ことHR/ HMに関しても、雑誌や本などを通して情報摂取していくと、共通する事項や連関する事項があるのに気づく。
それをしていくとどうしてか私は、こういう場でそのことを書いてみたい衝動に駆られるのだ。
今回は、CRADLE OF FILTH,EMPEROR、IRON MAIDEN、 BATHORYを絡めて知的な遊戯を試みた。
興味ある方は読んでもらいたい。
CRADLE OF FILTHは98年に『CRUELTY AND BEAST』というコンセプトアルバムを発表した。
これは、1560年生まれのバートリ・エルジェーベトというハンガリー王国の女性貴族をモチーフにしたものだ。
バートリ・エルジェーベト
そのバートリは、処女を殺し、その生き血をためて作った風呂に入ることで永遠の若さを保てるという迷信を信じて、それを実行に移したのだという。
それゆえに、その『CRUELTY AND BEASTS』のアルバムカバーは、バートリが血の浴槽に浸かっている絵になっている。
『CRUELTY AND BEASTS』
どうしてそんな残虐なことができたのかと誰しもすぐさま思うが、これはバートリの血族間関係をつぶさに調べていくとわかったのだろう。
それは一族が財産及び権力を保つ為に血族結婚を繰り返してきた影響だという研究結果が出ている。
このバートリ以外のいろんな精神異常者の家族関係を調べていくうちに共通事項が判明したのだろう。
血縁の近い間柄での相姦や近親相姦を繰り返してきた親族には精神異常者が出現する、ということを。
それゆえに、この精神医学や歴史学が現代の立法にも生かされ、血縁の近い間柄での相姦や近親相姦は違法、あるいは犯罪という決定がなされたのだ。
こういう事象をつぶさに見ていくこともまた興味深いことである。
そのバートリをヒロインにしたノンフィクション映画も放映されたようだ。
その題名はシンプルに『BATHORY』というのもあるし、『COUNTESS DRACULA』や『THE COUNTESS』など、この人について扱った映画は複数あるようだ。
興味ある人は、映画ソフトになっているので見てみるのがいいだろう。
そのバートリの名をバンド名にしたのがノルウェイのブラックメタルバンドであるBATHORYに他ならない。
その由来のバートリは、処女たちを殺す際に、以下の道具を使ったのだ。
それが、かの有名なIRON MAIDENである。
これは、日本語訳では「鋼鉄の処女」ということになっているが、私はこれを知った時から不思議だった。
MAIDENは普通に訳せば、「女」ということになっている。
「処女」ではおかしいだろうということであった。
しかし、バートリ.エリザベートを知って、その生態を調べていってわかったのだ、処女を殺すための道具だったゆえに、処女という名をつけたのだということで納得した。
勿論、メタルバンドのIRON MAIDENは、この道具からきている。
この中に、エリザベートは多くの処女を放り込んで大虐殺をしてきたのだ。
『CRUELTY AND BEASTS』はコンセプトアルバムゆえに、ドラマ性を擁している。
“Thirteen Autumns and a Widow” 『CRUELTY AND BEAST』収録
アルバムは、曲の最初から最後まで関連が付けられている。
ゆえに、中間部分では、その処女たちが大勢殺されて叫ぶシーンがある。
その場面は、暗夜、暗い森の中にたたずむ大きな城の中において、それが決行されているシーンを思い起こす、そういう場面に対峙したことがないのに…まさにデジャヴだ。
ホラー感を最大限に浮き出しにさせた代物だ。
突き詰めたヘヴィさとスピード…私は、ヘヴィメタルバンドには必然的に求めてしまうのだ。
それがないメタルバンドには気怠さを感じて、いつしか縁遠い存在になり、ファンにはなれず、そのCDも中古として売りに出して しまう、という結果になった。
そこで思い起されるのは、SLAYERの『REIGN IN BLOOD』であり、MEGADETHの『PEACE SELLS…BUT、WHO'S BUYING』である。
※『REIGN IN BLOOD』はコチラ!
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Reign in Blood
『PEACE SELLS…BUT、WHO'S BUYING ?』はコチラ!
