(コラム)音楽的才能は遺伝がすべて?そんなことはない?

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音楽は人類が創造したもののうちの素晴らしいものの1つであるとすれば、その内奥についての探究については、尽きるところがないだろうと思う。

その作曲作詞の能力はどのような場合によって、その人に備わるのかということを探究していくと、共通することがあるから興味深い!

音楽にとっては作詞は不可欠だ。

それがないインストゥルメンタルというものもロックには存在するが、それはたまに聴くのはいいが、そればかりでは何度も聴きたくなくなるのは自分の場合は明白だ。

作詞は、自分の脳内にある思いや観念を表に表出する行為であるが、それは、単に表出するだけでなく、それが聞いた人が感動できたり、インパクトを与え続けるものでなければ意味がない。

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それは、小説、評論といった形でも同様だ。

その能力はどのようにして、備わるのか?

興味深いことではないだろうか。 そこで思い出すのは、清少納言である。

この人は、枕草子という小学生でも知っているエッセイの作者である。

それが日本3大エッセイの1つであるとされている。



     清少納言


では、その清少納言は誰であろうか?

それは清原 元輔である。

この人は、36歌仙の1人であるとされていて、万葉集の訓読作業や後撰和歌集の編纂に当たったとされている。

そしてもう1人思い起されるのは、吉本ばななである。

この人は随筆、小説、共著すべてを含めると100以上にも上る作品を出している。

山本周五郎賞など7つの賞を獲得している。



   吉本ばなな


そして、この人の父は吉本隆明である。

この人は、評論家でありかつ詩人である。

その著書は120を超えるのだ。

大学教授を30年以上勤めていながら、本を1冊とか2冊しか出さない、あるいは1冊も出さない似非学者に比べてなんと崇高な人かと感心するばかりだ!(笑)

その能力というか脳力が娘に遺伝したのだ。

清少納言吉本ばなな、2人に共通するのは、父から娘に、脳内にある思いや主張や主義を巧みに文章化する能力が遺伝したということである。

しかも、その著作は数多い、ということである。

その他、父親から娘に遺伝するというパターンは、幾多もあるだろうが、ここでは2例だけにしておく。

また、母から息子にというパターンも往々にしてあるだろうが、ここでは不問にしておく。

ここでこのブログの趣旨上、興味あるのは音楽的な才能ということだ。

それはから息子へ、というパターンが私の見聞したことから推察するに多いということである。

その例証を以下していきたい。

まずは、ユルゲン.ブラックモアである。


ユルゲン.ブラックモア


この人は、あのリッチー.ブラックモアの息子である。

その父親に影響されてなのか、ギタリストになったようである。

顔もかなりリッチーに似ている。

その音楽性は、音源が今はまるでないので確認しようがないのだ。

LETTER XJADED HEARTで活躍したマイケル.ボーマンがシンガーを務めたアルバムで、ユルゲンがソロ作をリリースしたと20年以上前にBURRN!でみたが、今はそれを入手することは不可能なようだ。

やはりそれなりに良いならば、いつまでも入手は中古であれ可能なはずだがそれもない。

ということはかなり平凡は出来だったことが予想される。

そして、2008年にジョー.ターナー(vo)やボビー.ロンディネリといった元RAINBOWだったメンバーを集めてOVER THE RAINBOWなるバンドを率いて日本に来日公演をしに来たようだが、それも話題にならず。 リッチ

のバンドだったRAINBOWのカバーがほとんどだったようだが、いまだその内容には不可視の部分が多い。 今もユルゲンは何をしているかわからない。

ウィキペディアを調べるも、活動の様子はまるで見れないし、リッチーに元々興味があれば、私はこれ以上の詮索をしていただろうが、私にはそういったものが全くなく、彼のプレイに感動したことは皆無だし、作り出す曲、フレーズといったものにも何ら興味が出せずに、彼を知ってから30年以上がたつのだ。

しかも、テクニックなど微塵もなく、ピッキングとフィンガリングがちぐはぐだし、プロ性を感じないのだ。

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リッチー.ブラックモア

それゆえに、リッチーの息子にも興味がわかないのだ。

しかし、中古盤屋などでユルゲンのソロ作などを見つけて、あまりに廉価であれば買って聴くだろうが、今のところその可能性は皆無に近い。

好きになる可能性も同様である。

しかし、先のことなどどうなるかわからないゆえに、可能性に目をつむらずに、開いておこうとは思うが…。

次はTUNGSTENである。

これは、YNGWIE J. MALMSTEEN'S RISING FORCEのメンバーだったアンダース.ヨハンソンが中心に作ったバンドである。

しかもギタリストベーシストが、そのアンダースの息子であるというから驚きだった。

私がこのアンダースを知ったのは88年だったが、その時はアンダース20代だった。



  左から2番目がアンダース


そのアンダースがもう息子2人をメンバーにしてバンドを結成するまでに年月が経ったか、と脅威に思ったのだ。

89年にそのYNGWIEのバンドがワールドツアーを終焉させ、それで次のアルバム制作に取り掛かるときに、シンガーだったジョー.リン.ターナーともども、アンダースはもちろん弟のヤンスまですべて解雇されたのだ。

ウィキペディアには脱退と書いてあるが、これは正しくない。

正確には解雇である。 イングヴェイの心境を一掃するために、解雇されたのだ。

それでいて、イングヴェイの音楽性に陰りが見えたり、音楽的な魅力が低下したのならば、ヨハンソン兄弟を捨てたのが…」といったような議論が生まれても自然な成り行きだったが、そんな議論は浮上しなかったし、逆に90年に出たアルバムECLIPSEがとてつもなく素晴らしい出来であり、実際そうだった。

そして、このアルバムの出た年度のBURRN!の人気投票では、イングヴェイが史上初のベストギタリストに輝いた。



イングヴェイ.マルムスティー


そうなれば、ヨハンソン兄弟へのマスコミの視線は少なくなるのは残念ながら必然だった。

しかしその解雇後のアンダースのキャリアであるが、HAMMERFALLSTRATOVARIUSなどにセッションや正式メンバーとして参加した。

そして1枚しか出なくて残念だったが、ACCEPTヨルグ.フィッシャーが中心となって結成されたBILLIONAIRS BOYS CLUBは素晴らしい出来だった。

これには、同じイングヴェイのバンドで同居したことのあるマーク.ボールズ(vo)も一緒だった。

イングヴェイファンならば、このプロジェクトは瞠目すべきバンドだった。

その素晴らしい内容についてはここでは言及しないが、興味あった人には検索して見ることをお勧めする。

しかし、これは93年に出て、しかも1枚だけでバンドは終わってしまったゆえに、今は廃盤だ。

肝心のアンダースの音楽性であるが、ラーズ.ウルリッヒ(METALLICA)やトミー.アルドリッジ(WHITESNAKE)といった固く、それでいて重く、それでいて切れのあるという相反する要素を持ち合わせたドラミングを持っているドラマー好きな私にとっては、それほどインパクトはアンダースからは感じれないのだ。


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  ラーズ.ウルリッヒ


YNGWIE時代に、数ある名アルバムを出した功績はあるが、それは多分にイングヴェイによるところが多いだろう。

彼が作詞作曲のほとんどを手掛けていたのだから。

しかし、弟のヤンス曰く「作曲に関わってもイングヴェイは作曲者名にノミネートさせてくれなかった。」というインタビューもあるから、あながち表面だけで判断するのは控えなくてはいけないだろう。

ならば、彼ら兄弟で出したインストアルバムを聴いてみて判断する必要はあるが、そこまでできていない。

いずれするべきであろうが、時間や金銭的な制約より、それはいつできるかはわからない。

やはり断片的にしかならないのだ。

そういうことになるとヨハンソン兄弟のファンにはお怒りを受けそうであるが、何でも完璧にしたうえで書いていくことをしなければいけない、というのならば何も書けないで終わってしまうだろう。

しかし、ヤンスイングヴェイの次のキャリアであったDIOSTRATOVARIUSでの仕事や、アンダースイングヴェイ以降のキャリアで判断するに、それほど瞠目すべきものがあったとはいいがたい。 TUNGSTENでも同様だ。


   TUNGSTEN


このバンドが2019年にデビューすると聞いて、元YNGWIEということで心躍って、すぐさまネットで予約し、買って聴いてみるも平凡の誹りを免れない…プロダクションは一級品ではあるが。

では以下、そのTUNGSTENの楽曲を見てもらいたい。






やはり、ロックを聴くと、どうしてもシンガーやギターに耳が行ってしまう人にとっては、ドラミングが強烈なものを持っている人でなければ、注目させるのは難しいのは言うまでもない。

ドラマーとして高い評価を得ていた故コージー.パウエルであるが、この人を知ってから私は30年以上になるが、この人のプレイの虜になったことはない。

RAINBOW、WHITESNAKEそしてイングヴェイといろいろ、この人の関わったアルバムを聴くも、感動したことはない。

特徴的であるのは否めない事実であるが、それだけでなく感動させるものでなければ特徴的たる意味がないと思うがどうだろうか?

ただし、コージーが参加したBLACK SABBATHHEADLEESS CROSSに関しては、素晴らしいし震えた。

コージー
コージー.パウエル


黒い雰囲気のある楽曲の中、スローテンポで重いドラミングを闊歩する音には感動したし、今もそれを忘れることはできない。

そのようなプレイがアンダースにあるかどうかは、これからの私の深究にかかっている。

そして次はONE OK ROCKである。

これは、日本のバンドであるが、SLIPKNOTをヘッドラインにしたフェスであるKNOT FESTの日本版にも参加したというから驚きだ。



MAN WITH A MISSIONとともに日本人バンドでありながら海外アーティストが主目のフェスに参加できる数少ないバンドであることは確かだ。

このバンドの名は知っていたが、それほど興味はなかった。

しかしなぜ?

