんなことをミュージシャンが話すはずもないのだ。
ソロアルバムを作る際に、1人で作曲してもあまりいい曲ができない。
しかし、バンドに加入して作曲をするも、それほどいい曲ができないのであれば、やはりジョーイにそのほとんどを任せるべきなのだろうか。
実際は、再結成後に出されたアルバムは、いずれも高評価を得たものはなく、やはり並の評価だった。
しかし、ギタープレイはとてつもなく素晴らしいのだ。
“The Final Countdown”や“Rock The Night”“Cherokee”でのソロプレイを聴いて鳥肌たたない人はいないだろう、と即座に思わざるを得ないのだ。
DON DOKKENでのプレイも同様である。
いずれも鳥肌モノである。
“Mirror Miirror” (DON DOKKEN) 『UP FROM ASHES』収録
こういった事項を吟味していくと、どのようなスタンスで関わっていくべきかが見えてくる。
確かに、並の出来でしかなかったミュージシャンがいきなり大ヒットというパターンもあるゆえに、行き過ぎた断定は控えるべきだろうか?
ジョンのソロ作は、やはり自分のやりたいことだけを突き詰めた感じで、それが悪い意味で奔放なのだ。
その奔放さをジョーイの音楽性と合わせることで、並の佳作になっている感じだ。
ジョーイ.テンペスト
それとプラス、プロデューサーがまとめ役をしているのは明白だ。
要するに自分のやりたいことだけを突き詰めているだけでは、傑作はできにくいのだ。
それが功を奏している場合もあるが、自分のセンスだけでは良い方向へ行かないこともある。
いや、それだけではいかない場合の方が多いと思えてならない。
これまでの研究結果の末、そんな結果が得られている。
その最たる例がイングヴェイ.マルムスティーンである。
84年のソロデビューから98年までの作品は良かったが、それ以降は更年期障害が始まりそれから抜け出せないでいるのだ。
それが、作詞作曲を自分でするのみならず、自身のプロデュースにまでなってしまえば、そこから抜け出すのは容易ではない。
かなりの程度、自己満足の作品になってしまっているのだ。
これではまさに悪しきTOTAL CONTROLだ ゆえに、もう彼の作品は買わないと私は決めてしまっている。
EUROPEがデビューした84年から86年までの3年間でジョン.ノーラムは脱退した。
しかし、2003年の再結成から今年で実に19年。
在籍期間は今回の方が圧倒的に長い。
それが正と出たか、邪と出たかは評者によって違ってくる。
しかし、願わくば作品ごとに進化、そして深化を望んでいるのだ、このバンドのみならず自分のフェイバリットなバンドには。
その進化や深化というのは、音楽性の広がり、オクターブの広がり、そしてSEやキーボードの使用によるそこから醸し出される音楽の奥ゆかしさの増大といったことである。
それによって、更なるそのバンドへの忠誠心の向上が可能になるのだ。
私はそう捉えてきた。
それまでゴールドが最高だったBON JOVIやWHITESNAKEが、そういった試みによっていきなり世界でミリオンセラーを達したのは、そういう試みが功を奏したゆえだ。
WHITESNAKE
そして、ゴールドにも達していなかったEUROPEも同じ試みでいきなり300万枚を売ったのだった。
それのみか“The Final Countdown”は、25か国で1位を獲得した。
そういう壮大さの増大の試みによって、更なる音楽性の進化や深化を果たし、ファンの心を鷲掴みにし、ファン層を拡大する。
それを可能にしたのが、JUDAS PRIESTの『REDEEMER OF SOULS』や『FIREPOWER』であり、LACUNA COILの『BLACK ANIMA』である、私は思う。
これらのアルバムにおいて、SEやキーボードの多用の試行によってJUDAS PRIESTのデビュー当初のあのシンプルな出来からは想像できないほどの、壮大な音楽性を体現して見せたのだ。
やはり、いろんなことを試していくことで音楽性をグレードアップさせたのだ。
そのグレードアップも、そのミュージシャンの腕や歌唱力がかなりの程度、巧みでなければ話にはならないのは言うまでもない。
一流ミュージシャンゆえに可能なのだ。
そういう試行を、前進と評するかどうかはこれも人によって変わってくるだろう。
しかし私は前進と評したいのだ。
それを体現して見せたJUDAS PRIESTやLACUNA COILのメンバーには敬意を表したいし、ここでも大いに勧めたいのだ。
LACUNA COIL
それらの作品になった結果、更なる忠誠心の強化がかなった気がするのだ。
そして、そのバンド名を店や雑誌、そしてネットで見かけると、どんなことがあったのかなと思い、つい見てしまうようになるのだ。
ゆえに、こういう試みは絶対に大事と思うのだ。
そういう試みを、EUROPEにもしてほしいのだ。
一度、それを86年に行い、見事成功したのだから。
そんな思いを持っているのだ。
今回はこれにて終了したい。
●以下、ジョンのキャリアを俯瞰するに最適なベスト盤を紹介したい。
↓
●以下のサイトでも取り扱っています。
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タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。