イングヴェイ.マルムスティーンはギタリストとして孤高の存在である。
ギターの手腕もさることながら、作曲者としても、ステージ上のパフォーマンスや、自身から発するオーラといった存在感に至るまで、この人の右には出る者はいないだろう。
彼のおはこは速弾きであるが、それも単なる速弾きではなく、 彼の速弾きについてソウルがないと批判する人に対して「それはジェラシーだと思う、俺は誰よりもソウルをこめて演奏している」とインタビューで言っていたのを覚えている。
それが事実かどうかは、聴いてみればよく分かるだろう。
やはり聴いているだけで、心奪われてそれまでの行動を私は止めて聴きいってしまうのだから。
ソウルのない演奏ではこのような状態にはならないのが明白だ。
それに彼の創り出すメロディの良さは、速弾きだけでなく、アコースティックギターによる伴奏からも一目瞭然だ。
ヘヴィメタル=うるさい音楽という図式を脳内にはめていた人間に、『ECLIPSE』収録の“Save Our Love”を聴かせたら、感動して聴き入り、その固定観念を即座に取り去った一事件があったのだ。
『ECLIPSE』
このバラードはイングヴェイ史上はもちより、HR史上かなり秀逸なバラードである。
そんなバラードを作り出せるのみならず、“Icarus' Dream Suite Op. 4”から“Air on the G String”をアコースティックギターでライヴ上で奏でるそのメロディにもまた、それまでの行動を止めて聴きいってしまうのだ。
この感動的な場面は、『LIVE IN BUDOKAN』で見る事ができる。
速弾きのみならず、どんな場面でも人を感動させることができる、それがイングヴェイなのだ。
そんな音楽面だけでなくライヴのパフォーマンスも批判のしようもないほど素晴らしいのだ。
速弾きも多く、テクも要する曲が多いゆえ、ただでさえ演奏するだけでも大変なのにもかかわらず、ステージ上を左右に動き回り、それのみならず、ギターをまわしたり、弦を歯で弾いたりするパフォーマンスをみると、疲労していても興奮してしまうのだ。
ライヴに足を運べば、テンションは上がったまま維持されることは当然だ。
ミュージシャンだからといって音楽を奏でることだけに集中していればいいというものではない。
ライヴなのだから、その文字通りに姿を、しかも生き生きとしたものを見せながら、観客を愉しませなければ意味がないというのが私のモラルである。
しかし、彼の人気が高いのは、ここ日本や本国スウェーデンを含むヨーロッパ諸国であって、アメリカやイギリスではいまいちなのは明白だ。
不思議である。
ネットでは画像検索なるものがあって、興味が赴くまま検索していると意外なものが取れるのだ。
「MONSTERS OF ROCK」で検索をかけると、これまでのいろんな国で行われた、いろんな年のこのフェスの画像が出てくる。
するとブラジルで行われたこのイベントで、イングヴェイが参加した時のポスターの画像が出てきたのである。
その時のイングヴェイは、非常に早い順での出演であった。
この年のこの地でのもののみならず、他の年の他の地での出演順も同じようなものだったのは否定できない。
これほどの演奏力と作曲力を持っていながらなぜ?と私を含め彼のファンは思うのが当然だろう。
しかし、ドイツの『MONSTERS OF ROCK』でトリになったRITCHIE BLACKMORE'S RAINBOWの映像がオフィシャル化されたこととは対比の構造になってしまっているのだ。
しかし、かたやリッチー.ブラックモアはうまいのか、と言われればそんなことは全くないのだ(笑)
ピッキングやハンマリングとフィンガリングはチグハグだし、感動するフレーズやリフなど私はリッチーから感じたことはないのだ。
この人を知ったのはもう30年以上も前の話になる。
学習塾で知り合った同学年の他校の生徒とHRの話をして、リッチーの話になった。
すると、この人が「世界一のギタリスト」という称号を持っていることを知った。
