先日、KISSの84年のオフィシャルライヴCDを聴いていたら懐かしくなって、84年当時の最新アルバムだった『ANIMALIZE』を取り出して聴いてしまった。
やはり、こういう行動につながるから、人気を維持したいと思ったら、スタジオアルバムであろうが、ライヴアルバムであろうが, なんでもいいから、リリースし続けることが大事なのがわかった。
それはおいておいて…(笑)、この『ANIMALIZE』(下写真)を聴いた時にイメージしたことを書きたい衝動に駆られたのだ。
その内容は以下だ。
このアルバムは、作曲能力も上がっており、演奏力もかなり高く、そしてプロダクションのレベルも非常に出来の良いアルバム、ということだ。
全然つまらない…(笑)、いや、それだけでなく、他のハードロックバンドの先駆を切ったアルバムであるということを発見したのだ。
ドたまを飾る“I've Had Enough”はWHITESNAKEの『WHITESNAKE 87'』(下写真)収録の“Bad Boys”のギターイントロをすぐさま思い起してしまうフレーズを持っているのだ。
その“Bad Boys”をデヴィッド.カヴァーデールが作るときにインスパイヤされたのは間違いないだろう。
どのアーティストのどの曲を参考にしましたかと尋ねられても、いまデヴィッドは答えられないだろう。
そういった極小なことについては、メモを取っていたり、記憶しているパターンは皆無だからだ。
しかも、35年以上も前の作品については。
そして、6曲目の“Under The Gun”は、MOTLEY CRUEの『TOO FAST FOR LOVE』(下写真)収録の“Live Wire”からインスパイヤを受けた曲なのがわかる。
やはり、先発バンド後発バンド関係なく、バンドは互いに影響を与え、そして与えられてミュージシャンを続けていられる、ということだ。
●“Heaven’s On Fire” 『ANIMALIZE』収録
しかし、この『ANIMALIZE』は全米100万枚のセールで終わった。
後述するが、WHITESNAKEにしろ、MOTLEY CRUEにしろ、RATTにしろ、それを上まわるマルチプラチナムを獲得したのだった。
MOTLEY CRUEやRATTのアルバム作品は、『ANIMALIZE』よりも、断然粗削りな出来だったにもかかわらずである。
それは、まだキャリアがこれらのバンドは浅かったという事情は百も承知だ。
周知の通り、80年代はハードロックの全盛期だった。
80年代初期に、そのハードロックバンドの体現していたミュージックは、ロックともつかない、メタル寄りの音を出していたのだ。
それは頷けるだろう。
もともとハードロックはメタルが進化してできたのだから。
そういう音を体現していたバンドの1つがKISSだったし、そういう案配のミュージックを体現するバンドが多くの人々の心を捉えていた。
ゆえに、MOTLEY CRUEやRATTの様なメタルの変化したハードロックを体現していたバンドがマルチプラチナムを挙げれることに成功したのだった。
84年にRATTが出した『OUT OF THE CELLAR』(下写真)は全米だけで300万枚に迫るヒットを出したのだ(現在では500万枚を売った)。
そしてMOTLEY CRUEの『SHOUT AT THE DEVIL』もプラチナを獲得し、このアルバムは97年の時点で400万枚を売る結果になった。
こういうメタル然としたバンドがもてはやされていた時代においてBON JOVIはちょっとへヴィネスに中途半端さが目に付いていた。
それが、84年のデビュー作がゴールドに一歩届かずに終わってしまった理由に思えてならない。
その他、QUIET RIOTが83年に出した『METAL HEALTH』が全米500万枚を売った。
同じこの年にDEF LEPPARDの『PYROMANIA』が全米だけで1000万枚を売り、次の『HYSTERIA』は1300万枚を売った。
86年にデビューしたCINDERELLAは、そのデビュー作である『NIGHT SONGS』(下写真)を全米300万枚を売り、次の『LONG COLD WINTER』も300万枚を売った。
