3月9日に赤羽ReNYに足を運んだ。
ANAAL NATHRAKHとSAMAELのダブルヘッドライナーのライヴを観るためである。
この2つのバンドの他に、前座として日本.大阪のブラックメタルバンドであるCATAPLEXYが出演することになった。
ANAAL NATHRAKHが後順になることは明白だった。
キャリアも長いし、知名度も高かったからだ。
この会場はビルの2階にあるが、この時来ていた観客をみると若干びっくりした20代の人が多いし、メインは30代前後の人が大半だったからだ。
90年代後半から活動していたANAAL NATHRAKHゆえに、メインの観衆は40代中盤から後半の人になると思ったからだ。
しかし、この会場は大きいとは言えない500人から1000人くらいを収容するクラブ会場だ。
私がメインで見に来たのはANAAL NATHRAKHだ。
このバンドの2018年の『A NEW KIND OF HORROR』のアルバムレビューが『BURRN!』でなされていて、その内容を読むにかなり出来がよく、完成度も高いのがわかったのだ。
『A NEW KIND OF HORROR』
それだけを依拠して買って聴いても実際に良いかどうかは保証のしようがないし、危険ではあるが、実際に買って聴いたが、よかった。
いや良かったどころの話しではなかったのだ。
ヘヴィさの度合いは半端なく、ギターやドラムの切り刻むリフもかなり速くてヘヴィ、曲の構成の素晴らしさ、展開の妙、ドラマ性のスリリングさ、どれをとっても文句のつけようがない作品だったのだ。
“Obscene as Cancer” 『A NEW KIND OF HORROR』収録
これに味をしめた私は、何か月かはかかったが、このバンドの作品は全て集めたのだ。
こういう経験をした人は、多くいると思うが、それでも5つ以上のアーティストでは経験したことはないだろう。
やはりヘヴィメタルたるもの、ヘヴィさは信条でなければ話しにならないと思う。
これが中途半端だと、気怠くなり、聴いているのが億劫になり、いつしかそのアルバムには疎遠になり、そして中古盤屋に売るということを繰り返してきたのだ私は。
SLAYERしかり、MEGADETHしかり、その他いろんなヘヴィメタルアーティストしかりだ。
これらのバンドは良いアルバムは当然ある。
そのよいアルバムの姿勢を終始維持してくれていればファンになり、そのアルバムを買い続けたことは間違いないが、そうならなかったのは、ひとえにそれが維持されていなかったからだ。
しかし、ことANAAL NATHRAKHにおいては、それがなされているのだ、デビューから最近のアルバムまで。
ANAAL NATHRAKH
いろんな音楽ジャンルを包摂したバンドではあるが、その1つはブラックメタルということは間違いない。
そのブラックメタルバンドは概してスピードを武器にしているのは間違いない。
そのブラックメタルは、金切声のヴォーカルをメインにして、ヘヴィさもあり、ドラマ性を有するのが、その性質からして必然になる。
そういう音楽をしていくためには、バンドのヴォーカリストや他のすべてのミュージシャンに並々ならぬ技量がなくては体現できた話しではない。
ブラックメタルバンドでありながら、そういう曲を脳内に描きながらも、実際に演奏するとレベルの低いモノになったり、音のプロダクションが悪くて聴き手を落胆させてしまうパターンをいくつも私は見てきた。
しかし、ことこのANAAL NATHRAKHについては、そういった面を全然持ち合わせなく、かなりレベルの高い作曲力と演奏力と、プロダクション力を持っているのだ。
そうなれば必然的に佳作アルバムだけが続くことになる。
そんな素晴らしい要素を持ち合わせているバンドにもかかわらず、ここ日本でも、そんな大きな人気を得ているとはいいがたい。
このバンドの前に2つのバンドが演奏するにもかかわらず、この規模の会場とは…と彼らの熱烈なファンは訝しげに思ってはいないだろうか?