それはYahoo!のニュースサイトで、大政絢というモデルが取り上げられていたのだ。


  大政絢


この人の写真を見た時の感想は、とてもエレガンスできれいということである。

それでこの人の詳細を調べてみる。

するとONE OK ROCKのギタリストであるToruの妻であることを知ったのだ。

それでこのバンドに興味をもって、色々調べたり動画の検索をしたら結構いい線いっているという感じを受けたのだ。

それで、さらに調べるとシンガーのTakaがあの演歌歌手である森進一の子供であることを知って驚いたのだ。



ONE OK ROCK (右から2番目がTaka)


演歌とロック、雰囲気や音楽から醸し出される雰囲気には何ら共通性は感じれないものであるが、音楽という点では一緒だ。

その音楽において、親のセンスが遺伝したのだろう。

そして顔は母親である森昌子に似ている。


   森昌子


ONE OK ROCKを聴いてみると、その音楽から醸し出される世界観はかなり幅広い気宇を有している。

荘厳と静寂の使い分けの妙がいいし、ヨーロピアンな雰囲気のあるミュージックを日本人が作れるところが見事というほかない。

演歌以上の広大な世界観だ。

こういったデジャヴを経験できることも音楽を聴くことのメリットの1つであるはずだ。





しかし、私が幼少のころから紅白歌合戦で何度も目にしている演歌歌手の息子が、ロックアーティストとして活躍しているとは驚きだ。


 
  森進一

私の音楽アーティストに求める要素として、シンガーが歌詞を書くということである。

そうでなければ、他人の書いた歌詞をシンガーが歌ってもソウルが感じれないゆえに、感動もせず、そのCDを売り出してしまうということを何十と経験してきたからだ。

なお、シンガーが作曲もできるならばなおいいということだ。

そうなれば、その歌詞の世界観と一致するからだ。

このONE OK ROCKではTakaが作詞作曲のほとんどを手掛けて、その他のメンバーがちょっと手助けするというパターンがほとんどだ。

要するにTakaがこのバンドのメインソングライターであり、このバンドの命運を握っているということだ。

EUROPEジョーイ.テンペストHIMヴィレ.ヴァロのような存在だ。

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 ヴィレ.ヴァロ(HIM)


そういう形態であることで私はそのバンドのファンになれるのだ。

ある意味、父親の森進一よりも偉大といっていいだろうか。

森進一は、作詞作曲のほとんどを外部に委託していたのだから。

そんなことはどうでもいいようだが、よくはない(笑)

やはり歌にソウルを込めるには、本人が書かなければ感情を乗せることはできないからだ。

このバンドは2007年から今までずっと活動を維持している。



デビューから3年くらいで停止してしまうバンドは、その後に活動に期待はできない。

そんな短い期間では、忠誠を誓ってくれるファンがないまま終わってしまうからだ。

これだけ長く活動していれば、コアなファンが幾万人以上いることは間違いはない。

先行きは期待できそうだ。 これからは音楽フェスは必ず行き続けるし、その際にONE OK ROCKが参加するのならば、私はフルセットで観たいと思っている。

しかし、大政絢のきれいさを認識しなければ、私がこのバンドを深く追求しようとは思わなかったことは確かだ。

ONE OK ROCKのメンバーは大政絢に感謝しなくてはならない(笑)。

そして最後はNELSONだ。

このバンドは、リッキー.ネルソンの双子息子であるマシューとガナーを中心にして結成されたバンドである。


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   NELSON


リッキーは、57年から85年まで24枚のアルバムを出したのだ。

そのキャリアの中で、どれだけ売れたのかをウィキペディアで調べるも、一切書かれていないのだ。

やはり当時は、記録する必要性がなかったゆえに書いてなかったのか、あるいはゴールド以上の枚数売れていなかったということなのだろう。

後者の場合ならば、子供のNELSONのほうが称賛に値するだろう。

デビュー作AFTER THE RAINは、全米200万枚を売ったし、日本でも90年度のHRの海外アーティストの売り上げではナンバーワンを記録したのだ。

だからというわけではなく、坦懐に聴いて、このアルバムは絶賛したいアルバムだ。

スピーディよし、バラードよし、ミドルよしと非の打ちどころがないアルバムだったからだ。


after the rain
AFTER THE RAIN


これだけ秀逸なアルバムを見つけるのは大変な作業なのは間違いない。

しかもそれだけでなく、リッキーの場合は、ほとんど作詞や作曲をしていなかったのだ。

これでは歌に心を乗せることはできないし、聴き手が感動しないのは明白だ。

このバンドは2015年に最後のアルバムPEACE OUTを発表し、それ以降カントリーへの傾斜を公表し、ロックアルバムのアルバムは出さないとした。

しかし、NELSONは今年7月にベストアルバムであるGREATEST HITS (AND NEAR MISSES)を急遽リリースした。

そして来月11日には、NELSON FAMILY CHRISTMASをリリース予定だという。



NELSON FAMILY CHRISTMAS


これはうれしいサプライズだ。

ロックであろうがなかろうが、カントリー色であろうが、こういう趣旨のアルバムならばどんな音楽性でも誰しも気に入るものができるはずだ。

しかし、デビュー作のAFTER THE RAINは秀逸な出来で、今も聴くたびに感動をよび起す。

その素晴らしさゆえに、次の91年には来日公演が決定して、私もいった。

しかし、会場にいるのは99%が女性客であり、それに委縮して全くノレなかった(笑)

しかし、見た目からは想像できない、そのヘヴィさも客をノラせるパフォーマンスも申し分なかった。

“Only Time Will Tell” AFTER THE RAIN』収録


しかし、次のアルバムからはずっと不調だった。

佳曲に占める割合が少なく、聴きこんでも聴きこんでも、その収録曲からデビュー作を超えるものが出なかったのだ。

それゆえに、これまで出したうちのアルバム1枚は買いそびれてしまい、それはそのまま廃盤。

ライヴ盤も何枚か出ていたようだが、どれも手付かずのまま廃盤になってしまっていた。

やはり1枚通して感動出来ないアルバムが2枚続くと、他のアーティストに目が必然的にいってしまい、このようなことになってしまうのだ。

しかし、デビュー作の良さはいくら強調してもしすぎることはないので、それだけは伝えておきたい。

その良さが口コミで伝わっているからこそ、そのアルバム発売から30年以上たってもいまだ入手可能であるとしか説明できないのだ。


※参考ページ

eurokennes.blog60.fc2.com




それに今年リリースされたGREATEST HITS (AND NEAR MISSES)では、これまでの未発表曲やライヴも聴けるし、廃盤になってしまったアルバムからの曲も聴けるので、NELSONの良さをそれ以上に味わいたい人には、これをお勧めしたいところである。

ここまで著述家楽家の遺伝によるその才能の開花を例証したが、このようなパターンでなくても、著述家楽家にはなれないということではないので、こういった職業を目指している人は、気兼ねせずに敢然として頑張ってほしいものである。

心から応援したいところである!

輸入盤 NELSON / GREATEST HITS AND NEAR MISSES CD
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。



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MEGADETHの日本武道館公演が30年ぶりに実現!その訳は…!?

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来年の2月MEGADETHの来日公演が決定した。

最近、何気なくヤフーでMEGADETHと入力したところ、変換予測で「MEGADETH 武道館」というのが出てきたので、まさかと思い、そのキーワードで検索したところ、本当にこの来日公演が決定していたのだ!

日本武道館での公演…MEGADETHほどの大物ならば出来てもまるでおかしいことではないし、過去に実現するはずだった。

1993年のことである。

92年COUNTDOWN TO EXTINCTIONが発表され、これはMEGADETH史上最高の売り上げを果たしたのだ。

全米では200万枚、日本でも10万枚を売ったのだ。



COUNTDOWN TO EXTINCTION


そしてこの年度の『BURRN!』での人気投票では、MEGADETHがグループ部門でチャンピオンになった。 デビュー以来、これまでじわりじわりと日本で人気を積み上げていった彼らゆえに、その努力が実ったのだ。

この年には、IRON MAIDENFEAR OF THE DARKを発表し、それをヒットさせていたので、大掛かりなツアーが組まれていた。

その一環としてイギリスの『MONSTERS OF ROCK』のトリに抜擢され、イタリアで行われたMONSTERS OF ROCKでもトリになった。

このイタリアでのMONSTERS OF ROCKMEGADETHサードビルとして参戦した。

COUNTDOWN TO EXTINCTIONは、『FEAR OF THE DARK』よりも売れていたが、やはりMEGADETH5作目IRON MAIDEN9作目ということで需要逓減が働いていたのだ。

ゆえに、最新アルバムではMAIDENに勝っていたにも関わらず、こういう結果になったのだった。



MONSTERS OF ROCK92』(Italy)


BURRN!にはこのイタリアでのイベントは報道されていなかったが、つぶさにブート屋に足を運んでいるとこういう情報が得れるから、こういうこともお勧めしたい次第だ!

そして日本武道館公演が決定して、そのために自分も行くと決意して、チケットも買った。

しかし、それほど期待していなかったのが正直なところだ。

私は、セカンドアルバムであるPEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』こそがこのバンドの最高傑作であり、このアルバムは今も愛聴している代物だが、アルバムを発表するごとにこの勢いは遠のくばかりであると思っていた。

pisuseruzu

PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』


・関連記事

blog.livedoor.jp


前作のRUST IN PEACEからして、そんなに聴いた思い出がないのだ。


COUNTDOWN TO EXTINCTIONの収録されたシングルを2つばかりラジオで聴いたが、興奮は起きなかった。

なのになぜ?という疑問がわくとは思うが、これまでアルバムをいくつか買って聴いたし、それなりに思い入れがあったからに他ならない。

ライヴに行って聴けば、それなりに興奮はするだろうと思っていたのだ。

COUNTDOWN TO EXTINCTIONPEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』の倍以上売れているのに…という反論がわくとは思うが、それも私には関係のない話しだ。

やはり他の人の意見がどうたら、売れた枚数どうたらは関係ないのだ。

聴いて自然に興奮できるものを中心に聴いていくことこそが、趣味を面白くする秘訣なのだ。

しかし、あのMEGADETHのことであるから、このバンドの最高売り上げの完全再現ライヴを聴けばちょっとは変わってくるのだろう、と思いあの完全再現ライヴのDVDを買って観たが、やはり興奮しなかった。

hametuheno


ネットサーフィンをしながら、バックで映像を流していてもやはり興奮しない。

ならばRUST IN PEACEの完全再現もオフィシャルで出ているから、それも…という気にはならなかったのだ。

他のアーティストの欲しいアイテムがあるゆえに。

心底好きなPEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』完全再現してくれるのならば、私はそのライヴに絶対に行くし、その映像がオフィシャルで出れば1000%の確率で買うのは間違いない!