同じ年にデビューしたPOISONも、そのデビュー作である『LOOK WHAT THE CAT DRUGGED IN』を全米で300万枚を売り、次の『OPEN UP AND SAY…AHH!』(下写真)は500万枚を売った。
87年にデビューしたGUNS N' ROSESはそのデビュー作『APPETITE FOR DESTRUCTION』を全米だけで1000万枚を売ることになり、今ではその数1800万枚だという。
それまでアメリカでは芳しい結果を残せなかったWHITESNAKEも87年の『WHITESNAKE』で見事復活し、これを800万枚を売る結果に結びつけた。
またMOTLEY CRUEは、87年発表の『GIRLS,GIRLS,GIRLS』をリリースから2年間だけで400万枚を売り、次の『Dr.FEELGOOD』はさらに上回る700万枚を売った。
そして、89年にデビューしたSKID ROWはそのデビュー作である『SKID ROW』をいきなり500万枚を売り、次の『SLAVE TO THE GRIND』(下写真)が全米初登場1位を獲得し、これも300万枚を売った。
このように、ハードロックバンドのアルバムは、かなりのセールスをあげていたのだ。
この現象をみれば「ハードロックブームは永遠に続くだろう!」と誰しも希望を持ったに違いない。
そんな期待を胸に抱いていたのは私も一緒だったのだ。
しかし、91年のあのMETALLICAの『METALLICA』アルバム(下写真)によって、メタルやハードロックの世界的様相が一変し、どのバンドもあのアルバムを模倣するようになり、空前のメタルブームが起き、あのアルバムの特徴である、ヘヴィでミドルテンポの曲中心の曲を量産するようになったということだ。
あのアルバムは世界で2000万枚以上を売ったのだった。
こういう大ヒットが、音楽シーンを一変させる威力を秘めていたのだ。
あのアルバムからグランジブームが発生したのは周知の通りだが、あのグランジブームの中、その要素をKISSも取り入れた。
それが『CARNIVAL OF SOULS』(下写真)だ。
これはKISSの持ち味をほとんど活かすことができなかった失敗作だったという認識だがどうだろうか?
こういった空前のメタルブームによって、多くのハードロックバンドが苦境に立たされていった。
そして、メタルフェスが開催されて、そこに参加するも、メタルバンドに水をあけられていたのは否めなかった。
80年代のハードロックブームの間では、メタルバンドは全然セールスをあげれなかったし、METALLICAをはじめ、MEGADETH、SLAYER、ANTHRAXといったいわゆるビッグ4といったバンドを中心にしたバンドだけがかろうじてゴールドやプラチナをあげれただけで終わっていたのだ。
いま、ハードロックフェスという主旨のフェスなるものはほとんど開催されず、メタルフェスばかり開催されるのであれば、ハードロックバンドは立つ瀬はどんどん狭まっていく。
このような様相を呈するようになるとは、80年代に予想した人はいなかったに違いない。
その空前のラウドのブームにおいて、この音楽の始祖はどのバンドかという白羽の矢が立ち、自然とオジー.オズボーン擁するBLACK SABBATHということになり、このバンドのオリジナルメンバーでの復活がかなったのだった。
80年代において、それがかなったとは到底思えない。
96年の『MONSTERS OF ROCK』でのセカンドビルでの参加を最後に、OZZY OSBOURNEやBLACK SABBATHは世界中のフェスでトリを務めることになったのだった。
その時のトリを務めたのがKISSだったのは意味深長だった。
勿論、OZZY OSBOURNEは、80年代においてもフェスにおいてトリになることはあったが、それでも時折、セカンドビルやサードビルで参戦することしばしばだったのだ、空前のハードロックブームだったゆえに。
しかし、90年代後半からは様相が一変した。
こういう地位を得れたのは、ひとえにMETALLICAのお陰ゆえに、私はオジーやBLACK SABBATHのギタリストであるトニー.アイオミはMETALLICAに重々感謝すべきだと思うのだがどうだろうか?
こじつけ過ぎだろうか?
そんなことはないだろう!(笑)
そんな中、KISSはどうだったか?