私は落胆してしまう。
もっともっともっともっともっと人気を博せてもおかしくはない(笑)
これだけのレベルのアルバムを量産してきたバンドゆえに。
MEGADETH(下写真)の初の日本武道館公演が昨年の初め頃に実現した。
このバンドは80年代の後半から知っているし、アルバムもいくつか聴いてきた。
しかし、永続して所持していきたいと思って所持しているのは、唯一『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』のみになってしまった。
長年知ってきたバンドだし、初の武道館公演だから、この公演に行こうか迷ったが、結局行かないことにした。
私から言わせれば、佳曲が少ないし、ヘヴィさも希薄になり、スピディな曲も減少している。
それでは、感動できないだろう。
そうなってしまうライヴに12000円もの大金を出すのは気が引けるし、感動できなかったらお金が無駄になってしまう。
その判断は間違っていなかった。
『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』
この武道館公演はWOWOWで放映され、その模様はハードディスクに保存されているが、最後まで鑑賞したのはただの1度だけだ。
逆に同時期に来日公演が決定したEMEPERORのライヴ告知をみたら、すぐさま行くことを決めた。
熟考に熟考を重ねていくことを決めたアーティストではよくないことになるのは目に見えている。
このEMPERORのライヴは今でも印象に残っていて、この模様を収めたライヴ映像が販売されないかと期待が止まらないし、ブートでも出ていてくれればいいのだが、それがないのだ(笑)。
やはり、このEMPERORとANAAL NATHRAKHとCRADLE OF FILTHこそが、私の中での3大ブラックメタルバンドなのだ。
これらのバンドが他のバンドの追随を許さない程のレベルの高い作曲力、構成力、演奏力を備えた天才集団と断言したいのだ。
そのことは私だけの誇張ではなく、このいずれのバンドでもいい。
アルバムをランダムに選んで、1曲でもいいから聴いてみるのがいい。
すぐさま、そのレベルの高さを体感するに違いない。
MEGADETHやSLAYERに不満を持っていたヘヴィメタルファンの心を一掃してくれるに違いない。
そんな出来にもかかわらず、こんな小さな会場でしかできないとは信じれないのだ。
その理由を思索してもしょうがないかもしれないが、1つだけ理由をあげるとすれば、やはりデビューのタイミングだろう。
MEGADETHやSLAYERは80年代の初期にデビューした。
そのころであれば、ヘヴィメタルの依って立つ余は大きなものだったが、現在に至っては、いろんなバンドが林立しすぎていて、その余地が非常に小さいのだ。
人間だれしも、最初に味わったものの方が重宝してしまう、要するに保守的なのだ。
その最初に接したバンドよりも、演奏力もあり、作曲力もあり、プロダクションも上とはわかっていながら、後に知ったバンドの方が軽んじてしまうのは、そういう理由になるのだろう。
リッチー.ブラックモアがプレイが下手で、イングヴェイ.マルムスティーンの方がテクでは断然上なのがわかっていながら、リッチーの方に心のバイアスが傾いてしまうのはそういうことも理由になっているのだ。
MEGADETHやSLAYERよりもANAAL NATHRAKHの方が実力で上とはわかっていながらも、そちらにばかり気がいってしまい、なかなか是正はされないのだ。
EMPERORとANAAL NATHRAKHとCRADLE OF FILTHこそが、3大ブラックメタルバンドではあるが、ことEMPERORだけが先を行っている。
このバンドは、巨大メタルフェスではトリかセカンドビルが当然だし、最近の来日公演でも1500人擁するホール会場で単独公演をおこなった。
アルバム.ノーリリースにもかかわらず。
しかし、ANAAL NATHRAKHとCRADLE OF FILTHは来日公演をおこなっても、小さなクラブでしかできないのは遺憾としか言いようがない。
