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フィンランドのマイケル.モンローの来日が決定していた。
2月6,7,8日とあるが、それぞれ、SHIBUYA-SPOTIFY O-EAST、NAGOYA CLUB QUATRO、UMEDA CLUB QUATROだ。
どれも売れ切れ寸前だという。
しかし、私がこの人を初めて知ったのは89年の事になる。
パンキッシュないでたちにルックス…私はパンクを基本的に好むところではないが、この人だけはダブルスタンダードが生じて、何か聴いてみたい気がしたのだ。
パンクが駄目だとは言うけれど、自分の好きなL.A GUNSだってそういうテイストを持っているし、たまには聴いてみるのもいいかなという気がしたのだ。
パンキッシュ…やはり、不満や鬱憤を、歌に出す、ゆえに感情的な歌詞にもパフォーマンスにもなるのは必然だ。
しかし、90年に買った『NOT FAKIN' IT』から数年後に、この人がアメリカ人ではなくフィンランド人であることを知って驚愕したのだ。
あんな感情的に歌詞を母国語でない言語で歌えて、聴いているコチラも感動できるの?ということで驚嘆であった。
90年から3年後に北欧メタルブームが起きて、これらの国の出身のアーティストが無数現れるも、無数に消えていったのだ。
その現象を見て、私は「母国語でない言語で歌うからソウルが感じれない。
だからファンからそっぽを向かれたんだろう。」と思っていたのだ。
しかし、そうではなかったようだ。
ことマイケルの例をみればわかるように、どこの出身であろうが、自分で作詞する人のであれば、英語で歌ってもソウルが感じれる、ということが分かったのだ。
そういった感情を言語に関係なく聴き手に感動をもたらすことができるものに関しては、いつまでも聴いていたいし、人に薦めたいのだ。
『NOT FAKIN' IT』は、そういった感動できる歌だけでなく、音楽性そのものが私には好意的だった。
そう、私の好みだったのだ。
時あたかもHRの全盛時代。
先のL.A GUNSはもとより、BON JOVI,GUNS N'ROSES,DOKKEN,WHITESNAKE,AEROSMITH,RATT,CINDRELLA、KIX、MOTLEY CRUE,DAMN YANKEESといったアメリカンなイメージを武器にしたハードロックバンドが、アメリカンチャートを賑わし、ゴールドやプラチナの売り上げを上げていたのだ。
ビルボードの200以内にハードロックアーティストは40前後がチャートインしていたのだ。
こういったテイストを『NOT FAKIN' IT』は取り入れて、素晴らしい音楽性に昇華させていたのだ。
『NOT FAKIN' IT』
それだけ素晴らしい音楽だったゆえに、何十回も聴き、その良さを人にも味わってもらいたく思い、カセットにダビングしてプレゼントさえしていたのだ。
しかし、なぜかは自分でもわからないが、次のアルバムは買わず、チェックもしなくなる…理由はわからないが、こういうことは趣味を続けていれば、誰しも往々にしてあるのではないか?
次のアルバムからは興味が薄れてしまったのだった。
アルバムもチェックせずじまい。
自分でも説明できない…さしたる理由もないのに、新譜の発表がなされても、予約せずじまい、買わずじまいになってしまいそのまま…。
こういうことがたまに起きたりするから不思議だ。
“Not Fakin’ It” 『NOT FAKIN' IT』収録
↓
この『NOT FAKIN' IT』の後に、マイケルはスティーヴ.スティーヴンスとともに、JERUSALEM SLIMを結成してアルバムを出すも、スティーヴが抜けてしまい、ライヴ活動はせず、そのままバンドは解散してしまった。
あれだけ夢中になったマイケルのアルバムだし、これも買おうかなと思ったが、そのまま買わずじまい。
そして廃盤になってしまった。
その後、マイケルは何枚もアルバムを出すも、私は聴かずじまいになってしまった。
その理由を分析しても意味がないだろうか。
しかし、それではマイケルに失礼だ、何とか聴いてみようと思い立ち、私は超廉価になった『SENSORY OVERDRIVE』を買って聴いた。
しかし、良くない。
『NOT FAKIN' IT』のようなサウンドの重厚さはないし、メロディのキャッチーさはかなり後退してしまっていたのだ。
あまり、というか全然感動できなかったので、ヤフオクに出して売ってしまったのだ。