正直それをしてほしいと望むばかりだ。

そんな感慨でいたので、93年武道館での来日公演が、デイヴ.ムステインの麻薬問題によって中心になってしまったときには、そんな落胆はしなかったのだ。

その告知がなされたときに、そのチケットを買った今はなき青山チケットエージェンシーから公演取りやめのために返金するから来てほしい旨の電話がかかってきて、返金してもらい、そのお金で元RATTのスティーヴン.パーシーのバンドであるARCADEの公演のチケットを買ったのだった。


arcade.jpg
    ARCADE


その公演では、4つのクイズに答えて全問正解した人の中から抽選で、バックステージに招待という企画が『BURRN!』で行われたのだ。

もちろん、公演のチケットを買っていた人のみの話しであったが。

クイズは以下だった。

  1. かつてRATTが前座にしていたがのちに、RATTが前座になることになったバンドは?
  2. RATTが初めてドイツのフェスティバルに参加したときに、ヘッドライナーになったバンドは?
  3. 91年のCINDERELLAの来日公演の時にされたオープニングの曲は?
  4. ARCADEのギタリストであるドニー.シラキュースのかつて在籍していたバンドの名は?

今わかった人は筋金入りの80年代のHRファン間違いなし?笑  


 答えは以下
    ↓

  1. BON JOVI
  2. DEEP PURPLE
  3. The More Things Change
  4. GYPSY ROSE


これに正答した自身はあったが、BURRN!大野さんから電話があったときには、拳を力の限りふり絞って力いっぱい目をつむってガッツポーズをして喜んだものだ。

「よっしゃー!」と大声を上げたのだ。

私が行ったグリーンホール相模大野では観客があまりに少なかったのでちょっと残念だったが、それでもバックステージに招待されたし、バンドのメンバーとひと時を過ごせて今も忘れぬ思い出で、メンバーからもらったサインは今も保存している!

そのバックステージで会ったときに、MEGADETHHANGER 18』のミニアルバムをティーヴン.パーシーにあげたらよろこんでいたのだ。





ティーヴンは、かつて『BURRN!』のインタビューでこのバンドを好きと言っていたのを覚えていたのだ私は。

すごく優しい人でしょう私は?笑

話題がそれてしまったが、この年から降ること今まで、MEGADETH日本武道館公演がなぜか実現できなかったのだ。

不思議といえば不思議だ。

LOUD PARKでもヘッドライナーとして2回セカンドビルとして1回出演したMEGADETHなのに。

それが30年来をもって実現されるとは、何か縁を感じざるを得ない。

30年来、実現されたのは単なる愛嬌ではないし、やはりニューアルバムの出来がいいからだろう。

Amazonでは、800以上ものレビューが投稿されていて、賛否というよりものほうが圧倒的に多いのだ。

以下の最新作の曲を見れば、行きたい気が浮かび上がってくる。




神奈川や埼玉といった関東での公演は武道館以外なしで、関西では大阪で1回だけ。

こうすることによって、日本武道館公演を実現することができやすくなったのは言うまでもない。

今回は以下の日程に決まっている。

2月27日 日本武道館
2月28日 グランキューブ大阪


若干姑息な工夫ではあるが(笑)、いまのご時世で日本武道館公演を実現させるとは、やはりMEGADETH恐るべし…といったところであろうか?

長年連れ添ったデイヴ.エレフソンとまたも袂を分かったのは、非常に残念至極であるが…。





まずは興味ある人には、MEGADETHの最新作を聴くことをお勧めしたい!

私も聴いてよかったら、そのレビューをここで書きたい。


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ザ・シック、ザ・ダイイング・・・アンド・ザ・デッド! CD / メガデス
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。



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(コラム意外や意外!リチャード.マークスとブレット.マイケルズの数多ある共通点とは?






今年の9月3日SONGWRITERを発表したリチャード.マークスだが、この人を初めて知ったのは88年のことだ。

その初めて見たのは番組ベストヒットUSAを見ていたら幾度となく、何枚かのシングルがチャートインして、ラジオでも何度も聴いたから、自然と知ることになった。

その回数ゆえにではなく、その楽曲の良さに当然惚れたのだ。



SONGWRITER


その当時、私はいろんなHRバンドにのめりこむ年になっていたのだ、BON JOVIのファンになってからというもの。

そしていろんな洋楽雑誌を見ていて、POISONも知ったのだ。

POISONのシンガーであるブレット.マイケルズも、リチャードと同じくイケメンだし、かなり歌が上手かったゆえに、当然耳朶に残り、いつしかこのバンドのアルバムを買いたい!と思えるようになっていたのだ。

リチャード.マークスブレット.マイケルズ、今回はこの2人の共通点をあぶりだしたい。

この2人は、同じ1963年生まれで、アメリ生まれ、そしてどの曲でも作詞作曲にメインで関与しているイケメンのシンガーなのだ。

リチャードはシンガーソングライターであり、ブレットはバンドの一員であるという違いはあるが、これだけの共通点があるのは珍しいだろう。


ブレット
ブレット.マイケルズ


私がそれぞれを知ったのは、同じく88年というのも共通している…ってそんなこと誰も興味ないだろうが(笑)

そして、共通点だが、この88年に2人とも全米でナンバーワンソングを出し、その曲が収録された曲が、それぞれのキャリア最高の売り上げを果たしたということである。

リチャードREPEAT OFFENDERブレットOPEN UP AND SAY…AHH !』を出し、それぞれ400万枚500万枚を売ったのだ。

repeat offender
REPEAT OFFENDER

open up and say…ahh
OPEN UP AND SAY…AHH !』


それぞれのナンバーワンソング“Right Here Waiting”“Every Rose Has Its Thorn”だ。

しかもそれぞれバラードだ。


“Right Here Waiting”
   ↓



また両者とも89年に来日公演が実現し、ともに日本武道館での公演が敢行された。

これだけ共通点があるのも珍しいだろう。

それぞれの曲を聴いた時の感動が忘れられないがゆえに、あれから34年もたったのかと思うほど時のたつのは早いものだ。

これだけの年月が経っても、これだけの枚数を売ったがゆえに、この2枚のアルバムは今でも入手可能だ。

ただ、POISONはアルバムを10年以上出していないが、今でもライヴだけはしているので、その便乗効果で売れているのだろう。

リチャードは、アルバムを3年おきくらいにアルバムを出し続けているし、今年も出した。

richy
 リチャード.マークス

しかし、リチャードはそんなに頻繁にツアーもこなしていないがゆえに、売り上げはそれほど芳しくなくなっているのか、デビュー作やセカンドアルバムが、期間限定で廉価発売されることがある。

それが終わってしまい、廃盤になる。

そしてまた期間限定の廉価販売をする、という手法がとられることがある。

やはり、そういう販売の工夫をすることで、買われやすくする必要があるのだろう。

デビュー作やセカンドアルバムはそれぞれ300万枚、400万枚を売り、サードは200万枚、4thは100万枚を売った。

これだけうれれば、その良さが口込みやメディアで伝わり、世界中で売れ続け、カラオケで歌われ、それで印税が入り続けるのだ。

売れた実績が出れば、レコード会社の意向など気にせずにアルバムを出すことができるのだ。

それぞれやりたいことに専心するようになる…要するにわがままになるのだ。

リチャードPOISONともに、5枚目以降のアルバムはヒット路線を狙っているようには見えない作品という傾向が見て取れたのだ。

特にリチャードの方はその意向が強いと思われる。

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それまでは、ロック志向が強いのがわかったが、5枚目からは急にソフト化が進んだ。

そしてバックバンドが、きちんといたにもかかわらず近年では、バックバンドはなしでアコースティックギターを弾きながら歌うライヴに変身してしまったのだ。

2016年に、リチャードが来日公演を行い、EX THEATER ROPPONGIに行って観に行ったが、それはそれで悪くはなかったが、物足りなさは否めなかったし、そういうライヴが映像として発売されても、そんなに見る気は起きないのが通常だろう。

88年に私がファンになったBON JOVIもしかりで、あれほどソフト化路線に突っ走ってもらっては、聴くモチベーションは下がる一方だ。

それでは、それまでのファンは逃げたくなるのはやむを得ない。

やはり両者とも、アルバムの売り上げも、コンサートの観客数も年々減っているのがわかる。

しかし、私は一度好きになったアーティストは余程のことがない限り、ファンを続けようというモラルなのだ。



ゆえに、来日コンサートが決まれば料金と都合がフィットすれば行くし、アルバムは必ず買って聴くし、何度も聴いてよくなかったら、ヤフオクで売ることにしている。

しかし、不思議とリチャードPOISONに関しては、アルバムを手離して売ったことは皆無なのだ。

それも両者に共通する面だ。

しかし、共通していないのは、POISON89年の来日公演以来、一度も日本に足を踏んでいないのだ。

でも、デビューから3作目までは素晴らしい楽曲とヘヴィネスを維持しているので、これらの曲が納められたブートを観るとはやり興奮する。

そして、なぜ日本に来ないのかと残念がるだけで終わってしまう。




そして、リチャードブレットの共通点として挙げれるのは、両者とも他のアーティストに楽曲提供をしてきたことだ。

リチャードはN' SYNC“This Promise You”を提供した。

このシングルは全米5位にまで上がり、このシングルを収めたNO STRINGS ATTACHÉD』 アルバム全米1位を獲得。

そして他のシングルも大ヒットし、結果的にアルバムは全米で1450万枚、世界中で5000万枚を売る大ヒットになった。



NO STRINGS ATTACHÉD


こんなことを書いては失敬なのは百も承知だが、これまでのリチャードのアルバムやシングルの総計の世界中での売り上げは3000万枚といわれる。

しかし、楽曲提供した当のリチャードよりもN' SYNCは1枚のアルバムだけで、リチャードのアルバム、シングルの世界での総計以上を売ったことになる。

面目ない…そんなことはないだろうが。

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そして、POISONであるが、これは楽曲提供ではないが、のちにアメリカ人女性アーティストであるマイリー.サイラス2010年に発表したアルバムであるCAN'T BE TAMEDにおいて“Every Rose Has Its Thorn”がカバーされることになる。

このアルバムは全米チャートでは3位を記録して、世界中では100万枚を売ることになる。

これは昨今のネットブームにおいて、動画で楽曲が確認できてしまうゆえに、シングルやアルバムが売れなくなってしまった事態に起因することは間違いない。

もっと年代が早くデビューしていれば、彼女はもっと売れていたことは間違いない!