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Peace Sells But Who's Buying
この2作品は、スラッシュ史上、いやメタル史上最高位に属するアルバムとして、超名盤として位置付けている。
突き詰めたヘヴィさとスピードを有しているのみならず、佳曲だらけなのだ。
しかし、両バンドとも、これ以上の作品を出してくれなかったがゆえに、ファンにはなれなかったのだった。
両バンドとも、その突き詰めたヘヴィさとスピードを失ってしまったのだった。
突き詰めたヘヴィさと、スピード、そしてドラマ性を有する。
これこそが、ヘヴィメタルバンドの音楽として、至高のものはないだろう。
それを体現してくれたものが、ブラックメタルバンドにほかならない。
その代表がノルウェイのEMPERORであろう。
EMPEROR
このバンドは、94年にデビューして、それから4枚のアルバムを出したまま、メンバーが他のバンドをしたり、自分のソロアルバムを出したりと、肝心のバンド活動が希薄という稀有なバンドであるが、出したアルバムはどれも素晴らしい。
どれもがいまだに入手可能だし、今年にもニューアルバムなしにもかかわらず来日公演もおこなった。 その魅力は、その突き詰めたヘヴィさと、スピード、そしてドラマ性を有しているということにある。 肝心のメロディも一級品だ。
このバンドメンバーのバックグランドを調べると興味深い。
メインソングライターであり、シンガーのイーサーンはIRON MAIDENのファンで、幼少のころにIRON MAIDENのライヴを観たし、ノルウェイにIRON MAIDENが来れば、息子を連れて観に行くということだ。
それに、自身のソロアルバムである『TELEMARK』において、IRON MAIDENの“Wratchild”をカバーして収録している。
イーサーン
しかし、私はIRON MAIDENには興味を持てずにいるうちの1人なのだ。
ヘヴィさは希薄だし、スピードも足りない、おまけに耳を惹くメロディもないのだ。
私が、HR/HMを知り始めたころにも当然このバンドは雑誌を賑わせていたし、このバンドの音楽を聴くのは一種の義務のような感じであったので、何枚か中古でLPを買って聴いてみたが、どれも好きになれずに全部売りに出したのだ。
しかし、このバンドが20世紀末までに全世界で売ってきたアルバムとシングルの枚数は1億枚を超しているのだ。
やはり、HM/HRの草創期に人気を博せた運は大きい。
彼らを模倣して、メタルバンドになろうとした例は数知れない。
いろんなライヴマテリアルを観るも、どの国でも、いずれもアリーナやスタジアム以上のキャパで、観客は歓喜している。
しかし、私はノレない。
やはりヘヴィさが足りないし、メロデイにも光るものを感じないのだ。
それでいてギタープレイのテクもいまいち。
IRON MAIDENがデビューして人気を博し始めて、その人気が上場していくときには、あのヘヴィさが世界でも上位の状態だったのだろう。
しかし、その状態だけで平衡状態を保てないのが人間社会の常で、それ以上のレベルに上げていこうという力学が必然と出てしまうのだ。
そういう状態のときに、私がこのバンドを知ったということも大きいだろう。
このバンドのLPを中古で買って聴いたときに感じたのは、ヘヴィさが希薄というのとは別に、メロディが古臭い、ということであった。
しかし、私より前の、IRON MAIDENがデビューして、アルバムを出し続けて活躍を見せたころには、あのヘヴィさが世界最大級で、メロディも同じ事情だったのだろう。