悔やまれるのは、あの『NOT FAKIN' IT』の音楽性を踏襲してくれていたら、ということであった。
そうすれば、ブランクがあっても再び彼の音楽を聴くようになるだろうと思ったのだ。
しかしそうではなく、キャッチーさが後退してしまっているがゆえに、それは叶わなくなってしまった。
この音楽を踏襲してくれていれば、この人のファンを続けていただろう…こういう例は誰にもあるのではないか? アリス.クーパーは89年の『TRASH』がとてつもなくよかった。
『TARSH』
『NOT FAKIN' IT』と同じく、アメリカンなテイストのキャッチーさがあるし、ヘヴィさが丁度よかったのだ。
やはりヘヴィさは、その案配が大事なのだ。
それでこのアルバムは聴きまくった思い出がある。
その音楽性を踏襲してくれた次の『HEY! STOOPID』もよかった。
しかし、その次の『THE LAST TEMPTATION』からは、その華やかさが後退し、秋の木陰日に、暗めの美術館に来ているような気分になるような音楽に変節してしまったのだ…よく表現が分からないだろうか?(笑)
それなりに佳曲はあるが、少ない印象はぬぐえなかった。
その次のアルバムも、同じようにキャッチーさが後退し、あの最盛期の華やかさがなくなってしまったのだった。
こういう佳作アルバムと胸を張っていえないアルバムが続けば、やはりファンとしての心は離れていってしまうのは必然だ。
アリス.クーパー
その佳作でないアルバムが何枚まで我慢できるかは、人によって違ってくるだろうし、後に往年の華やかさを取り戻してくれたアルバムが出たら、またファンになれるという人もいれば、もう遅いとしてはねのける人もいるだろう。
マイケル.モンローにしろ、アリス.クーパーにしろ、ライヴが決定したら必ず行くと決めているファンでは私はないが、新作をチェックしながら、これならばいける、と思ったらライヴには足を運ぼうと思っているのだ。
アメリカンなテイストを失ってしまったがために、ファンとしての心が離れてしまったのは、マイケルにしろ、アリスにしろ私は期を一にしている。
マイケルのファンを私がなぜか辞めてしまっていて、その内にマイケルの出身国であるフィンランド出身のHIMのファンに私がなって、そのHIMが出したアルバムの『DARK LIGHT』がフィンランド史上初、アメリカでゴールドデイスクを獲得したことになったのは皮肉だろうか?
HIM
マイケルの『NOT FAKIN' IT』は日本ではかなり売れたが、アメリカではこのような売れ行きにはならなかった。
マイケル、アリス両方のファンを続けている人は、やはりそれなりの魅力を両者に感じて離れていないからに他ならない。
しかし、彼らのファンを辞めてしまった人は、私と同じように、あの89年の作品のような魅力を近年の作品に感じれない、という理由が大きいとしか思えない。
マイケルの89年のアルバム発表後の来日公演日程(1990年)は以下である。
この時が、最高記録であって、それから後は、この記録以上のは達成できなかった。
3月30日 横浜文化体育館
4月2日 東京簡易保険ホール
4月3日 東京簡易保険ホール
4月5日 東京NHKホール
4月6日 大阪厚生年金会館
4月7日 大阪厚生年金会館
4月9日 東京NHKホール
4月10日 川崎産業文化会館
しかし、この時の動員数は凄い。
地方公演なしで、1日だけに絞れば、日本武道館公演も可能だったのは間違いない。
マイケルのファンをこの時はしていたが、今はしていないのは、あの『NOT FAKIN' IT』のような感動がないからかどうか…それをたしかめるには、89年のアルバムを買ったが、最近のは買っていない人、全部になぜ最近のは買ってないのか訊いてみるほかないが、そんなことは不可能だ。
ただ過去の偉業を垣間見るには、あの『NOT FAKIN' IT』を聴くのが一番いいだろうことは間違いない。
あの作品と同じような作品を出してくれることを切に祈るばかりだ。
またアリス.クーパーも同様に。
興味の出た人には『NOT FAKIN' IT』は非常にお勧めだ!
Not Fakin' It
●以下のサイトでも取り扱っています。
↓
タワーレコード
【HMV】ローチケHMV|音楽CD・DVD
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
♯MICHAEL MONROE
♯NOT FAKIN' IT