98年にふたたびメイクをしてライヴをおこないだし、スタジオアルバムも出した。
そこで演奏される音は、やはりメタルブームからの影響もそこそこあるものだったが、それほど入れすぎるということはなかった案配の良さが印象に残ったアルバムだった。
それが『PSYCHO CIRCUS』(下写真)だ。
私としては、初期のメイク時代よりも、ノーメイク時代の時代の方がアルバム内における佳曲の数が多いので好印象だったのだ。
しかし、メイクをしてしまえば、メイク時代の曲を多く演るに決まっている。
それで、KISSは縁遠くなってしまったのだった。
メイクをして壮大な演出を施したパフォーマンスをすれば、当然チケット代は上乗せされて高くなり、ますます縁遠くなってしまったのだった。
そのメイクによるパフォーマンスのゆえか、あるいは長いキャリアゆえか、あるいはマルチプラチナムでなく、単なるプラチナでも着実に佳作アルバムを量産してきたせいゆえか、KISSもいろんなフェスでトリを務め続けている。
先に、80年代において多くの活躍を見せてきた後発のハードロックバンドのマルチプラチナムの例を傍目にKISSはプラチナを連発するだけだった。
今でこそ、この界の大御所になったKISSではあるが、最高売り上げは、『DESTROYER』の200万枚が最高なのだ。
100万枚やゴールドを着実に連発し続けていただけだったのだ。
ことはJUDAS PRIESTに事情は似ている。
このバンドも今は大御所ではあるが、全米での最高記録は『SCREAMING FOR VENGEANCE』の200万枚が最高なのだ。
しかし、ゴールドやプラチナを着実に連発していたのが、功を奏し、今の地位を築くに至ったのだ。 数年間だけの短い期間だけでマルチプラチナを獲得するよりも、10年以上の長きに渡ってゴールドやプラチナを連発する方が高い地位を獲得するには有利、ということをこの2バンドは体現してくれている。
90年のKISSとWHITESNAKEは全米でのツアー日程が重なっていたこともあり、この2バンドは日によって出演順を入れ替えてギグをしていたことがあったが、今ではそんなことは無理だろう。
もしやったら、KISSが後順になるに決まっている。
また、300万枚以上のマルチプラチナを獲得したこともあるQUEENSRYCHEやWHITESNAKEだが、このバンドは最近ではJUDAS PRIESTに後塵を拝し続けている。
しかし、そんなに大ヒットを出していないにもかかわらず、KISSがMOTLEY CRUEやDEF LEPPARDの後順で演るというのは、何か訝し気な気もするのだがどうだろうか?
やはり先発バンドということで、大目に見られていたのだろうか?
KISSがMOTLEY CRUEやDEF LEPPARDの後順で演っていたのは調べればたくさん出てくるから興味深い。
あるいはあのメイクによるライヴパフォーマンスゆえに、アルバムの売れた枚数から割り出した数よりも多くの観客数を見積もった結果なのだろうか?
あるいは、売れた枚数ではなく、ヒットを飛ばしてきた年数の方が重視されるからなのだろうか?
よくわからないのだ、この業界については…。
ならば、デビュー作で500万枚、セカンドアルバムで300万枚を売ったSKID ROWの方が先順になってサポートをするという計画が現実味を帯びてくる(実際、その計画を実行に移すかどうかでSKID ROWのメンバー間でいざこざができて、バズはこのバンドをクビになった)。
来日公演がシンガーの脱退によって取りやめになってしまったSKID ROWとは裏腹に、その元シンガーだったセバスチャン.バックのニューアルバムの告知がなされていたがゆえに、そんなことをまで重ねて考えてしまったのだ。
このようなことを、脳内の観念を増幅させて、論理を巡らせる要因になったのはほかならぬ『ANIMALIZE』に他ならない。
このアルバムは、大ヒットを記録した他のハードロックバンドのアルバムよりも、アルバムの完成度も演奏力も高いにもかかわらず、プラチナだけで終わってしまった。
この年(84年)にリリースされたRATTの『OUT OF THE CELLAR』にしろ、MOTLEY CRUEの『SHOUT AT THE DEVIL』にしろ、音のプロダクションが生々しく、そして初々しくて完成度は高くない(ただし演奏力は高い)。
その他、粗削りであるにもかかわらず、KISSの当時の成功を上回っていたバンドは多く散見する。
それは当然だろう、それぞれのメンバーの人生初あるいは2作目のレコーディングだったのだから、それを指摘しても仕方ないだろうが、ここではあえて指摘しておきたい。
それはひとえに、KISSがアルバムリリースを重ねてきたベテランバンドであったという哀しい運命ゆえだったのだ。
それゆえにこのセールで終わってしまったのはなんとも皮肉だ。
もし、もっとアルバムリリースが少なければ、もっとセールをあげれていたことは間違いない。
曲作りや演奏のレベルはかなり高いのだから。
●“Thrill In The Night” 『ANIMALIZE』収録
私は、メイク時代よりもノーメイク時代のKISSの方が好きだ。
アルバム内に占める佳曲の数がこちらの方が全然多いからだ。
しかるにこの『ANIMALIZE』も当然、人様に自信もって勧めたいアルバムだ。
「これまでこのバンドのアルバムは買ってきたから、このアルバムはいいや。」と思って、買わず、聴かないでいたメタルファンは、いまこそこのアルバムを虚心に聴くべきだろう。
そんな出来なのだ。
●興味持った人は聴くのがいいだろう。
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
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