今回も、前回も、そのまた前においても。
もっと私も情報発信して、このバンドの良さを多くの人間に認識してもらわねばならない。
そんなことを考えていると、CATAPLEXY(下写真)の登場になった。
このバンドは、おどろおどろしいメイクをして、初期EMPERORを彷彿とさせる。
演奏のレベルは並以上だが、取り立てて感動はなかった。
差別化がなされている点は、観客から見て右端のベースプレイヤーは、死神の様なコスをしていて注目してみた それと、曲と曲の間が短いのか、つながっているのかの判断のしかたが微妙なところだったがゆえに、持ち時間の30分があっという間に終わってしまったところだ。
このバンドをこれから先、支持するか、アルバムが廉価販売されていたら買うかどうかは保証のしようがないのが正直なところだ。
30分くらいの休憩をはさんで、SAMAELが登場した。
今はYouTubeでバンドの演奏を聴いてからCDを買うことができるようになり、無駄な金を使わないで済む時代だ。
このライヴにあたり、このバンドをそこでチェックしたが、あまり印象に残った曲はなかった。
しかし、実際にそのライヴを聴くと、かなりいい出来の曲とレベルの高い演奏をすることが出来るバンドであることがわかった。
あの動画で見た曲だけがはずれだったのだ。
その演奏の重厚さには、すぐに意識がピンとなり、聴きいらざるを得ない品位を備えたバンドなのだ。
メンバーの誰もが精悍で実直な顔をしている。
その顔をみれば、どのようなモラルの人か、どんな音楽を体現するのかがわかるのだ。
ふにゃふにゃした人格のバンドであれば、私は聴かないことにしているのだ。
実際はそんな人格ではないことは一目瞭然だし、私の好むところだ。
ステージの後ろには、このバンドのロゴが映し出されて、そこから光が発出されたり、廻ったり、宇宙空間の映像に切り替わり、そこからまた龍のアイテムが出て、それが回転したり、横に恍惚とした線が出現してそれが光を発したりと、まるで映画のサイバー空間に放り込まれた錯覚に陥ったのだった。
この映像の様子を見て、昨年の『LOUD PARK』に出演したNIGHTWISHのステージを思い出した。
このバンドは、かなり壮大なスケールを有した映像を、左右両方のスクリーンに映し出しながら、演奏を披露するバンドなのだ。
その映像のモチーフと歌詞の世界観が見事に溶け込みながら曲が進行していく様子を見て、このバンドのメイン作曲者であるトーマス.ホロパイネン(下写真)の天才性いや超天才性には感服せざるを得なかったのだ。
それとほぼ同じ天才性を有したこのバンドのメインソングライターであり、シンガーであるVorphには敬服せざるを得ない。
そのバックに出ているオブジェの多くは、現代のデザインやデジタルをモチーフにしたものが多い。
そしてそこから想起される概念は、やはりムービーだ。
そう、このバンドのメンバーの顔をみると、精悍であるが同時に映画クリエイターといういで立ちを感じるのは私だけであろうか。
そういうクリエイティブな面を持ち合わせた人物には好感が持てる私なのだ。
こういう映像をも武器にしながらライヴを進行しているこのバンドは、先のNIGHTWISHの前座としてライヴをしたら、かなり受けがいいだろう。
そして、このような小さな会場でなくて、『LOUD PARK』のようにもっと大きなアリーナレベルの会場でした方が、その良さを増幅させることは間違いないのだ。
しかし、メンバーはヴォーカル、ギター、ベース、シンセサイザーの4人組であるが、その4人ともが前から後ろに髪が後退してしてしまっている(苦笑)。
これは、生まれつき男性ホルモンが多いことがメインの原因としてこうなってしまうのだから、本人の心がけや生活習慣だけが起因して起こるものではないので、そういう場合は、ミノキシジルとプロペシアを服用しないことにはどんどん薄毛は進行してしまうのだ。
つむじからくる薄毛よりも、前髪からくる薄毛の方が進行は断然早いのだ。 しかも、はげ切ってしまったら、もうそれらを服用しても遅く、元には戻らない。
4人は、そのことにどう思っているのだろうか?