●“Every Rose Has Its Thorn
  ↓



N'SYNCのファンにしろ、マイリーのファンにしろ、カラオケでそれらのシングルが気に入って歌うことで、それらを作曲したリチャードPOISONのメンバーに印税が入ってくる。

そして、N'SYNCのアルバムにしろ、ベストアルバムにしろどちらも“This I Promise You”が収録されているがゆえに、これらが売れれば売れるほどリチャードに印税が入ってくる。

マイリーにはまだベストアルバムは発表されてはいないが、CAN'T BE TAMED』アルバムが売れれば“Every Rose Has Its Thorn”が収録されているがゆえに、POISONのメンバーに印税が入ってくる。

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こういう理由ゆえに、音楽アーティストはデビュー当初のように意気込んでアルバムを出したり、ツアーに出たりしなくなるのだ。

しかし、それでは往年のファンは哀しいだろう。

これまで、POISONMOTLEY CRUEと一緒のギグやフェスに参加してきたが、やはりMOTLEY CRUEのほうがアルバムでは売れてきたので、POISONのほうが出演するのは先だ。

曲のスケールや圧倒感ではMOTLEY CRUEの方が断然上なのに、なぜか私はPOISONを聴いた数の方が断然多い。

やはり、シンガーが歌詞を書く能力がないがゆえに書けない、あるいはバンド内の事情で書けないという場合、私はどうしても歌に感動できず、そのまま聴く回数が減ってしまい、いつしかファンであることを往々にして忘れてしまっていたことがある。

MOTLEY CRUEもしかりである。

シンガーのヴィンス.ニールは、バンド内ではニッキー.シックスにイニシアティブを握られているので作詞ができない。



ゆえにヴィンスは他人が書いた歌詞をうたうことになり、それで私はそんなにMOTLEY CRUEの曲にノレないできたのだ。

GIRLS、GIRLS、GIRLSDr.FEELGOODであれほど夢中になったのに不思議だったが、やはりシンガーが歌詞を書かないで歌っても、他人の書いた歌詞に感情を100%込めるのは不可能ゆえに、90年代中盤以降のアルバムはどれも感動できずに終わっていたのだ。

しかし、POISONはシンガーのブレットも作詞しているがゆえに、歌にノレるのだ。

アルバムやシングルでの売り上げは断然MOTLEY CRUEの方がPOISONよりも勝っていたがゆえに、この両者が同じフェスやカップリングをすれば、POISONの方が先なのは当然だったが私は解せなかったのだ。



しかし、デビュー作、セカンド、サードでは、それぞれ300万枚、500万枚、300万枚と売ったので、ハリウッドタイプのハードロックバンドを集めたフェスではいつもPOISONトリを務めれたのは言うまでもない。





RATT,CINDERELLA,DOKKEN,GREAT WHITE, L.A GUNSといったバンドが参戦したフェスでは当然、POISONトリだったし、今もそうだ。

そうなったときには、手離しで喜んできたし、だからこそPOISONには日本に来てほしかったのだ。

こういったハリウッドタイプのHRバンドを集めたフェスならば、そのまま日本でもやってきてほしかったし、それが不可能ならばLOUD PARKのようなフェスへの参加でもよかったのだ。

しかし、いずれも叶えられずじまいだった。

やはりその要因として考えれるのは、アルバムを出さなくなってしまったことが大きな原因だろうか?

ゆえに、認知されずに話題にも出されずじまい。

ならば、やる気を起こしてアルバムを出してほしいということになってしまう…ありきたりだが。

今年敢行されたMOTLEY CRUE,DEF LEPPARD,POISON,JOAN JETTの組み合わせでのアメリカンツアーは一度大成功のまま終了したが、来年にもアジアで敢行される予定であるらしい。




そのなかにも日本が入っているのかどうかは不明だが、入れれるのであれば是が非でも入れてほしいところだ。

もう30年以上POISONは、日本に来ていないのだから。

リチャードも同様に、また日本に来てほしいものだ。

ただし、あのアコースティックライヴなどではなく、フルエレクトリックヴァージョンでである。

あのヴァージョンでは物足りないのは明白だ。

いろんなアーティストの歴史を垣間見るに、歳月を経るごとに活動が縮小、あるいは停止しがちになるのは必然なのであろうか?

また音がソフト化してしまうのも必然なのだろうか?

それが必然であるなどと哀しいことは思いたくないものだ。

20代のころのようにとは言わないが、いつまでも活発に活動して、しかもライヴツアーを敢行するのは自身に義務化してほしい。 それが私の願いである。

今回はこれにて終了したい。

●以下、リチャードPOISONの双方のキャリア最大のヒット作を紹介したい!
  ↓

Richard Marx リチャードマークス / Repeat Offender
by カエレバ


Poison ポイズン / Open Up And Say Ahh
by カエレバ



POISON
のクリップ集は以下。
  ↓
GREATEST VIDEO HITS


●以下のサイトでも取り扱っています。
  ↓
タワーレコード

【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD

今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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隠れたデスメタルの名盤であるDEATHの『SYMBOLIC』は素晴らしい!

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他のアーティストに夢中になって、魅力がわからなかったが、のちになってその魅力に気付いてファンになることが往々にしてある。

それは漫画でもある。

週刊少年ジャンプ』で、北斗の拳キン肉マン」「魁!男塾」「ハイスクール奇面組といった漫画を確認するだけで精一杯だったので、あまり読むことがなかったのだが、これらの漫画の連載が終わってしまったゆえに、それまで無頓着だった「こちら亀有公園前派出所」を仕方なく読むようになり、意外にもこの漫画の良さを発見し、それからはこの通称こち亀を夢中になって読むようになったのだ。

今もこのこち亀は私にとってのメイン漫画の1つだ。

こういうパターンはHR/HMでもある。

それがDEATHだ。

 
      DEATH



これはアメリカの文字通りのデスメタルバンドだが、このバンドについては90年代の初頭から知っていた。

しかし当時は、HRバンドでいいのがあふれていたし、私はHRの方がメインだったし、ほとんど聴くことがなかった。

その後、90年代半ばになってHMのブームが始まり、その先駆的なバンドとして、JUDAS PRIESTIRON MIDEN復権がかない、SLAYERMEGADETHが浮上してきた。

しかし、私は年代的にSLAYERMEGADETHの方が近いゆえに、これらのバンドに触れようとしてきたのだ。


satugaisha  
          SLAYER



しかし、80年代の佳曲揃いのアルバムに比べて、これらの90年代に出たアルバムはどれも勢い不足だったので、ほとんど聴かずじまいだった。

しかし、SLAYERREIGN IN BLOODMEGADETHPEACE SELLS…BUT WHO'S BUYINGHM史上最高のアルバムだし、今も私の愛聴盤だ。

しかし、これらのアルバムに拮抗できるアルバムが両バンドとも90年代に出すことがかなわなくなったのだ。


REIGN IN BLOOD
REIGN IN BLOOD


HMを代表するバンドですらこのくらいなのだから、それ以下の人気のバンドのは聴いても仕方ないだろうと、たかをくくっていたのだ。

しかし、それはのちになって後悔することになった。

過去のいつ買ったかは忘れたが、DEATHSYMBOLICを棚から取り出して聴いてみた。

そうしたらすごくよかったのだ。


●“Symbolic
  ↓





このアルバムは、タイトルトラックの“Symbolic”から始まる。

スローなリフで始まるが、そこからして伝わってくるパッションが違う。

聴いているだけで凌駕されそうになる。

そして、いきなり急テンポに曲展開がなされるのだ。

その時の、ドラミングを中心としたメンバーのプレイの巧さが光る!

またミドルになって、急展開になる曲展開の妙もまたいい。


ソリッドなリフが、このバンドの得意とするところだろう。

そんなことを考えてしまうように、アルバム全体にその得意さが漲っているのだ。

張り込まれているのだ。




やはり、ヘヴィメタルというものは、ヘヴィさとスピードが命のはずだ。

その2つのミキシングの度合いが曲の全体的によくないと、佳曲のレッテルを張ることはできない。(レッテルというのは語弊があるだろうか…笑)

その度合いが見事にちょうどいいのだこのDEATHの音楽は。

そしてパッションにどの曲もあふれている。

曲展開が非常に良くて、絶妙のタイミングでそれがなされて、決して聴き手を飽きさせない。

それどころか、曲の世界に引きこんでしまうのだ。


それを一番実感できるのが5曲目の“1000 Eyesだ。


●“1000 Eyes
 ↓




このようなスピーディが基本で、妙の生きている曲を聴いているだけで気持ちがよくなる!


このようなシンプルなデスメタルバンドでは、非常に珍しい稀有なパターンだ。





そして、演奏レベルの上がった現代においては、速弾きソロは当たり前だ。

それを敢然とこなさなければ、耳の肥えた音楽ファンにはアピールできないだろう。

そういったギタープレイもさることながら、ドラミングもかなりの程度、レベルが高い。

曲展開の妙が素晴らしいが、それもこのバンドの演奏プレイの実力に支えられてのことである。


悠然とこなしてしまうから思わず脱帽だ!