そのプレイをRAINBOWの『RISING』をウォークマンで聴かせてもらった。
なんていうことはないというのが正直な感想であった。
それから高校になり、バイトをして稼げるようになると、レコードやCDを自由に買えるようになり、当然RAINBOWやDEEP PURPLEの中古盤を片端から集め、そして聴いた。
どれも感動するものはない。
やはり演奏のレベルは低いし、正確性も低い。
世界一のギタリストなのだから、そのうち良さがわかるだろうと思い、いろんなリッチー関連のモノを鑑賞するが感動できず、ライヴにも足を運ぶも感動できずじまいだったのだ。
それで関心が薄れ、聴かずじまいだったモノをどんどん売りに出してしまい、今ではリッチー関連のもので主有しているのはDEEP PURPLEのモノが4枚、RAINBOW関連のモノがわずかに1枚、それだけである。
やはりそういう称号を持っているだけで関心を惹き、そして買わせることになるゆえに、称号を冠された人は良いなと思わざるを得ない。
そんなリッチ-へのスタンスゆえに、記念すべき80年の『MONSTERS OF ROCK』のライヴが初のオフィシャル映像になった時にも私は興味が喚起されず、買わずじまい。
2016年のモノも同様な心の反応だった。
しかし、リッチーの主要なキャリアであったDEEP PURPLEはこれまでに、アルバムとシングル合わせて全世界で1億枚を売ったのだ。
それにイングヴェイが卑下するジミー.ペイジのキャリアであるLED ZEPPELINは3億枚である。
かたやイングヴェイはどれくらいであろうか?
おそらく2000万枚くらいであろうか…そんなところだと思う。
全然、この2つのバンドには足が及ばないのだ。
しかし、どう考えてもイングヴェイのほうが、演奏のうまさや作曲力でも孤高なほどの開きがあるのは明白であろう。
ここで、人気を博したバンド、要するにこれまで世界で1億枚前後を売ったアーティストの特徴を調べたことがあるが、それで分かったのは、多く売れたアーティストは、共通して難しいテクを擁さない、ということである。
人間だれしも音楽にのめりこむと、そのアーティストの真似をしたくなって、ギターやベース、ドラム、ピアノといったものを買い、そしてコピーする。
その際に、難しいプレイをしないアーティストのであればすんなりコピーができて、何曲も演奏できるようになり、そのアーティストとの親近感が生まれ、アルバムを買い続け、聴き続け、そしてライヴに足を運ぶようになる。
そしてこの過程で、人気を永続し続けることになるのだ。
しかし、あまりに難しいプレイをするアーティストのでは、コピーができないまま時が過ぎて、親近感が得られず、いつしか疎遠になってしまうのだ。
憧れの存在が時の経過とともに、疎遠になってしまい、そしてついには憧れすらも抱かずの状態になってしまうのだ。
この事態が正しいのかどうかは「最も売れたアーティスト」という文字検索をかけてみるといい。
1億枚以上売れたアーティストのほとんどは、速弾きをしないのだ。
例外的にBON JOVIやMETALLICAがあるのみである。
やはり売れるためには、難しいプレイなどはしてはならないのだろう。
そのような理由で、イングヴェイは高い演奏力や作曲力を持っていながら、あまり売れないでいるのだろう。
ゆえに、イングヴェイはフェスでもトリにはなれないでいるのだろう。
わずかに日本の『LOUD PARK 14』においてトリになったのを記憶するのみである。
イタリアの『GODS OF METAL』にしろ、イギリスの『DOWNLOAD FESTIVAL』にしろ、かなり早い順での出演であった。
私には信じれない事態である。
リッチーにしろ、LED ZEPPELINのジミー.ペイジにしろ巧くない、いや逆に下手な部類に入ることは明白だ。
ゆえに親近感が芽生え、多くの人にレコード屋CDやビデオを買うことにならせたのだ。
その他、いくら速弾きがかっこいいと私やイングヴェイのファンが思っても、感動できない人にとっては耳障りなのかもしれない。