やはりジェネレーションギャップが生じてしまうのも人間社会の常なのだ。
そのIRON MAIDENのデビューからさかのぼること10年以上前に活躍したBLACK SABBATHも事情が一緒なのだ。
やはり当時(60年代)のアルバムは、今きくと非常に古臭くヘヴィさも希薄だ。
それが元で、疎遠になってしまいそうだが、事このバンドがオジー.オズボーンを呼び戻してオリジナルメンバーで復活した98年以降のライヴは、最近の現代的な音のプロデューがなされていて、私が虜になってしまう音楽に様変わりしてしまうのだ。
BLACK SABBATH
BLACK SABBATHの武器の1つであるトニー.アイオミのヘヴィリフは、60年代や70年代の音の技術では、それほど魅力的には聞こえないが、80年代以降の技術をもってすれば、かなり魅力的で耳朶に残ることになるのだ。
こういった魅力ゆえに、98年以降のオリジナルBLACK SABBATHのライヴ映像とくにブートモノは何十回も見てしまったのだ。
60年代に出されたアルバムは一向聴く気が起きないのに、実に不思議だ。
では同じように最近のIRON MAIDENのライヴモノも現代的な音にプロデュースされているがゆえに、みれば感動するだろうと思いきやそうはならず、いろいろ観ても、やはり感動をよび起すことはない。 あのバンドの音楽自体が私の食指に合わないのだ。
ゆえに、これまで買ったIRON MAIDENのブートは、ヤフオクで私の商品を落札してくれた人に全部、無料プレゼントしてきたのだ。
やはり音楽は時代の流れとともに進化する性質を持っている。
EMPERORのイーサーンが影響を多大に受けたIRON MAIDENには突きつめたヘヴィさは希薄だが、イーサーンが自分のバンドをする際には、ヘヴィさとスピードをかなりの程度、加味している。
それであの素晴らしいミュージックが出来上がった。
CRADLE OF FILTHのリーダーであるダニ.フィルスも、IRON MAIDENの影響を受けているのは間違いない。
ダニ.フィルス
あの『CRUELTY AND BEASTS』の2枚組盤のディスク2には、IRON MAIDENの“Hallowed Be Thy Name”のカバーが入っている。
ダニとイーサーン、ともにブラックメタルバンドのシンガーだが、両方ともIRON MAIDENの影響を受けている。
しかし、ともにIRON MAIDENの音楽性からほど遠い音楽を体現している。
私は80年代のBON JOVIは大好きだったが、そのシンガーのジョン.ボン.ジョヴィはブルース.スプリングスティーンからの影響が音楽的にあるということを知った。
しかし、そのブルースには、聴いてみるに、私がなりたいファンとしての要素はなかったのだった。
こういう事情と似ているのだ。
影響を受けた音楽をそっくりそのまま体現するパターンはほぼない、ということだ。
やはり必然的に変化せざるを得ないのだ。
いや、一般化が過ぎるだろうか?
確かに80年代のBON JOVIからはブルース.スプリングスティーンのような音楽性を感じることはないが、90年代半ば以降はBON JOVIの音楽はヘヴィさが希薄になり、ブルースのようなカントリー色が強まっている。
これは、それまでのBON JOVIが、世界中でCDやレコードをミリオン単位で売ってきたがゆえに、時の傾向を慮ることなく、レコード会社からの圧迫もなく自分のやりたい音楽だけをすることができるようになった。
売ってきた後は、自分のやりたいことだけをしている、ということなのだろうか?
それがブルース.スプリングスティーンのような音楽ということなのだろうか?