ギター音はいたってシンプルにプロデュースされているが、現代的な音になれている人にも十分アピールできるレベルだ。

6曲目の“Without Judgement”の出だしを聴いたら、80年代初頭ヘヴィメタルブームの音を思い出してしまった。

その頃のヘヴィメタルバンドがいっぱい出てきたが、ゴールド以上の売り上げを果たすことなく、その後RATTMOTLEY CRUEといったバンドがマルチプラチナムを獲得し、すっかりハードロックブームになったが、そのハードロックブームは、10年くらいしか持たなかった。


ratt 88  
    RATT


ヘヴィメタルバンドのMETALLICAが全世界で2000万枚以上を売るアルバムにより、シーンが一変させられたからだ。

そのブームの変遷の後に、このDEATHが活動を維持していたら、その気流に乗じて大成功したかもしれない、などと一瞬思ってしまった。

この“Without Judgement”には、SLAYER"Jesus Saves"そっくりの曲展開がなされていて時代性を感じたものだ。 そしてのっけからスピードとヘヴィさで押しまくる“Misanthrope”にはただ押し切られるばかりでノックダウンされるだけだ。

また哀愁漂うアコースティックメロディで曲の終わりを告げる“Perennial Quest”の演出にも同様にノックダウンされるだけだ。

SLAYERにしろ、MEGADETHにしろ、80年代の前出のアルバムは、擦り切れるほど聴いたが、それ以外はいくら聴いても、右から左へ抜けてしまう感じで、時間の無駄に感じたので、中古盤屋に売った。

pisuseruzu
PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING


しかし、このDEATHのアルバムは、非常に素晴らしいので、次にもアルバムを買って聴きたいところだ。

期待に胸が膨らんでいるのだ。

しかし、このバンドはシンガーであるチャック.シュルディナーの脳腫瘍による死と、ベーシストであるスコット.クレンディレンの死によって、今は解散の道を余儀なくされている。



真ん中がチャック.シュルディナー


同じバンド内で2人がなくなってしまうとは…とこれ以上ない哀しみが胸を覆う。

その2人が関った素晴らしい音楽を後の世にもたたえてもらいたいゆえに、ここにその良さを書いた次第である。

これを期に、いろんな人がこのDEATHの音楽に触れてもらいたいものだ。


ここで紹介したのは、2人のメンバーがなくなったという理由ではなく、音楽が素晴らしいからというのが主要な理由だ。





昨今は、いろんなバンドが無数乱立していて、それ以上に無数にアルバムが存在している。

ゆえに、活動を維持していないことには、アルバムが入手可能であることは難しい。

解散した途端にアルバムが瞬く間に、廃盤になってしまうパターンは往々にしてある。

しかし、ことDEATHに関してはライヴ映像を除いてほとんどが入手可能だ。

1998年のアルバムが最後のアルバムであるにもかかわらずである。

これは脅威というほかない。

やはり、その良さや素晴らしさが、ファンの間でささやかれ続けたからであろう。

そうなった所以は、このアルバムを聴いただけでわかる。

やはりHM史上残しておかなくてはならない、という思いにさせるほどの出来だ。

このバンドの偉業を歴史に埋もらせてはならない…そんなことを考えてしまうアルバムだ。


●このアルバムは以下よりどうぞ!
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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(コラム)最高峰のキーボーディストとはどういう要素を持った人であるべきか?

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ジョン.ロードの名を知ったのは88年のことである。

WHITESNAKE『COME AN’ GET ITを中古盤で買って聴いたときに、キーボーディストとしてノミネートされていたからだ。

後にHRについて調べていくうちに、彼がDEEP PURPLEのメンバーであることを知った。

WHITESNAKEのシンガーであるデヴィッド.カヴァーデールも元DEEP PURPLEのメンバーであったことも知った。

ゆえに元盟友だったことになる。

しかし、そのプレイは平凡で、私を陶酔させるものはなかった。

このCOME AN’ GET ITでキーボードが前面に出ている曲は、ジョンも作曲に加わっていた。


ieisnake.jpg
    WHITESNAKE 80


やはり、作曲に携わる人のプレイが前面に出るのは必然であるのは、どのバンドでも一緒くらいのことはのちに知るようになっていった。

しかしさらにHR界について調べていくうちに、ジョン「HR界最高峰のプレイヤー」ということが謳われていたのを知った驚いた。

そんなすごいことを言われていたのならば、どこかすごいプレイをしているアルバムがあるはずだ、という思いでDEEP PURPLEWHITESNAKEの初期の作品を買いあさり、聴いて探していったのだ。

しかし、そんなプレイは一切ないのだ。

彼のソロアルバムであり、邦題のつけられた『未完成バッハフーガ』なるアルバムを買って聴くも、感動には至らず、これはバッハのクラシカル音楽に彼のキーボードをちょこっと乗せただけの代物であり、特に目新しいことをしているわけでもなかったのだ。



どうしてこのような奇妙な題をつけたのかを探索する気にもなれず、そのまま中古盤屋に売ったのだった。

DEEP PURPLEは、もともとインプロヴィゼーションやジャミングで曲を作るので、自分1人だけが敢然たる独奏をしていくわけにはいかない。

やはり他のプレイヤーが、入り込める余地を出しながらジャミングをしていくことになる。

ゆえに、敢然たる演奏はなく、演奏に完壁性は薄い。

ゆえに、このバンドのプレイはレベルが低いと言わざるを得ない代物なのだ。

そのような作曲法でアルバムやシングルが世界中で売れたのだから、そのスタンスをDEEP PURPLEのメンバーが今更辞めるはずはない。

メンバーはいずれも70代にはいっているし、これまでしてきたゆえに、また年齢を重ねるごとに誰でも頑固になるから、今からそのスタンスを今から変えるのは不可能に決まっている(笑)。

deep purple 85

しかし、レコーディングでレベルの高い演奏をしていったバンドの方が全然感動を覚える私には、このバンドを評価する気にはなれないのだ。

このバンドがニューアルバムを出そうが、来日が決定しようが私は一向にお構いなしでここまで来たのだ。

こういった演奏のレベルの低さで評価できないのだ。

また、ミュージシャンたるもの、やはり自分で音やフレーズ、ひいては曲を作り出さなくてはいけないというのが私のスタンスなのだ。

ただ演奏するだけのミュージシャンは評価できない。

世界最高峰というからには、作曲もできなくてはいけないだろう。

そこで、ジョンがどれだけ作曲に関わったかを調べてみたくなった。

しかし、今はいい時代になったものだ。

ミュージシャンの出したアルバムをウィキペディアで調べれば、作曲に携わった人の名がすぐに知ることができる。

インターネットのなかった時代であれば、そのバンドのアルバムを全部買って、ライナーを見なければ、そういったことを知ることはできなかったのだから。

そこで、ジョン.ロードDEEP PURPLEでかかわった作詞作曲について調べると70年代初頭のオリジなナルメンバーでのアルバムはほとんど作曲にノミネートされている。

74年デヴィッド.カヴァーデールグレン.ヒューズが加入して名盤BURNを出したのは周知の事実だが、このアルバムからジョンの作曲への関りは途端に少なくなる。





デヴィッドグレンは、資本主義的でビジネスライクな考えを持っていたのだろう。

作詞作曲に関わった人間のみがノミネートされるべきであるという。

初期WHITESNAKEデヴィッドバーニー.マースデンとの作曲が多くを占めていた。

“Wine,Women And Song”“Mean Business”など、キーボードが前面に出ているものは、やはりジョンが作曲に携わっていたのみで、ほとんどのジョンは関ってなかった。

やはりデヴィッドは、ギタリストを重んじる志向だったのだ。

あまりキーボードを前面に出すのは、デヴィッドの好みでなかったのだろう。

91年のインタビューで「DEEP PURPLEが再結成しなかったらどうしていたか、という質問に対し、「映画のサントラでも作っていたか、他のバンドから加入のオファーがあったら加入していただろと思う。WHITESNAKE以外ならばね!(笑)」というのが印象に残っている。

しかし、84年に再結成した時のオリジナルメンバーでのクレジットは、リッチー、イアン.ギラン、ロジャーでのメインになり、作曲に携わった場合にのみノミネートされた。

リッチーが脱退した後には、全部DEEP PURPLEになった。

ブラックモア
リッチー.ブラックモア


これは何を意味するか?

リッチーはビジネスに対して厳格なスタンスで臨んでいたゆえに、作曲関っていない人はクレジットに入れるべきではない、ということだろう。

しかし、他のイアン.ギランロジャー.グローバーはそんなに厳格に考えていなかったということだろう。

ゆえに、70年代DEEP PURPLEの作曲はほとんどの曲にジョンの名がノミネートしているにもかかわらず、84年の再結成以降は、厳格に作曲に関わった場合のみ、ということにしたかったのだろうリッチーは。

しかし他のメンバーとはスタンスが違う。

こういった軋轢ゆえに、93年リッチーの再脱退が起きたのだろうことは予想できる。

あの再脱退は、あたかもイアン.ギランリッチーの仲間割れという様相を呈していたが、それだけではなかったのだ。




余談だが、イアンリッチーは喧嘩別れで、もう一緒に話すことも不可能かと思いきやそうではなかった。

画像検索していたら、外国の雑誌で、2人が並んで表紙を飾り、そのインタビューも収められていたのを知って驚いたのだ。

やはりBURRN!以外にも食指を伸ばしておく重要性を感じたのだ。



再脱退後、BURRN!のインタビューで当然、リッチーイアンの批判を最初にしていたが、それだけでなく、ジョンの批判もしていた。

ジョンは、作曲をしないくせにクレジットを欲しがる。」ということである。

しかし、ジャミングで作曲するのは、まず最初にイニシアティブを握っていたメンバーが演奏をしてみる。 そのイニシアティブのメンバーがイアン.ギランリッチー.ブラックモアロジャー.グロバーだったのだろう。

そこに合わせるように、他のメンバーにこれこれこういう演奏をしてみてくれという指示を出す。

それで言われたプレイヤーは奏でてみる。

このようにしてできた曲が、その指示されたプレイヤーも作曲したメンバーに入れるべきかどうかは、判断に困るのが正直なところだ。

どの程度加えたかにも関係してくるし、そこで新たなリフやメロディやフレーズを盛り込んだら、作曲者にノミネートされてもいいのだろうが、それも程度によるだろう。

こういったその内情を実際に見ていたわけでない私には判断がつきかねる。

しかし、リッチーが再脱退した後のアルバムは、どれも「All Songs Are Composed by DEEP PURPLE」と書かれているいうのはどう考えても不自然のそしりを免れないだろう。


  DEEP PURPLE 98


それに、ジョンのソロを聴いても、いまいち作曲能力があるようには見えないし、そのソロアルバムのコンセプトからして、自分がメインになって1つの曲を全体的に構想を練って、ほとんど作れるような力があるようには見えないのだ。

その是非は問わないが、やはり瞠目すべきキーボーディストといわれるためには、自分がイニシアティブを握って曲のほとんどを作ってしまう能力があることを知らしめてくれなくては説得されることはない。

そのためには、やはりソロ作を作り、出すことだろう。

それを確認すべく、先の『未完成バッハフーガ』を聴いたのだが、何の耳朶を引くものはなかったのだ。

ジョンの場合は、既存のものに手を加える程度の力しかないのだろうと思う。

ミュージシャンたるもの、自分の思いを表に出したい、自分のうちから湧き出てくるフレーズやリフ、メロディを表に出したいという思いが出てきたからこそ音楽家になり作曲家になるのではないのだろうか?