だが、それほど売れていない、という理由でそのアーティストのファンをやめることはしないのだ私は。
人と比べてではなく、自分が触れることですぐさま興奮するような状態になるアーティストを聴くことが趣味の永続につながるのだ。
人気があるから聴いてみようというのは良いが、それだけをモチベーションにしていては、いつしか気疲れしてしまうからやめたほうがいいだろう。
88年の『METALLION』において、イングヴェイが特集で取り上げられていた。
インタビューもあり、生い立ちやこれまでのアルバムの紹介や来日公演日程まで事細かに書いてあった。
その時のレビューで、イングヴェイはリッチーを師匠として崇めていることが分かったのだ。
ゆえにリッチーと一緒であるストラトキャスターを使用しているということだ。
「ここまで巧い人が師匠というのなら…」という思いだったのだ。
それもまた、私がDEEP PURPLEやRAINBOWのモノを買う動機になったのだ。
また、当時の『BURRN!』の編集長だった酒井康氏や伊藤政則氏によるリッチーの偉大さなる論文まで書かれていることもまた、動機につながったのは間違いない。
ゆえに、感動しなくても買わなくては…という気になったのもうなづけるだろう。
しかし感動しないのに買い続けるという行為は、いつしか破綻する運命にあるのだ。
やはり人と比べてではなく、自分が自発的に感動するアーティストにはかなわなくなり、いつしか興味の対象になるのが必然なのだ。
酒井康氏は、DEEP PURPLEの大ファンであり、ゆえにHR/HMの雑誌を創刊する際に、その名としてDEEP PURPLEの名曲である“Burn”も元に、『BURRN!』という雑誌名にしたのだ。
その人が、やはりリッチーを崇めるのは当然だろうか。
しかし私は、巧くないし、いずれのプレイも感動しなしゆえにいつまでたっても崇める気にはなれないのだ。
イギリスのDRAGONFORCEは技巧派軍団である。
DRAGONFORCE
ギタープレイも、イングヴェイよりも速い。
しかし、私はそれほど好きになれない。
イングヴェイのような感動するメロがあまりないからだ。
そういう事情と一緒なのだろう、リッチーを好きになれてもイングヴェイを好きになれない人の好みとは。
そういう世代ギャップは存在するが、私よりも若い人で、リッチーを好きになれる人は多いが、イングヴェイを好きなれない人は多い、というギャップもまた存在するから、そこはカリスマ性の問題なのだろうか?
イングヴェイのほうがカリスマ性があるとは思うが…まあそこを問いただしても意味がないのだろうか。
しかし、いくら私がイングヴェイを孤高の存在と措定しても、無批判ではいられないのは実情だ。
1999年の『ALCHEMY』以降、ずっと凡庸なアルバムを出し続けている、ということは疑えない。
1回か2回聴いて、そのまま棚の中にしまったまま、月日がたち、いつしか無関心になり、そして中古盤屋かヤフオク、メルカリなどで売ってしまう、ということをそのアルバム以降繰り返しているのだ。
イングヴェイは、更年期障害になってしまっているのだ。
いつそのスランプからいつ抜け出せるのかは誰にもわからない。
このような障害になっていたにもかかわらず、RATTは約20年ぶりに全盛期をほうふつとさせる『INFESTATION』を発表してくれたことがあったのだ。
このような奇跡がイングヴェイにも起きることを期待しているのだ。
その際に、イングヴェイ.マルムスティーンのキャリアを俯瞰すると、こうなってほしいというのはやはり初期の作品であろう。 最初から90年までの作品は、どれも文句のつけようのない素晴らしいアルバムである。
それら作品をすべて網羅したお買い得の作品とした以下のモノをお勧めしたい。
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タワーレコード
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。