BON JOVIがあの『SLIPPERY WHEN WET』を世界中で大ヒットさせた後に、 「ハードロックやヘヴィメタルはマイナーな存在だからこそファンでいられた。
なのに、メジャーになったらその状態に違和感を感じる」 80年代後半の『BURRN!』の某号の読者による投稿でこう書かれていたのだ。
DEF LEPPARDがあの『HYSTERIA』をアメリカおよび世界で大ヒットを記録した時に「DEF LEPPARDがアメリカに媚を売った」などと言う言論が『BURRN!』の編集員により現れたが、その好況が去り、ハードロックの不況も叫ばれる時代になると、「再びあのヒットを!」などと言う意見が出だすのだから人間の言論はわがままそのものだ。
DEF LEPPARD
しかし、「ハードロックやヘヴィメタルはマイナーな存在だからこそファンでいられた。なのに、メジャーになったらその状態に違和感を感じる」としたファンの精神はどういうことか分析したくなる好奇心めいたものを秘めている。
ハードロックやヘヴィメタルは非常に出来の良いミュージックだ。
それを大衆受けするものに変わったら、その魅力がなくなるということだろうか?
それとも、大好きになった音楽だから、多くの人に魅了されるようになったら、独り占めすることができなくなるという後ろめたい気分なのだろうか?
いずれも理解できる心情だ。
しかし、それらの言論はいずれも早とちり的な部分を含んでいる。
日進月歩の進化を遂げている科学技術を駆使している音楽界において、大衆受けする要素を加味するということは、更なる音楽的な魅力の昇華を伴うものであることは間違いない。
そういう実験を伴ったアルバムを作った結果、世界的な大ヒットにつながったアルバムを聴けばよくわかる。 BON JOVI の『SLIPPERY WHEN WET』、 DEF LEPPARDの『HYSTERIA』、WHITESNAKEの『WHITESNAKE』, EUROPEの『THE FINAL COUNTDOWN』(下写真)…etc
こういった例を見ればわかるように、いずれも音楽の質的昇華をしてこそすれ、魅力の減退は伴ってはいないことは間違いない。
それでも、やはり、そういった質的な昇華がなされなかった時代のアルバムの方がよろしいという人は、そのアルバムにかなりの入れ込みをしているのだろうことは間違いない。
それはそれで単なる好みの問題だから仕方がない。
どちらがいいか悪いかという問題でもないのだ。
しかし、そうでもなくただ単に、売れるようになったアーティストの存在が許しがたいという人は、その新たに開拓された大衆に対して敵対心を持っているだろうことは間違いない。
やはりミーハーが許せない、という人は、その人が、周りの人間から煙たがられているのだろう。
日々、不特定多数の人たちから変な目で見られていたり、陰口をたたかれているがゆえに敵対心を持ってしまっているのだろう。
何故、そういう目に遭うのか?
やはり、声が小さくてボソボソ喋っていたり、礼儀がなってなかったり、不潔だったり、怪しげな格好をしていたりしたら、周りの人間に疎まれたり、陰口をたたかれているがために、周りの人間に敵愾心を持っているがゆえに、そういうミーハーが許せなくなるのだ。
死刑囚になった故.麻原彰晃はまさにそういう要素をふんだんに持ち合わせていて、周りの人たちから疎まれていて、敵対心を大衆に持っていたのだ。
そしてあのサリン事件…そして死刑になったのだった。
周りの人間たちと良好な関係を築けている人は、ミーハーであろうが何であろうが受け入れられることは間違いない。
ミーハー…確かにこういった人たちのアーティストに対するスタンスとしては失礼に当たるかもしれないが、周りの人間たちと良好な関係を築けている人ならば、そういう人を見ても「仕方ないなぁ…」で終わるはずだ。
音楽的なファンでもそういった心理的背景を分析する必要がある。
そこで思い起すのはMETALLICA(下写真)のキャリアだ。
デビュー作の『KILL 'EM ALL』はかなり粗削りで、音のプロダクションも低い。
当然だ。
そのレコーディングが人生初めての新人の時のものだったし、低予算で作ったのだから。
しかし、セカンドの『RIDE THE LIGHTNING』からは打って変わって、かなりの高レベルの演奏力に様変わりしているし、プロダクションもかなり精緻になってレベルが高い。
そしてサードの『MASTER OF PUPPETS』はさらに昇華している。
そして91年のあのブラックアルバムだ。
元々レベルが高かったうえに、大衆受けする要素をふんだんに盛り込めば、当然ヒットにつながることは間違いなかった。
セカンドからレベルがかなりハイになったMETALLICAだったが、それでもそんなにファンにはなれなかったことは正直書かなくてはならない。
確かに好きなバンドの1つではあったし、アルバムもすべて集めていた。
しかし、毎日聴きこむほどのファンではなかったが、91年のあの『METALLICA』アルバムからは様相が一変し、毎日聴きまくりになるようになったのだった。
やはり、その理由は質的な昇華に他ならない。
●“Wherever I May Roam” 『METALLICA』収録
↓
あのアルバムは聴きたくないが、それ以前の方がいいという人は、どのような心理なのだろうか?