これまでに先人が引いた道をなぞるだけでは物足りないから自分のうちから湧き上がるアイデアを形にしたいと思い、それを店舗という形で出して、それを実行する。

それが経営者というものであろう。





そういう思いがない人は経営者はつとまらないし、そもそも経営者になりたいとも思わないだろう。

そういう人は長く勤めても、店長やマネージャーにしかなれない。

これまでの先人がしてきたことや、上層部から発せられたものだけをこなしていけばいいのが店長や従業員といった雇われ人だ。

それと同じように、他の人が書いた曲を演奏するだけでいい、そもそも自分は曲が書けないという人は単なるミュージシャンだ。 作曲家にはなれない。

経営者は、次から次にアイデアが浮かんでこなくては務まらない。

飲食店ならばいろんなメニューやサービスがどんどん浮かんでこなくてはならないし、マーケティングも虚心坦懐の常に学び続けて、自分のお店に適応させて、試行錯誤を繰り返さなくてはならないのは言うまでもない。

作曲家も、曲や歌詞が普段何気なく生活していく中で、無意識のうちにどんどん浮かび上がらなくては務まらないのは言うまでもない。

そしてできた曲が、多くの人の心をとらえられなくてはいけないのだ。

経営者雇われ人

作曲家単なるミュージシャン

これは同じ対比の構造になっているのがわかる。





しかし、これは断っておかなくてはならないが、作曲家がよくて単なるミュージシャンはだめ。

経営者は素晴らしくて、雇われ人はだめ、ということを言っているわけではないのだ。

作曲家にできて単なるミュージシャンにできることは往々にしてあるだろうし、経営者も同様だ。

社会は様々な要素で成り立っているわけで、作曲家経営者だけで成り立っているわけではないのだ。

しかし、作詞をしないシンガーの歌はソウルが感じれないので感動できないし、作曲のできないミュージシャンの音楽もソウルが感じれないから感動できない。

ゆえにどちらも評価できないのだ。

しかし、困ったのは私はシンガーの歌に一番食指が動いてしまうのだ。

天才的な曲を作るミュージシャンでありながら、それ故に自分で歌詞も書いてしまうバンド、例えばROYAL HUNTDREAM THEATERは、いずれもバンドの中心人物が曲のみか歌詞まですべて書いてしまうがゆえに、シンガーがどんなに巧くても感動できないのだ。

dream theter
 DREAM THEATER


そして、いつしかファンを辞めてしまっていたのだ。

アンドレ.アンダーセン(ROYAL HUNT)、ジョン.ペトルーシ(DREAM THEATER)はともに天才的作曲能力をもっていて、作詞までほとんど全部こなしてしまうがゆえに、聴いても私は感動できずじまいだったのだ。

作曲していないミュージシャンのプレイは感動できないし、作詞していないシンガーの歌は自分の書いた信条や思いが入ってないのでやはり感動できないのだ。

私が一番理想と思っているのは、ミュージシャンが作曲をして、それにとてもマッチした歌詞をシンガーが書くというスタイルだ。

またミュージシャンとシンガーが共同で曲を作り、シンガーが歌詞を書く、というのでもいい。

また、シンガーが作詞と作曲を両方担当するというのでもいい。

こういった自分の信条を分析すると、見事に符合するのだ。

POISON,RATT、CINDERELLA、FIREHOUSE,WHITESNAKE、NIGHT RANGER、TEN、JUDAS PRIESTMETALLICANICKELBACK、EMPERROR、FOREIGNER、WINGER、HIMといったバンドだ。

nickelback.jpg


これらのバンドは、楽器プレイヤーが作曲をし、シンガーが作詞をする。

あるいはプレイヤーも作詞をしたり、シンガーが作曲もしたりする。

ゆえに、音楽も歌も感動できるのだ。

ビリー.ジョエルリチャード.マークスポール.マッカートニーはシンガーではあるが、作曲もすべてほとんど自分でこなしてしまうマルチプレイヤーだ。

この3人も、30年以上愛聴してきた。

これに倣うと、やはりアンドレ.アンダーセンジョン.ペトルーシも楽器をこなしながら自分で歌も歌うということをしていれば、私の求めるスタイルとフィットして、感動できたことは間違いない。

そしてファンになっただろう。

しかし、それはROYAL HUNTやDREAM THEATERは曲があまりにも難易度が高く、プログレッシヴゆえに難しいだろうか…。

秀逸な曲を自分だけでほとんど作ってしまえるキーボーディストならばHR界最高峰といえると私は思う。

ならば、それは間違いなくアンドレ.アンダーセンだろう。

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 アンドレ.アンダーセン


キーボードの腕もさることながら、作曲能力もかなりの程度秀逸だ。

それは以下の曲を観れば一目瞭然だ。




しかし、私はROYAL HUNTの音楽は聴けない(笑)

それは彼が作曲のみならず作詞まですべてこなしてしまうから、シンガーがどんなに巧く歌っても感動できないからだ。

こんな私の意見は非常にわがままで気難しい要求だろうが、それが私のスタンスゆえに仕方ないのだ。

変えようにも変えられない(笑)

ならせめて、秀逸なプレイヤーのインストのソロアルバムなどを聴けばいいだろうというように必然的になる。

アンドレジョンのソロアルバムはそれぞれ出ているが、いずれもインストだけだ。

歌が入っていないのだ。



  ジョン.ペトルーシ


こういうアルバムはほとんど聴く気になれない。

心清む音楽を奏でた感動的なゆったりとしたインストならば愛聴盤になるのも可能だ。

そこで思い浮かぶのは、やはりケヴィン.ムーア在籍時のDREAM THEATER“Eve”だろう。

これはアルバム『AWAKEの初回限定盤にミニCDとしてついていたが、28年前ということもあり、かなり入手は難しい。

ならば、一番可能事なのは、ゆったりとした曲をキーボードを奏でながら、その演奏者が歌っている曲だろう。

それは、ゆったりとした曲であるならば可能だ。

しかし、それはHRやHMという土壌では無理だ。

しかし、ロック、ソフトロック、AORという土壌では可能だろう。

ならば一番のお勧めはビリー.ジョエルだ。


   ビリー.ジョエル


これほど夢中にさせてくれたピアノマン兼シンガーはそうそういないだろう。

そういう感慨でいる人はかなりの程度いることは間違いない。

いつ聴いても、この人の音楽は感動が必然的に呼び起こさざるを得ないのだ。




ゆえに、この人の音楽は勧めたいのだ。

興味ある人は以下より購入することをお勧めしたい。
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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(コラム)MOTLEY CRUE,DEF LEPPARD,POISON,JOAN JETTによる今年のツアーを歓待する。しかし、一番のメインは?

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MOTLEY CRUEが復活した。

2015年の引退からの、数年を経ての復活だ。

HRをこよなく愛する人には嬉しい事態だろうことは間違いない。

しかも、今、DEF LEPPARD、POISON、JOAN JETT AND BLACK HEARTSを前座にしてドッキングツアーがアメリカで刊行されているのだ。

しかもかなりの大きい規模のスタジアム会場だ。

こんな素晴らしい組みあわせは、80年代のHRの全盛期を青春として過ごした人にはかなりの程度嬉しい事態でもあろう。








こういう涎モノの組み合わせは、日本ではなかなか実現できないできたのも実情だった。

2008年DEF LEPPARDWHITESNAKEという組み合わせで来日公演が実現した。

この2者の組み合わせは、この後も欧米で実現したにもかかわらず、日本では別々にきて公演することになってしまったのだ。

そのコンサート業界の内部事情についてはわからないのだ。




AEROSMITH
KISSとの組み合わせが、アメリカで実現したが、これも日本では実現せずじまいだったのだ。

しかし、今回のMOTLEY CRUE、DEF LEPPARD、POISON、JOAN JETT AND THE BLACKHEARTSの組み合わせでの来日公演が実現したらかなりの大規模な興行になるのは間違いない。

MOTLEY CRUEのメンバーは、このツアーの刊行を日本や韓国といったアジアでも実現するように考えているようだ。





私も、この組み合わせで来たら絶対に行くのは間違いない。

しかし、DEF LEPPARDも、いいメロディを擁したバンドだが、大ファンにはなれなかった。

速弾きなど一切ない手なりのギターソロしかないのでいくら聴いてもあまり興奮しないのだ。

ゆえに、私はPYROMANIAHYSTERIAというこのバンドの2大ヒットアルバムを所有しているがほとんど聴いた思い出がないのだ。

自分好みのメロディが満載なのに、なぜ大ファンになれなかったのかを考えていたが、分析していたところでわかったのだ。

速弾きをしていないバンドは、自分はそんなに好きになれないということを。

ならMOTLEY CRUEは超スゴテクをこなすギタリストがいるが、どうだろうか?