話しが逸れてしまった(笑)。
しかし、このバンドにはドラムがいないゆえに、打ち込みを採用しているのだろう。
そういうライヴを体験したのはこれが初めてだ。
そういった映像のクリエイティヴ性だけでなく、演奏のレベルの高さや重厚さにも注目せざるを得ない。
ツインギターであるが、先に出演したCATAPLEXYもツインギターだったが、そういう重厚な味を感じれなかった。
音量の問題でもないのだ。
やはり、音楽を演奏していくうちに身に着けられる性質のものなのだ。
それゆえに、そういう味を直に最大限に感じれる場としてライヴは必須なのだ。
そして繰り出すリフにしろ、やはりベテランらしい味が、そこかしこに感じれる。
何年も作曲を重ねて、リフを何度も演奏してできる円熟味を帯びた作曲や演奏というのは、聴いてすぐにわかる性質を持っている。
そんな味がこのバンドからはふつふつと迫りくる気迫をもって聴き手を圧倒するのだ。
時おりエクセントリックなリフが出てくるが、それが単なる奇異にしか感じれない代物になってしまうか、曲にマッチするかどうかもミュージシャンの力量に懸かっている。
それがかなっていたので、やはりそこも特筆すべき点であろうと思う。
映像をもバンドの武器の1つとしながら、重厚な演奏に、エキセントリックでありながら、曲進行にマッチしながら聴き手を終始惹かずにはいないモノを持っている、このSAMAELというバンドを知ったのは、かなりの収穫だった。
聴きいってしまう理由は、このバンドはスイス出身ではあるが、シンガー兼ギターであるVorphが作詞作曲の殆どを手掛けているからだろう。
出身国が英語圏かそうでないかは全然関係ない。
シンガーが作詞をするかどうかで感動するかどうかが決まるのだ。
逆に、英語圏出身であっても、シンガーが作詞をしない、あるいはバンド内の事情でできないTHUNDERやDANGER DANGERは、良い曲とは思うも感動をよび起さないので聴かなくなって疎遠になってしまってここまできたのだ。
一度そのバンドが好きになったら、そのバンドのロゴが異様にカッコよく思えるようになるのだ。
雑誌やCD屋において、そのすきになったバンドのロゴをみると心の食指が動くようになってしまう。
このバンドのライヴが終わるころになると、ステージバックに映されたこのバンドのロゴに好感を持つようになった自分に気づいた。
そして、帰宅後このバンドのアイテムをHMVでチェックして、早速発注してしまったのだ3つも。
早く着いてほしいし、聴きたいところだ。
そしてそのレビューを書きたいのだブログで。
最後の曲において、ドラム音が続きながら徐々にフェイドアウトしていく演出を施してメンバーがステージから退出していった。
こういう演出で、ノルウェーのCIRCUS MAXIMUSが『LOUD PARK 12』で同じ演出をみせたことを思い出した。
どうもスカンジナヴィア出身のバンドは、こういうことがお得意なパターンが多いようだ。
こういう演出は大好きなので大歓迎だ。
SAMAELはもちろん、CIRCUS MAXIMUSにも、またここ日本に来てライヴをおこなってほしいものだ。
※SAMAELの最新アルバムは以下!
ライヴが終了して、次のステージセットにクルーが取り掛かっている。
私が、観ていた場所は、ステージ直前のフロアよりも一段上になっているところの最前列にいた。
しかし、ここから動くわけにはいかない。
メインのANAAL NATHRAKHの時間が迫ってくると人が多くなり、そこをどいたら、背が低い私はライヴが見えにくい場所に移らなければならないからだ。
動かずに、そこに留まる…非常に足の疲れることになるのだ(笑)。
指定席のある中級ホールであればそんなことはないのだ…移動して体操したり背伸びできるのだし。
そしてメインのANAAL NATHRAKHの登場だ。
やはりメインゆえか、先のSAMAELも反応が良かったが、それよりも好反応だ!
すぐにステージ前にモッシュピットができる。
こんな狭い会場で…と思ったがそれほど大きくはないから杞憂に終わった。
それに加え、ステージにダイブしてクルーから観客フロアに戻される人が何人もあった(笑)
普通は、こんなことがあったらライヴは中止になるのが通常なのだが…(笑)
肝心のANAAL NATHRAKHのライヴだが、期待を裏切らない素晴らしいものだった。
このバンドの演奏も、円熟味があり、ベテランにしか出せない味があるのだ。
それにこのバンド特有のフレーズと、畳みかけるドラミングのフレーズも聴いてすぐさま、このバンドとわかるアイデンティティがあるのだ。
そのアイデンティティは単なる特有というだけではダメで、人を惹きつかせて、その心を鷲掴みにしないことには存立意味がないのだ。
この特徴あるドラミングは、まさにグラインドコア的なものだ。
このバンドのウィキペディアのジャンル欄には、グランドコアという文字が書かれている。
やはり、どのバンドも、自分の確固たるジャンルを堅持しているが、その音楽性を維持しつけるかどうかは、アーティスト側の意向や匙加減に依るのだ。
1つのジャンルの音楽性だけでバンドを維持するのは不可能だし、自分がいいと思ったり、時代の要請で他のジャンルの要素を取り入れるのは必然なのだ。
その結果、いい音楽ができればそれでいいし、駄作に堕してしまったら、それを批判しなければならない。
しかし、こと批判する要素はこのバンドには見当たらないのだ、出来が良すぎるゆえに。
やはりこのバンドはブラックメタルを基調としながらも、いろんな要素を採取して盛っているのだ。
純粋なブラックメタルバンドはないし、純粋なグラインドコアバンドもないのだ。
やはりいろんな音楽的要素を取り入れて、バンドの音楽は進化し、深化していくのだ。
88年の『ヤングギター』の某号で、METALLICAの特集が組まれていたが、そこには「スラッシュキング、METALLICA!」と書かれているのだ(苦笑)。
今のMETALLICAをスラッシュメタルバンドと認識する人がいるだろうか?