単なる好みの問題か、あるいは周りの人間たちから疎まれているか、そのどちらかと思うのだがどうだろうか?
そこで思い起さなくてはならないのはノルウェーのEMPEROR(下写真)だ。
EMPERORは実に不思議なバンドだ。
94年にデビューして、それから2001年までに4枚のアルバムを出し、一度解散し、そして復活するが、いまだに、アルバムを作る気配がない。
そして、そのシンガーのイーサーンの8枚目のソロアルバムが、先日発売された。
バンドのキャリア以上の枚数のソロアルバムだ(笑)。
しかし、こんな悠長でマイペースなことをしていては、ファンから疎まれてしまうが、ことEMPERORに関しては、そんなことは一切ない。
世界中のフェスでトリかセカンドビルを務めているし、ここ日本でも、2017年の『LOUD PARK』ではセカンドビルになったし、2019年には『ANTHEMS TO THE WELKIN AT DUSK』の完全再現ライヴをしに来て、その時は1000人規模のホールで計3回やった。
そして2023年にも、ベストライブの様相を呈する選曲での公演をおこなった。
いずれもニューアルバム未発表でここまでできるのだから凄い。
このバンドに先駆けるバンドとしてSLAYERやMEGADETHがあげれる。
それぞれ『REIGN IN BLOOD』と『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』という素晴らしいアルバムを出してくれたが、それ以降それらに準ずるアルバムは一向に出してくれなかったがゆえに、疎遠になってしまっていたし、それら以外のアルバムは全て売りに出した。
『REIGN IN BLOOD』
『REIGN IN BLOOD』と『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』はそれぞれ愛聴盤になっているが、それ以上とは言わずとも、それに拮抗するアルバムを出してくれれば、ファンになったが、いくら待てどもそれがかなわなかったので、ファンにはなれなかったのだ。
こういった名盤と同じレベルのメタルアルバムを出してくれたのだEMPERORは。
しかも4枚も。
そういずれもベストアルバムと評したくなるアルバムなのだ。
4つのアルバムが、それぞれ『REIGN IN BLOOD』や『PEACE SELLS…BUT WHO'S BUYING?』(下写真)と同じレベル、いやそれ以上であると言い切ってもいいくらいだ。
そんな良質なアルバムを出してくれたにもかかわらず、2001年のアルバムを最後にEMPERORは解散し、その4年後に再結成する。
その直後に行われたドイツでの『WACKEN OPEN AIR』をヘッドライナーで主演した時の模様を収めた映像が『LIVE AT WACKEN 2006』だ。
その模様をみて観察すると、非常に作曲力や演奏のレベルが高く、プロダクションも申し分ない楽曲を多く有していることが直ぐにわかる。
ヘヴィメタルというどうしても、マイナーなイメージが音からもまとわりつくミュージックではあるが、そういうものを払拭してしまうカリスマとオーラを有しているのだEMPERORは。
かなりヘヴィではあるけれども、スピーディさも最初から最後まで維持しているし、静逸かつ冷厳にドラマ性を展開するその楽曲は、一切の気怠さを感じない魅力を有している。
どんな好きなバンドでも、気怠さを感じる場面はどのバンドにもあるが、ことEMPERORには一切ないのだ。
単なるスピディでヘヴィなミュージックではなく、ここで曲風転換したらいいな、と思ったらすぐさま転換するし、次の曲はこういうのがいいのでは、と思うとすぐさまそういう曲にかわるのだ。
そういった面を考慮すると、私の食指にぴったり合っているのがわかる。
ゆえに、最近はこのバンドのこの映像モノばかり鑑賞して、他のものが手付かずじまいだ。
しかし、それは万人にも当てはまるかというとそれは保証にしようがないのだが…。
●“With Strength I Burn” 『ANTHEMS TO THE WELKIN AT DUSK』収録