このバンドも大ファンにはなれなかった。

オリジナルメンバーでの来日は97年以来何度かあったが、行かずじまいだった。

それは自分でも不思議だった。

80年代の彼らのアルバムはどれもよく、興奮を抑えきれない超絶なテクをギターで披露してくれて、それをきいて興奮してきたにもかかわらず来日公演が告知されても、心の中で留保しながら結局行かずじまいだったのだ。


girlsgirls


それはある時、わかった。

このバンドの作詞作曲のイニシアティブは、ベーシストのニッキー.シックスが握っており、彼がほとんどを書いてしまうのだ。

それでシンガーのヴィンス.ニールの出番はなかった。



ヴィンス.ニール


ヴィンスのぶっ放したヴォーカルは、このバンドの曲を活かすに最適な武器であったが、それほどファンにはなれなかったのだ。

不思議に思い、何気なく、このバンドのウィキペディアを見ると、ヴィンスの出番はほとんどなかったのだ。

作曲ではちょこっとするのみであったのだ。

それがこのバンド内での暗黙の了解だったのだ。

しかし作詞能力があることは、彼のソロアルバムのクレジットを見ればわかる。

しかし、MOTLEY CRUE内ではできなかったのだ。

しかし、他人の書いた歌詞に感情を100%込めることなどできる相談ではなく、やはりそれ故に、シンガーが作詞をする他のバンドの曲の方に私は意識がいってしまっていたのだ。

これまで曲も、歌もとてつもなく素晴らしいが、なぜがそれほど興奮できず、ゆえに愛聴盤になれなかったアルバムを紐解いてみるとやはりシンガーが作詞を担当していないということがわかったのだ。

YNGWIE J. MALMSTEENTRILOGYしかり、ROYAL HUNTPARADOXしかり、JUDAS PRIESTJAGULATORしかりである。



TRILOGY


テクニックがあって、曲もいい。

しかしそれだけではだめで、シンガーが作詞をしなければならない。

実に気難しいわがままな要求であるが、そうでなければ私は興奮しないし感動もしないから仕方ない(笑)。

そういうものこそが真に興奮を私から呼び起こすのだから。

シンガーが作詞していないバンドはだめだし、聴けない。

一度、そういう定義づけをしてしまうとなかなか、それを変えることができなくなってしまうのだ。

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人間関係でも一緒だ。

例えば、私が楽しい話しをふったり、その人をほめることをしても、その人が自分を貶すことしかしないでいたり、マウントをとってきたりする人には、一切はなしをしないことにしている。

もちろん、挨拶もかわさない。


それでも、そういう人は人との心の交流に関心がないから、そうしても全然傷ついている様子はないから安心している。

しかし、音楽において好みでフェイバリットになっているバンドはそういう結果になっているし、頑固でいただけないと思われてしまうだろうが、変えようにも変えられないからそこは勘弁いただきたい(笑)

JOAN JETTはソロを開始したのが80年の昔なのだ。

ということは、DEF LEPPARDとデビューが一緒なのだ。

しかし、出番は一番最初。

ちょっと面目ない感じだが、それでも全米ゴールド以上のアルバムは3枚あるのだ。

これには驚きだった。

この人のことは知っていたが、こういった実績のあった人とは知らなかった。

このようなギグが行われたからこそ、この人に関心を持つことになり、またも趣味の幅が広がり、人生が楽しくなる。

ゆえに、音楽フェスティバルは、契機としては凄くいいのだ。





もうチェックして音楽サイトにいって、某アルバムをカ-トにいれたのだ。

これがよかったら、このアルバムについてここで書いてみたいとおもっている。

しかし、今回のギグが日本で実現したら、私がメインにしてみたいバンドはPOISONであることは間違いない。

パーティバンドと揶揄されることもあったが、曲つくりや演奏はしっかりしているし、歌声は非常にマンリーだ。

その肝心な歌詞もシンガーが書ているがゆえに、自ずと集中して聞いてしまうし、ゆえに感動も自然としてしまうのだ。

ゆえに私はこのバンドのことはこのブログで自発的に書いてきたのだ。


ポイズン


魅力的に自分には映るから来日公演を渇望してきたが、30年以上日本に来ていない。

このバンドが最後に日本にきたのは89年に昔にさかのぼる。

セカンドアルバムであるOPEN UP AND SAY…AHH!』が、シングルの“Every Rose Has It's Thorn”が全米で1位を獲得して、500万枚を売る結果になり、その人気が日本にも波及した。

“Every Rose Has It's Thorn”
  ↓



そして東京では日本武道館2デイズが実現した。

その時の公演日程は以下。

POISON 89‘ 来日公演)
6月20日 日本武道館
6月21日 日本武道館
6月24日 横浜文化体育館
6月26日 名古屋市公会堂
6月27日 大阪城ホール

OPEN UP AND SAY…AHH!』は以下。
  ↓
OPEN UP AND SAY…AHH!

OPEN UP AND SAY…AHH!(輸入盤)


次のFLESH AND BLOODも好調で、日本の90年の年間の総合売り上げでも10位以内に入る活躍をした。

それでもなぜか日本に来ずじまいだった。

次のアルバムでも来ずじまい。

しかも、アルバムを出すごとに売り上げは落ちていくばかり。

しかし、デビュー作からサードまでがいずれも全米でマルチプラチナムを獲得したゆえに、それが名声になり、世界各国でこれらは売れ続けている。

ゆえに印税としてメンバーに普通の人以上にお金が入ってくる。

となれば、血眼になってアルバムを作らなくなるのだ。

必然であろうか。

2007年POISON'Dを出して以来、まったくアルバムを出す気配がないし、ベストアルバムを何枚も出しながらツアーを刊行するのみであった。

80年代に隆盛をほこったHRバンドを集めたギグにおいてPOISONは常にトリをつとめてきた。




次に甘んじたのはRATTCINDERELLAだった。

そのPOISONRATTの2つのバンドの演奏を収めたブートを何度も見てきたのだ私は。

その当のバンドが2つ一堂に会したイベントだったのだ。

80年代のBURRN!の某号で「RATT,POISON Drummer Sells…But Who's Buying」などと揶揄したことが書かれていた。

それはこの2つのバンドのドラマーのリズムが悪いし、ライヴ時にそれが露呈されることがあったからだ。

しかし、この2バンドは、レコーディングでは一級品の技だ。

しかし、ライヴではテンポがずれることがままあることは認めなくてはならないのは、ブートを観ればわかる。

それでも、調子のいい時は、そのずれが全く感じれないときもかなり多い。

そういったことを鑑みれば、そんな批判すべきことではないだろう。





そんなにこの2バンドを批判するのであれば、世界一のギタリストと称せれらながらも、ピッキングとフィンガリングがちぐはぐで、夢中になるメロディを全く持ちあわせていないリッチー.ブラックモアをこそ批判すべきではないだろうか?

HR界最高峰のキーボーディストと称せられながらも、作詞作曲をほとんどしないにもかかわらず、作詞作曲のクレジットを欲しがり、そんな大した技もないジョン.ロードこそ批判されるべきではないだろうか?

共に元DEEP PURPLEのメンバーだ(笑)

まあ、話がずれてしまった。

非常なファンだったのに、30年以上日本にこなかったがのでそのライヴを生で見れずじまいだったゆえに、POISONが一番観たいということではなく、それも理由の1つであるが、何よりも曲とヴォーカルが素晴らしくて、自然と感動してしまったのだ。

テクも高いし、興奮せざるを得なかった。

ギタリストのC.Cデヴィルの評価をもっと見直されてもいいくらいだ、というのが正直なところだ。

このような考察をしてしまうのはひとえに、このバンドが素晴らしいからだが、結果、MOTLEY CRUE,DEF LEPPARD,POISON、JOAN JETT AND THE BLACKHEARTSが来ないで終わったら、間抜けそのものに見えるだろうが、そんなことは関係ない(笑)。

ただこういったHRの考察が好きだからしているだけのことである。

●以下、POISONの魅力を即座に発見できるベスト盤を紹介しておきたい。
   ↓

●以下のサイトでも取り扱っています。
  ↓

タワーレコード

【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD

今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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HR/HMの醍醐味を維持しているLACUNA COILの『DELIRIUM』は日本のキッズに見直してもらいたい?!!

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今、自分にとってイタリアLACUNA COILは注目に一番熱い感じだ。 プログレッシヴメタルは、1曲の時間が普通よりも長いのが特徴だ。

やはりドラマ性を含んでいるのだ。

しかし、それはかなりの技量がいるし、作曲能力に天才的な能力を持っているアーティストでなければ無理な話しだ。

今は、一概にこのバンドは〇〇メタルだ、というカテゴライズは難しいほど、いろんな要素をいろんなバンドが有するようになっているのだ。

ゆえにいろんなバンドがプログレッシヴメタル的な要素を持っているのだ。

ことLACUNA COILもだ。


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  LACUNA COIL



そういうバンドは、作曲能力も高いし、演奏のレベルも高い。

しかしそれだけでいいかというとそうでもないのだ。

心底夢中になるほど感動できるプログレッシヴという要素を持っているバンドで感動できるのは少ない。

その要因を探ると、やはりシンガーが歌詞を書かない、ということが挙げれる。

それゆえに、心底感動できることが少ないのだ。

これまで、いくら音楽が秀逸でも、シンガーが歌詞を書かない場合は私は感動できないということをここで書いてきた。

やはり他人が書いた歌詞は、書いた人の思いや主張、主義などが盛り込まれているがゆえに、他人が歌ってもそこに感情を100%込めることなど不可能なのだ。

それ故に、私は他人が書いた歌詞を歌うシンガーのバンドは感動できず、いつしか疎遠になり、中古盤屋に売るということを繰り返してきたのだ。

その最たる例がROYAL HUNTだ。


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  ROYAL HUNT


このバンドは、キーボーディストであるアンドレ.アンダーセンがバンドのイニシアティブを握り、どのアルバムでも全部作詞作曲を担当してきたのだ。

この人の音楽的な能力は天才的だ。 作曲能力にしろ、演奏力にしろ。


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アンドレ.アンダーセン


その才能の云々をしているとかなりの字数になるので詳細は書かないが、そのドラマティックで、壮大な世界観にはこのバンドを知った当初は圧倒されまくりだった。

しかし、私はいつしか疎遠になってしまっていた。

そんな天才的な音楽を作り、それに加えて天才的なシンガーであるDC. クーパーという天才的なシンガーが歌えば、鬼に金棒といった観を呈するのだが、何度も聴いたが感動のレベルがそれほど上がらず、ライヴに足を運ぼうという気を持つまでにはならなかった。