BON JOVI
しかし、こういうスタンスは私の好むところではない。
やはりHMにしろHRにしろ、基本としてヘヴィさが信条として維持してくれなければ、聴いていても興奮できないからだ。
HMならば、なおさらそうだ。
やはりヘヴィさを維持してくれるアーティストには敬服の念や感謝の念を持たざるを得ないのだ。
そのスタンスを維持してくれているア-ティストは、HMバンドでは、私の場合、ほとんどがブラックメタルバンドになってしまう。
CRADLE OF FILTH、EMPEROR、ANAAL NATHRAKH…このバンドが私の中で孤高の存在なのだ。
突き詰めたヘヴィネスとスピード、そしてドラマを有した曲展開それも素人ではたどり着かないような孤高の作曲力を有している場合、どうしてもファンにならざるを得ないのだ。
必然的になってしまうといった感じだ。
ブラックメタルに食指が必然的に動くようになってしまった私であるが、ブラックメタルならどれでもいいかというとそうではない。
作曲力もさることながら演奏力が突き詰めたヘヴィさとスピードを体現するには、力量がなくてはならないのは言うまでもない。
WATAIN、DARKTHRONE,DARK FUNERAL,ASAGRAUM、そしてノルウェーのBATHORYは、一度買って聴いてみるも力量が伴ってはいなかったがゆえに、すぐさまヤフオクに出して売ってしまったのだった、残念ながら…。
BATHORY
CRADLE OF FILTHはシンガーのダニ.フィルスがイニシアティヴを握っているバンドだ。
彼がほとんどの曲の作詞作曲をおこなっている。
その創り出す世界観の壮大さや展開の妙は半端ないのだ。
このバンドが日本でデビューした97年の『DUSK AND HER EMBRACE』からして驚愕ものだった。
よくぞこれだけのホラーな、しかも壮大なホラー感を展開したドラマティックな曲をこれでもかと書けるなと感服せざるを得なかったのだ。
あれから、26年がたつが、その衝撃は今でも忘れないのだ。
今年の『LOUD PARK』でみたNIGHTWISHのステージングは素晴らしかった。
のみならず、スクリーンに映し出され、そして展開される曲のコンセプトに合わせたアニメーション映像がステージと同時に放映されていたが、その映像の世界観と曲が見事にマッチしていたのだ。
壮大なドラマ性を有した曲を奏でながら、こういう演出を同時にこなしてしまうNIGHTWISHのメンバーたちの演奏力もさることながら、そんな曲をどんどんと書き連ねてしまうこのバンドのメインソングライターであるツオーマス.ホロパイネン(key)の天才性にもっと注目すべきではないのか、とステージをみながら思ったものだが、『BURRN!』等では一切言及されていることがないのが不思議なところだ。
ツオーマス.ホロパイネン
ダニもそういった天才性を有したミュージシャンであることに異論はない。
なのにツオーマス同様、その天才性について雑誌で語られることが一切ないのが非常に不思議なところだ。
巨大スクリーンに映し出されたホラーなブラックメタルのコンセプトのシーンを同時に流すことで、その情景を見ながら、ライヴを鑑賞する客の心を更に高揚させることは間違いない。
CRADLE OF FILTHが『LOUD PARK 17』に参戦した際には、そういう試みはなされなかったが、こういったコンセプトアルバムの完全再現をするのならば、そういうことをしたらさぞ興奮するライヴになることは間違いない。
NIGHTWISHのステージスクリーン『LOUD PARK 23』より
『LOUD PARK 17』の際には、メンバーの演奏を映し出すだけであった。
いや、もとよりCRADLE OF FILTHの音楽そのものは、1曲だけぬき出してもそういうコンセプトを孕んでいるので、そういったコンセプト映像を映しだすことは、アルバム1枚完全再現でなくとも、非常に映えるはずだ。
“ The Twisted Nails of Faith” 『CRUELTY AND BEAST』収録
こういったダニおよびCRADLE OF FILTHの虜になった私は、このバンドのあるアルバムの大半は所有している。
そのアルバムのベスト3を挙げろといわれれば、『DUSK AND HER EMBRACE』『GODSPEED ON DEVIL'S THUNDER』そして『CRUELTY AND BEASTS』を挙げるだろう。
『CRUELTY AND BEASTS』は98年に発表され、2019年にリミックス盤がでた。
その際、アルバムカバーも変化した。
リミックス盤
興味が出た人はそれに触れてみるのもいいだろう。
突き詰めたスピーディさとヘヴィネス、そして限りないドラマティックな曲展開に暴虐性を有し、それでいて演奏レベルは至高の高さを誇るバンド…これはかなり稀有だ。
それを、永続させているからこそ瞠目すべきと自然と思ってしまうバンドは数少ない。
それで、すぐさま列挙してしまうバンドの1つこそはCRADLE OF FILTHである。
その最高傑作の1つを堪能したい方は、『CRUELTY AND BEASTS』を勧めたい。
●以下よりどうぞ!
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●以下のサイトでも取り扱っています。
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タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
♯CRADLE OF FILTH
♯EMPEROR
♯BATHORY
♯IRON MAIDEN
♯CRUELTY AND BEASTS