おそらくいないだろことは間違いない。
METALLICA
ANAAL NATHRAKHのステージも、先のSAMAELと同じく、ステージのバックに映像が流れていた。
それは主にモノクロ映像ゆえに、このバンドの歌詞のモチーフを見事に映し出すのに成功している。
古代中東の某都市において、SLIPKNOT然とした仮面を着けた囚人らしき装束の群れが出てきた映画のような映像が印象に残っている。
また、原水爆の爆発映像を空から映し出した映像や、科学実験の映像も映し出されていた。
こういう人類史の暗黒の内容についてメインに歌ったのがブラックメタルの例として多い。
ホラーや戦争といった部分である。
それを歌い上げるには、スピーディでヘヴィで、金切り声でシャウトし続けることで、その感情を巧みに表現することができるのは間違いない。
しかし、先にも書いたように、こういう音楽を体現するには、ミュージシャン側に、かなりの力量がなくては話しにならないが、それを悠然とこなしているANAAL NATHRAKHには敬服する、いや敬服せざるを得ない。
しかし、このバンドも薄毛の人間が多い。
シンガーのデイヴ.ハントも、ギタリストもベーシストも同様に前髪から後ろに薄毛部分が広がっている。
デイヴの年齢はウィキペディアには書いていないが、50を超えているだろう。
その他のメンバーも。 スウェーデンのMESHUGGAHのシンガーであるイェンス.キッドマン(下写真.真ん中)もこのように薄毛だ。
このバンドと同じくANAAL NATHRAKHもエクストリームなミュージックを体現しているのも同じだ…だからどうしたのか?
どうもしてない(笑)。
私がこのバンドにぞっこんになるきっかけになったアルバムは『A NEW KIND OF HORROR』だが、このアルバム収録の“Obscene as Cancer”はその中でもかなり秀逸だ。
そのライヴの模様をYouTubeで見たことがあるが、それは隠し撮りだった。
その映像は、かなりプロダクションの調整ができていなかったようで、アルバムの音からはかなり隔たってしまい落胆の度合いは半端なかった。
やはり、ライヴではその音の調整を綿密に施さないことには、そのバンドの良さを活かすことはできないのだ。 録画をしても、音の調整を施さない限りは、聴けない代物になってしまうのだ。
サウンドボードで録音したからといって、いい出来になるとは限らない。
どの程度、どのようにするかは、そのバンドによって変わってくるのだ。
その“Obscene as Cancer”は今回のステージでおこなわれたが、良い出来だった。
アルバムでの緊張感がほぼそのまま体感できる感じだった。
やはり隠し撮り映像の音響と、ライヴの音響とでは違うのがわかった。
やはり、このバンドの良さを活かした映像モノを作るためには、そのバンドの音楽の内情を知り尽くしたプロデューサーを起用するほかないのだ。
それを生で体感できた私は幸運だった。
このバンドの曲は終始、佳曲だなあと感じれる代物だ。
感動のうちに最後の曲が終わった。
もっと出来るのだろうが、デイヴが腕時計をみながら、「2 more songs!」などと言って曲数を調整していた。
しかし、しつこいがこのバンドの人気の度合いはいまいちだ。
もっと多くの人に認識してもらえたら、いいのにといつも思ってしまう。
『LOUD PARK』のように多くの人が来るイベントにでも来れば、またそれは変わってくるだろう。
このような素晴らしい力量があるにもかかわらず、この人気は過小評価も甚だしい。
興味出た人は、まず以下の最新アルバムからチェックするのがいいだろうと思う。
エクストリームメタル、ブラックメタル、スピードメタル、グラインドコアといったジャンルを有し、かなりそれらを突き詰めた音楽を体現しているのがこのバンドで、佳曲ばかりあるということを認識してもらえたら、これに勝る喜びはない。
※ANAAL NATHRAKHの最新アルバムは以下!
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
♯ANAAL NATHRAKH
♯SAMAEL
♯赤羽ReNY