そのDC以外にも、このバンドにはジョン.ウェストマーク.ボールズといったHR/HMをかじったことのある人ならだれでも知っているほど有名かつ強力なシンガーが在籍していた時期もあったのだ。

それらの時期にも同様にそれほどの感動は呼び起こさなかった。

それはのちに明らかになった。

某バンドのアルバムを何度も聴くが、集中できないし、ゆえにも感動もできない。

それで、何気なくそのアルバムのライナーを見ると、そのシンガーが歌詞を書いていない。

ゆえに、感動できないということがわかったのだ。


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歌詞を書いていないシンガーのバンドは、いくら音楽がよくとも感動できない。

シンガーが歌詞を書いているか書いていないか、歌を聴けばわかる。

ちっぽけだが、そういう能力が私にはあるようだ。 それで、いろんな、音楽性は素晴らしいが、疎遠になってしまったバンドを洗いざらいしてみると、やはりシンガーが歌詞を書いていないことが判明したのだ。

MOTLEY CRUE、DANGER DANGER、SKID ROW、THUNDER、LIONVILLE、FAIR WARNINGDREAM THEATER,NIGHTWISHリッパー在籍時のJUDAS PRIEST、そしてROYAL HUNTはシンガーが歌詞を書く能力がない、あるいはバンド内の事情で書けないゆえに感動できない、ということがわかったのだ。

いくら音楽が秀逸でも、シンガーが歌詞を書かない場合は感動はできないのだ。

スピーディかつヘヴィ、そしてドラマティック…こういった要素を持ったバンドほど私の食指を動かすものはない。

しかし、そんな素晴らしい音楽性をもっていても、シンガーが歌詞を書かない、あるいは書けない場合は、やはり感動できないのだ。

ゆえにROYAL HUNTのあの超名作であるPARADOXでさえも、私は心底感動できずじまいだったのだ。



PARADOX


やはりプログレッシヴなメタルの要素を擁するバンドは、大抵がギタリストやキーボーディストが作曲をしている。

そのプログレッシヴな曲の構成を脳内でしているのだから、当然そのプレイヤーが歌詞も書くのだ。

その結果、そのバンドのシンガーがその歌詞を歌うことになるが、自分で書いた歌詞ではないために、感情がそれほどこめられず、結果、それを聴いている私は感動できずじまいということになっていたのだ。


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その曲を構成している人と、歌詞を書く人の脳内構成が一致することはまずないので必然といえば必然であるが、それでは感動はできないのが当然だろう。

しかし、ことLACUNA COILは、その脳内構成がメンバーがほとんど一緒なので、作曲をするのも歌詞を書くのもメンバーが全員でするのだ。

その結果、聴き手である私が感動するということになっているのだ。

こういうバンドはかなり稀有であるがゆえに、離したくはないバンドであることは間違いない。

プログレッシブという要素は、やはりだれしも興味深いものだ。

やはりドラマティックな曲を聴くことで冒険心を駆られるデジャヴが味わえるからだ。

そして日常生活では味わえない未知の世界へ自分を誘ってくれるのだ。


それによって心が高揚することは間違いない。

しかし大抵のプログレッシヴなメタルバンドは、作曲者である楽器プレイヤーが作詞までになってしまうがゆえに、私はほとんど感動できずじまいだったのだ。

実に嘆かわしいことであった。

しかし、その瑕疵を見事に取り払って素晴らしいプログレッシヴな要素をふんだんに盛り込んだメタルを展開してくれたバンドがほかならぬLACUNA COILだったのだ。





このバンドの作品は、KARMA CODEBLACK ANIMAをこの場で紹介したが、今回紹介するのは8枚目のDELIRIUMだ。

初めから耳をそばだてざるを得ない出来だ。

1曲目の“House Of Shame”は、2人いるシンガーのうちの1人であるアンドレア.フェロによるブラックメタルばりのシャウトで始まる。

あまりに嗚咽な観が強いので、一瞬引くかもしれないが、そういったサプライズこそがHR/HMの醍醐味のはずだ。

曲が進むごとに、ベースの躍動感が目立ち、それが聴き手にどうしても高揚感をもたらす。

前に紹介したBLACK ANIMAでも気づいたが、このバンドはこのベースのメロディが、曲をけん引する。

そこに、冷悦なキーボード音がコラボして、ドラマ性を帯びたサスペンスミュージックを構成するのだ。

こういう音に引きこまれたら、やはりノックされるほかないのだ。

クリスティーナ.スカビアののびやかで甲高い声も健在だ。



クリスティーナ.スカビア


そのドラマ性のある音楽はその手の音楽を好む人にはたまらない構成のはずだ。

次の“Broken Things”も、やはりベース音がこだまし曲をけん引し、そこに冷悦なキーボード音が銀世界の自然界の風景に誘ってくれるのだ。

こういったデジャブは快感だ。

こういうドラマ性を持った楽曲は、やはりかなりの程度巧いシンガーとプレイヤーを擁さないことには不可能なことだ。





●“Blood,Tears, Dust
   ↓




そして、4曲目の“Blood、Tears、Dust”のスピーディさに気づくと、いやが応でも心が反応する。

多層にわたるデジタル音を奏でながらの、曲展開に幾層にもわたるベースとギターの掛け合いの妙に興奮を隠せない。

そしてプログレッシブさもある。

哀愁漂いながらもデジタリックな音のコラボの具合が非常に巧みにつながれる次の“Downfall”では、マイルズ.ケネディがギターで、ゲスト参加している。

この人は、ALTER BRIDGEのギタリストだ。

その技ぶりは、リッチー.サンボラが往年のBON JOVIで80年代に見せたフレーズを展開している。

そういう味が、この曲を盛り立たせている。



マイルズ.ケネディ


この曲によって彼の魅力に魅せられて、今度はALTER BRIDGEにも興味がわいて、そのCDも買いたくなる。


●“You Love Me 'Cause I Hate You
   ↓





次の“Take Me Home”も、また次の“You Love Me ’Cause I Hate You”ミドルテンポながら哀愁が漂い、デジタリックなSE音が余計にドラマティックな観を増幅することに貢献している。

SEのみならず、ギターでもそういう音と見まがうアレンジになったフレーズを作り出しているから驚きだ。

作曲能力とプロデュース力の高さに驚きだ。

バランスの良さもやはり見逃せない。

ミドルで3曲続いた後に、スピードのある曲をつなげることで、聴き手に高揚感をもたらすのだ。

次の“Ghost In The Mist”やその次の“My Demons”はスピーディだが、このバンドの持ち味のベース音による高揚もさることながら、デジタリックなギターとキーのフレーズも盛り込まれている。

見事なコラボ模様が描き出されている。





哀愁と冷悦なキーボード音が、このアルバムでのこのバンドの持ち味といっていいだろうと思うが、それを踏襲している“Claustrophobia”でそれを確認できる。

そしてさらにその味を突き詰めたUltima Ratio”でこのアルバムは幕を閉じる。

非常に感動的な閉じ方だ。

こういうドラマ性を秘めてのアルバムは称賛に値する。

このアルバム発表後、LACUNA COILは、日本のLOUD PARK 16』に参戦した。


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 『LOUD PARK 16』


だが、メインステージの5番目の出演だったのだ。

しかし、過小評価もいいところだ。

これまでに素晴らしいアルバムを量産してきたにもかかわらず、これだけの評価して受けてこなかったのは。

このアルバムは故国では11位を記録したが、日本のオリコンでは114位で終わった。

楽曲のすばらしさを妥当に評価できる日本のHRキッズらしからぬ売り上げだった。

このページがこのバンドを見直す結果になってくれればと思う。

私のHR/HMの評価軸は,ヘヴィかつスピーディ、そして楽曲の作曲能力に優れていて、演奏力も高いこと。

そして、シンガーが作詞を担当することである。


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私の評価軸にだけこだわっているのは滑稽と映るかもしれないが、妥当な軸ではないだろうか?

LACUNA COILは、ヘヴィかつスピーディ、そして歌唱も演奏も一切ぶれない技巧派、そして壮大なビジョンを聴き手に想起させる音楽的な世界観を有し、そしてシンガーが自分で作詞をしているがゆえに、歌からもハートやソウルが感じれいつまでもアルバムを通して何度も聴ける。

アルバムが終わっても、聴き足りなさが襲ってきて、何度も聴きまくるのだ。

こう言った要素こそが、音楽には不可欠なのではないだろうか?

そして、こういった要素が欠かせずにあるからこそ、聴き手を感動させることができるのではないだろうか?

やはりここまで考えて音楽を論じる人はいないのだろうか?

これまでLOUD PARKなどで、MEGADETHSLAYERといったヘヴィメタル界の大御所といわれたバンドのライヴを実感してきたが、やはりノレずじまいだった。


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往年のヘヴィさが希薄化し、スピーディさも希薄化してしまい、聴き耳を立てざるをえないメロディもなくなってしまったこれらのバンドに感動することはできなくなってしまっていたのだ私は。

しかし、それに代わるように、EMPERRORANAAL NATHRAKH、そしてこのLACUNA COILが、これらのバンドが失ってしまった特長を補い、それら以上にパワーアップし、魅力もアップしたアルバムを量産してきたにもかかわらず、それほどの注目はされないまま時間が過ぎてしまっている。

やはり自分の評価軸と世間のそれとは隔たってしまっているのだろうか?

かなり難しい問題である。

しかし、この評価軸に賛同してもらえる人には、ぜひともこのLACUNA COILDELIRIUMはお勧めである。

●このアルバムは以下よりどうぞ。

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●以下のサイトでも取り扱っています。
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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