↓
しかし、ここで気がかりになるのはEMPERORのアルバムの売り上げである。
このバンドのウィキペディアをみると、全然売れていないのだ。
セカンドアルバムがアメリカで18620枚売れて、サードアルバムが10820枚売れたと書いてあるだけだ。
それなのに、世界や日本での好待遇…実に不思議だが、ここでネットでの情報への接しかったが浮き彫りになる。
今は数えきれないほどのアーティストが存在するがゆえに、以前と比べて売り上げが上がったとしても、それを上書きしていないということだろう。
よっぽどのメジャーアーティストでなければそれは不可能に近い。
RATTはデビュー作『OUT OF THE CELLAR』(下写真)が全米300万枚を売ったと30年前に知ったが、そのままの数字がRATTのウィキペディアに書いてある。
しかし、最近そのシンガーのスティーヴン.パーシーのウィキペディアをみると、『OUT OF THE CELLAR』が全米500万枚ということになっている。
当然だろう。
あのアルバムは伝説的な名アルバムで今も入手可能なのは、その良さが今でも口々に言われていて、売れ続けたから今でも入手可能なのだ。
ゆえに、その数字にまで達していても、何ら不思議ではない。
そういう書き換えを、他のアーティストでもされていてしかるべしではあるが、アーティストの数が多すぎてできないのだろう。
ゆえに、EMPERORのもされていないのだろう。
しかし、ゴールドやプラチナといった売り上げには達していないながらも、ここまでの地位に上り詰めたのだから、それはそれでかなり天晴れだ。
そういう実績を上げれる時期(94年)にデビューしたのだから、それらの獲得するチャンスは充分にあった。
EMPEROR 94
しかし挙げれずじまいだったにもかかわらず、この好待遇…実に不思議であるが、やはりじわりじわりと売れ続けていたのだろう。
ここ日本や世界中で。
実際に、このバンドの4つのアルバムはいずれも入手可能なのだ。
そうでなければ、この事象は説明できないはずだ。
しかし、1994年の頃から今までどのくらい上がったか興味津々なのは私だけではないのは当然だ。
やはリかなりの大衆的支持を受けていた威厳が、演奏にも楽曲にもプロダクションにも表れている。
ただ速く、ヘヴィなだけではなく、“Opus A Satana”や“With Strength I Burn”での曲の構築美や壮大な渇興めいたSE音を有したドラマティックな展開を聴いていると、そんな品位がありありと迫ってくる。
これも私が、ゴールドやプラチナを獲得していないにもかかわらず、EMPERORの音楽やパフォーマンスに耽溺し、ここまで入れ込んでしまった思考のモチベーションである。
売れているか売れていないか…メジャーなミュージックかそうでないか…それほどのヒットにはなっていないし、音楽業界全体から見たらメジャーなイメージはないし、マイナーだろう。
にもかかわらず、これほどの惹きつけをされてしまうのだから、私は不思議な感懐になってしまうのだ。
これは決してマイナーであることに居心地の良さを求める心理でもないし、周りの人間に敵愾心を抱いているからでもない。
私は、周りの人間に敵愾心を抱くヒキオタではないことは厳重にお断りしておきたい(笑)。
それなのにここまで惹きいれいられてしまう…それはひとえにEMPERORの演奏や楽曲のレベルの高さや魅力に他ならない。
そういった魅力に引き込まれたら、そのまま人目を気にすることなく、耽溺していけばいい。
ファンを選ぶときに大事なのは、売れているか売れていないかはあまり、いや全然関係ない! 言いたいのはそれだけである。
このEMPERORのアルバムはどれもいいが、たった1つだけ推せるものはどれかと言われたら、セカンドの『ANTHEMS TO THE WELKIN AT DUSK』を推奨するだろう。
これもまた素晴らしいアルバムゆえに、心底お勧めしたい!
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